馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

再掲 ニューシネマパラダイス 50年前夏 想い出の浜辺。

2019-12-25 07:40:45 | 日記

前ページは、丹沢弘法山酔っ払いハイキングを書きましたが

丹沢からの遠望風景は、10代~20代の青春が刻まれている。

ユーミンの歌う青春そのもの。

 

しかし、記憶する脳の劣化は進む。

私小説72ページまで書き進むと、まもなく最終章だ。

この頃、夕食時、昼飯を何食べたか思い出せない。

昨日の事など何をしていたのかすっかり頭から抜け落ちてしまう。

なので、ダイアリーには、朝晩の食事内容と血圧記載。

単語で当日の出来事と歩数計を記録。

 

横浜のチベットと呼ばれる辺境で少年青年時代を過ごしたが

市内中心で、冬極寒の雨降りがあるがチベットは雪になる。

高台で海抜60mから97m。

地名からも想像できる川と谷の狭間の高台。

 

冬空に中学への通学路では雪富士と丹沢山塊へ見ながら向かって通学。

高校生活は、湘南の海辺だった。

 

酔っ払いハイキングしながら、想い出ずるのは

山頂から見渡す、相模湾、湘南海岸。

 

社会に出れば、恨み つらみの無常の娑婆。

 

一昨日、ブログ アクセス解析にページ毎の閲覧数に

上位で載っていた

 

「ニューシネマパラダイス 50年前夏 想い出の浜辺」。

2018年6月九日4再掲。

恩讐は彼方へ 

いっとき、忘れよう。

 

 

 

介護病院生活6年過ごす母親。

93歳。

お袋の若い頃からの写真を探すべき

乱雑に段ボール箱に入れた写真とネガを取り出した。

 

ネガフイルムを一枚ずつ光にかざし調べる。

 

1969年8月24日西伊豆土肥海岸の文字。

カメラ屋さんで現像。

お袋の40代の丸々太った庭先での写真があった。

1枚だけ。

他は幼馴染の女の子。

二人で伊豆に向かう朝だ。

 

保育園の入園式では隣に座っている。

小学校6年間も一緒。

戦後直ぐに生まれた子供達は貧しかった。

狭い家に一家5人で暮らしていたので

親類が上京すると、次男の私は寝場所がなくて

彼女の家で寝かされた。

幼かったが、一つの布団で背中合わせで寝た。

子供だったが、互いに無言でじっと動かなかった。

その後、私は横浜に引っ越したが

ずっと交流はあった。

 

10代から20代前半は、青春無頼だ。

心身に子供でも大人でもない、燃焼と抑圧がたぎり

彷徨うものだ。

 

彼女というより、ガールフレンドだった。

貧乏学生だった私に銀行勤めしていた彼女には

度々 飯をおごってもらった。

 

20歳 二人して丹沢高松山にハイキングした。

詳細はクリック。

 

頂きに寝転び青春したのだ。

 

すっかり、伊豆の浜辺で青春したことは、脳に刻まれていなかった。

 

 

思い出の渚 ザ・ワイルドワンズ

まだ、水着もビキニではなく

セパレートタイプ。

50年前。

 

イタリア映画 ニューシネマパラダイスと同様

誰もが通る青春の甘酸っぱい想い出。

 

私達も40代半ばで再会するのだった。

 

今では クラス会 幹事もいなくなり

71歳の幼馴染の動向は知らない。

ニュー・シネマ・パラダイス Nuovo Cinema Paradiso(Ennio Morricone)

 

 ニザンの『アデン・アラビア』は、書きだしがかっこよくて有名である。
「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。」
これは、きっとつぎの英語のことわざを踏まえていったものだろう。
「二十歳で美しくなく、三十歳で強くなく、四十歳で富貴でなく、五十歳で賢明でない人間は、ついに美しくも強くも富貴にも賢明にもなれない」