ケニーは幼い頃の家庭事情を話した。
市場で魚屋を営んでいた。
母親が懸命に働き一週間分の売り上げを父親が
博打で使い果たし、度々繰り返し
魚屋はやっていけなくなり、
母親は自宅でタピオカを作り市場内で売った。
貧しかった。
なので小学生の頃から手伝いをした。
5年生の貿易専門学校に通った。
卒業後 2年ほど会社勤めしてから
オーストラリアに2年間語学留学。
帰国して、兵役義務があり2年間台中で軍隊経験。
軍隊時代に、日本語を勉強した。
兵役を終え、再び会社勤めをした。
それから、日本の語学学校を経て
日本九州にある大学英文科に入学。
卒業後 台北のステーショナリー製造会社に就職。
その後、スペインの会社の台湾事務所に勤務
ヨーロッパ各国、アメリカ、アジアをセールス。
外国語への磨きがかかった。
日本留学時代の上級生に
台湾2部上場企業のプレス会社の
2代目社長にスカウトされた。
様々な実体験を重ね安定した仕事を得て
取締役海外営業本部長となった。
国家として承認されず
資源もない人口2千万人の極東島国。
中華民国 台湾は貿易立国としてしか生きていけない。
日本で評論家 経済人 政治家が上段から語る
中国 韓国 台湾の評論と違った角度
片隅で懸命に生きる市井の人々と接すると
善悪は別として逞しさに恐れ入る。
国際政治に翻弄されながらも懸命に生きる
台湾人を応援したい。
映画「悲情城市」予告編