本日 衆院選投票日
自滅党は、コップの中の嵐
澱んだコップ内はかき混ぜて浄化させましょう。
与野党が、均衡の緊張状況が望ましいと思っています。
混沌とした世界情勢
政治にとって決定的な手段は暴力である。
ヴェーバー【職業としての政治】
百姓たちは頑張った。
「わしらは兵隊には行きましねえ~」と彼らは言った。
「おんなじ死ぬのもんなら、うちで死ぬほうがいいです。
どのみち
死ななきゃならねなら
トルストイ【民話集イワンの馬鹿】
専制国家の独裁者は自国若者を死地に向かわせる。
続きです。
息子から先日、おじいちゃんの戦地での写真があるはずだ
「「スキャンして保存したいから送って」
実家の弟に連絡。
かなり探し回った、
とりあえず、ラインで一部部分を送られた。
推定すると80年前の写真
日中戦争 戦地 武漢での写真
父は7歳の時母親が死んだ。
死に際、3歳で亡くなった男の子の
名前を呼び タケオが来るタケオが来る
叫んだ。
父は、布団の前で正座して見詰めた。
当時としては長身で現代風に言えばイケメン
鼻高く、息子の一心、孫息子も鼻高。
一心が、中学生の時、押し入れに有った箱から見つけ出した。
父に聞いた。
「武漢での戦争」
何も言いたがらない。
一緒に写っている子供は?
曖昧な記憶では、「怪我してたので看病」
恐らく、推測では孤児。
語ったのは
マラリヤで死にかけた事
「行軍では、歩きながら寝た」
二つだけ、
毎晩、父が夜半に寝床でうなされ、叫ぶのだ。
戦争の後遺症なのかと思った。
全共闘世代は、反戦運動のうねりがあった。
現代の日本の若者は、どのように感じているのだろうか>
追記
戦地に向かう時、那須での見送りには、肉親はいなかった。
帰還後も「おかえりなさい」の肉親はいなかった。
【武漢作戦】日中戦争の大きな転換点となった武漢の戦い 《日本の火力》
戦地に向かう時、那須での見送りには、肉親はいなかった。
帰還後も「おかえりなさい」の肉親はいなかった。
【武漢作戦】日中戦争の大きな転換点となった武漢の戦い 《日本の火力》
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