馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

橋 ライトアップ?

2011-08-15 16:41:11 | 日記

8月14日(日)私の住まいは見方によっては島に住んでいる。

必ずどの方向に行くにも橋を通らなければならない。

人と自転車しか渡れない通称 赤橋を通って駅に向かう。

  

      昼間

以前、近くの居酒屋あんこうで自治会の役員に

あの橋をライトアップして近辺の活性化をしたらと提案した。

役員はその気になり実行した。

その案は私の事務所前が柳橋で夜はライトアップしているので

言ったことだった。

 

13日から自治会役員で取り付け作業。

ペットボトルをくり抜き、LED電球を差し込んだだけの簡易灯蝋だった。

ボトルは70本 費用は約3万円 人件費 O

 

始めての試み、様々なアイデア、方法あるだろうが

これで良し。

ららぽーとのお客、近くの住人に気付いてもらえれば良し。

夜見に行くと、元県立高校の校長先生が

高額高級カメラで撮影していた。

マンションの商店街も衰退している。

宣伝になれば!

来年は電力回復して輝く橋になって

湾内に灯篭流しもできたら嬉しい。

 


熱中症 喉の渇き!

2011-08-14 18:09:47 | 日記

813日(土)午前中谷津干潟の遊歩道越にある小学校校庭

子供達がサッカーの練習をしている。

緑格子の隙間から覘くと朝の強い陽盛りを浴びながら

子供達が駆け回っている。

するとコーチらしき大人が「水飲みたかったら、勝手に飲みに行っていいぞ

断らなくても構わないぞ」大声で注意している。

最もなことだが深く納得、感心した。

 

私が小中生の頃は炎天下校庭に整列して

服装、手足を直立不動で校長先生のお話を聞いた。

当時の学校には体育館も無かったので致し方ない面もあったが

それこそ、根性と気合の我慢を強いられた。

時折倒れる生徒もいたが大騒ぎにはならなかった。

 

大学山岳部に入り登山では水は貴重なので

飲むには厳しい制限と許可が必要だった。

当時ワンダーフォーゲル部女子が

夏合宿を五島列島縦走したが、1年生女子部員が日射病で倒れ

翌日亡くなった。

現在だったら、強行せず水分補給と休憩を与えただろうが

当時、水分をなるべく控えないと疲労すると教えられた。

 

山岳部の場合、高度の関係で暑さが身体に悪影響を及ぼすことは

少なかったが、激しい運動量のため、喉は渇ききった。

山道を30キロ以上の荷物を背負い18時間以上登るのは

農耕馬並みの体力が必要だった。

途中、前夜に降った雨で山道に枯葉、小石、木の根が混ざった

窪地に雨水が溜ると、上級生に気付かれないように

倒れこみ、その水を飲んだ。泥も小石が口に入ろうが

喉の渇きが優先した。

先行する登山者が捨てたみかんの皮が落ちていれば

急いで拾い口に押し込んだ。

 

大学1年秋 北アルプス三俣蓮華岳を登山して

夕方 幕営地に戻った。

同期1年生は喉の渇きから到着するなり

テントにあった2リットル入りポリタンクを一気に飲んだ。

私に声掛ける「味がおかしい」とポリタンクを私に差し出す。

臭いを嗅ぐと中身は灯油だった。

同期1年生は半分近く飲んでしまった。

夜半から苦しみだした。

翌朝、顔面に吹き出物でぶつぶつになっている。

それでも、上級生は冷酷に35キロの荷物を担がせ

登山させた。ふらふらになりながら山道を登る。

上級生から叱咤と罵声、ビンタが飛ぶ。

掠れた悲鳴があがる。

あの光景は今でも忘れられない。

まもなく同期は山岳部を退部した。

大学も辞めていった。

心身に傷ついた彼のその後の人生はいかばかりか?

 

大学3年生の時 夏合宿南アルプス荒川岳で撮った写真がある。

1年生がバテて意識を失いかけた、登山隊は先行させて

山道に寝かせ 残雪で顔を冷やした、水を飲ませ休憩を取った。

  

昭和45年8月 

荒川岳は私が2年生の春山で滑落した場所だった。

雪斜面を谷底に向かって滑っていった。

夢中でピッケルを雪面に刺して止めた。

その時、右手の甲をピッケルで傷つけた。

その傷口に菌が入ったのか40歳過ぎまでイボが出来続けた。

 

上級生になったら理不尽なシゴキだけはしまいと決心した。

当時1年生の回復を待ちながら思い出していた。

 

1年生が目覚め歩けるのを確認した時

その1年生に撮らせたスナップ写真だ。

遠いセピア色の思い出が蘇る。

 

この1年生は現在 北海道でタクシー会社の社長になっている。


逃電、窮電、死電、その13 異端者

2011-08-13 22:35:48 | 日記

中国高速鉄道の隠蔽工作は堂々?として分かりやすい。

注 工作は中国語では 仕事という意味。

中国メディアの報道も共産党圧制下でギリギリの抵抗

互いに命懸けの戦い。

中国高速鉄道事故報道を見ても驚かない。

隠蔽、虚偽、騙しが常識で、正直が愚か者とされる。

考える事を止め、疑問も胸奥深くにしまい込む人民。

中国政府と中国メディアの強烈な戦い。わかりやすい。

日本の逃電、窮電、死電の隠蔽、やらせメールのほうが陰湿だ。

倒北電力、北壊導電力、東怪テレビも頑張った。

原発関係知事の二枚舌も暴露された。

元々原発の恩恵と援助を受けていた知事達が原発事故後、

手の平返したごとき言動、逃電、窮電、死電役員は苦々しく思っている。

互いに中傷と責任擦り合い。

殆ど地域独占、競争のない会社の無責任。
社会正義、コンプライアンス、とかは全く欠如

自己生存本能が優先され、他人が不幸だろうとお構い無し。

自らが生きんが為に良心を奥深くしまい込みその場限りの詭弁を弄し逃げる。

個人個人はおしなべて良い人常識的な人だが、

大組織の一歯車である限り逆回転は許されない。

かくして黄色信号サインを渡る。

赤信号で渡り切って安心したのも束の間、何処かて見られていて密告された。
テレビ番組でなんとかタックルって番組があるが、原発災害を与野党が互いに攻撃して、蛸頭評論家が湯気出して相手を罵倒する。

しかし、司会者ビートたけしが昨年、対談で原発は安全だと言った。

地震が来たら原子力発電所逃げ込めと発言した。

与野党の先生方はこの番組でたけしの発言を追及しない。

原発反対した役者は干され、TV局の韓流を批判したタレントも排除された。

力の無い者には陰湿な嫌がらせ。

日本の政治の軟弱と腰抜けメディアの馴れ合い報道は信頼されない。

 アンケートで日本の総理にしたいNO1になった、

たけしに生身の体で単身福島原発に

乗り込んで止めていただきたい。

 

30年前 お盆 私は皇居近くのホテルで組合全国大会に出ていた。

一年間の総括と書記長退任を告げた。

次期書記長は決まらないままになった。

そして、公ではなく内内に私が8月で退社することを

地方支部長に話した。

驚きと戸惑いのつぶやきが地方役員から出たが私は何も語らなかった。

 

26歳の時 上司の不正を進言したら逆に隠蔽して

私を軽食喫茶で皿洗いをさせて辞めさせようとした。

その後

組合書記長として会社側と対峙した。

その結果は「思想的に問題有り、破壊者」のレッテルを貼った。

 

サラリーマン役員、担当者、組合上部団体担当者、そして

労働組合役員、皆自分が生き残るためには

会社の将来、展望、モラル、福利厚生、賃金

そんなお題目は言葉だけだった。

異端は排除されなければならない。

 

会社を辞める時、労務担当課長から

「真面目にやり過ぎたのです」と言われた。

正しく そうなのだ。

裏返せば、アホなのだ。

うまく立ち回りが出来なかったのだ。

要領よく、会社と組合員を欺き

正義面を入念に装っていれば良かったのだ。

不器用な私は出来なかった。

 

831日の前日 私は退職した。

末日ではなかった。

9月初め市役所に社会保険の手続きに行って

退職日が8月末日でないことを知らされた。

8月末日まで会社に在籍しないで1日でも欠ければ

会社側は社会保険を払う必要が無いのだ。

その結果、8月分の社会保険はたった1日のため

自己負担しなければならなかった。

役所の係員が溜息を付いて「大きな会社なのにひどい事しますね」

一人で生きてゆく現実を知らされた瞬間だった。

 

一通の手紙が北海道の組合女子役員から自宅に届いた。

   

読み返す、今彼女はどうしているだろうか?

北海道から南の五島列島にお嫁に行きますと聞いていた。

8月の終わり、生まれたばかりの娘と

2歳になった息子、ローンを抱えて

生きていかなければならなかった。

深夜、毎日寝床で涙を流した。

 

この世で生きてゆくということは、損得勘定じゃあない。
短い一生なんだ、自分の生きたいように生きるほうがいい。 

山本周五郎

 

異端を全て排除することが健全な成長するとは思えなかった。

 

続く

 


鵜の真似をするカラス!

2011-08-13 15:49:58 | 日記

813日(土)9時、妻は癌検診のため渋谷大橋の大学病院まで行く

私は谷津干潟の遊歩道を歩く、強烈な陽射しを浴び、

風のない干潟に波の揺らぎはなく、小魚の群れが微かに川面に波紋を広げ

回遊する。 朽木に鷺が止まり、鵜が水面下に潜って小魚を咥える。

 

鵜の真似をするカラスではないけれど、必死に懸命に働いてきた。

しかし能力?が無いので貧乏続き

干潟の夏空に浮かぶ白い雲、眩い光の中で鳥達が羽ばたき

蝉が遊歩道の木々からハーモニーを奏でている。

谷津自然観察センター入り口にやってきた。

 

入場口、祝 習志野高校甲子園出場の看板が立っている。

昨年 625日に癌で逝った友人の母校だ。

明徳義塾を破り3回戦に進んだ。

彼は大学では合気道部の主将をしたが高校ではサッカーをしていたと聞いた。

観察センターを抜け 谷津バラ園に到着、バラ開花のシーズンではないので

入園者は少ない。

その先に谷津保健病院がある。

お盆休みにはいるので院内待合室は大混雑だ。

3階の病室に向かい、彼が終焉を迎えた扉の前で一瞬黙祷した。

谷津干潟に戻り以前住んでいたマンションを通り

その時 マンション商店街にある居酒屋あんこうの店主が

玄関前で打ち水をしていた。

挨拶、「今日はお盆なので、あいつの供養のため病院へ行って来た」。

「これから、あいつの住まいに行って郵便受けの整理して玄関前で向かえる」

あんこうの店主「喜ぶね、そうしてやってください」

 

彼の玄関前でブザーを押す、「初富共同墓地には行けない、ここで迎えるから」

声を出さずに唱えた。

玄関のドアノブは出入りがないので錆びと誇りが付着している。

独身 両親既に他界

  

私の胸の内を聞いてくれる友は答えてくれない。


暑くなって桶屋が儲かる!

2011-08-13 14:37:43 | 日記

812日(金)盆休みで電話もメールも無し。

昼飯は 掻き揚げと盛り蕎麦を食べる。

食べ終わって、片付けを始めた、するとマドンナが

「社長 掻き揚げの下に敷いた油取り用の紙どうしました」?

「え え!そんなものあった」

確かに掻き揚げの下に白い物あったなと思ったが

掻き揚げと蕎麦と汁混ぜて一緒に食べてしまった。

紙食べても平気な味覚音痴!

マドンナ心配して腸で詰まって苦しむのではと慌てているが

心配ご無用!餅食べて喉に詰まり死ぬ人いるが

よほどのこと無い限り死なない。

小学生の頃、山羊が紙を食べるというので

紙を山羊の鼻先にぶら下げたが食べなかったこと思い出した。

  

16時 浅草橋の銭湯弁天湯で激熱風呂に浸かる

17時事務所に戻り缶ビールとホッピーで湯上り身体を冷ます。

イケメンは早々に帰って九州から来る嫁さんの親族に会う。

マドンナは夜友人と原宿で食事をするので早めの退社。

 

私は両国橋を渡って錦糸町まで歩く、

光化学スモッグの影響なのか

夏空の両国橋からのスカイツリーは霞んでいる。

 

20時には自宅に着いた。

焼酎飲んでソファにひっくり返っているとメールが入る。

 

文面は「なるほど」と思う。

 

「風吹けば桶屋が儲かる」の言い伝えがある

俗説では 風が吹いて火事になり死人が出るので

棺桶が売れるとの意味?

 

メール送信者は今年4月にそれまでパソコンによるデザイン版下製作を

していたが葬儀屋に転職した。

 

今夏、激暑で亡くなる方が多く、盆休みも無い忙しさだというメールだ。

熱中症で倒れる人が多いと報道される。

大震災で被災され、未だ遺体が見つからない方々

暑さの中での遺体捜索辛いことでしょう。

 

過酷な状況下の被災地を利用して政争に明け暮れる

政治家、こんな連中こそ清掃して廃棄処分にしてほしい。

 

高齢化で老人人口が増加、体力衰退した老人が多く

 

暑くなれば桶屋が儲かる!

 

 

午前 0時 マドンナからメール

紙食べて 大丈夫ですか?のメール

原宿でベルギー料理を食べビールを飲み

その後カフェでのお茶の画像が添付されていた。