こんばんは。
いささか疲れ気味の木曜日、皆さんは如何でしょうか。
今日、御祓いに参らせて頂いた方から、あるご相談を受けました。
そのお宅には、現在居間に置いておられる御仏壇、いわゆるご先祖様がは入っておられるものと、あと一つ、以前に
それらのご先祖様がおられたものですが、既に今は何も入っておられない御仏壇の、この二つがおありです。
その、何も入っておられないほうの御仏壇を、随分前に、これはご兄弟皆さんでお買い求めになられたものなので、使いは
しないけれど置いておきたいとのことで、長年別の部屋に封をした形で置かれていたそうです。
しかし、最近、こちらのご夫妻もご自分方の行く末を考えると、娘さん達にどうにかさせるのも忍びないし、思い立った
時に処分したいのだが、どうだろうか、とのことでした。(娘さん方は嫁がれて、それぞれに家を出ておられます)
そううかがって、ではまず見せていただこう、とその件の御仏壇を拝見させて頂きました。
申した如く、既に何も状態、つまりは空の御仏壇です。
だいたい、広島は浄土真宗の方が多く、それに伴い御仏壇も様々な装飾が施されており、それを見るだけでももはや
工芸品、あるいは美術品の域を感じます。
三十年以上前のものと聞きましたが、その当時の職人さん達が、その御仏壇という限られたスペースの中で様々に工夫を
凝らし、細工をし、ある場所では彫刻に螺鈿をはめ込み、また金箔を貼り、極楽浄土といわれるあちらの世界を表現して
おられるのでした。
とても素敵で、これを処分するのは如何にも忍びないと感じたのですが、御仏壇そのものを、今流行り?のリサイクルに
出すわけには当然行かず、さりとてご自分方で勝手に壊してゴミで出すのも、憚られるということもあります。
しばし、そんな思いをそれぞれに感じておりましたが、ふとその細工の施された飾り棚の引き戸をみてみると、外せることに
気がつきました。
そこで、その引き戸部分を取り外してみると、あたかも精緻な工芸品の飾り物のようです。
御仏壇全てを残すわけにはいきませんし、本よりそのおつもりでもないわけですが、やはり長年のご兄弟との思い出が詰まった
ものでもあるわけですので、このように一部分だけでも残せるのならそうされてみては、とご提案し、結局そのようになさる
運びとなりました。
御仏壇本体は、さてどうしようか、ということになりますが、以前に自分が神棚等で永くお世話になっております仏壇屋さんに
聞いた話によりますと、使われなくなったものは引き取って処分いたしますよと云われておりましたので、このお宅の御祓い後に
足を運び、今一度うかがって参りました。
そのお話によりますと、いわゆるお魂を抜いた後の御仏壇は引き取って頂けるとのことで、その後はある場所に集めて焼き上げ
されるそうです。
先ほど、御仏壇とはいえ、工芸品のようなものといいましたが、それを考えると、どうにも自分としては色々な意味で、燃やされ
形が無くなってしまうのは、なんともなぁと感じるのですが、これもいたし方のないことなのかもしれません。
神道においても、古い神棚等は、やはりお焼き上げ致しますし、古い神札等も当然そう致します。
一度、灰となって大地に還り、また何がしかの形を伴い、こちらの世界に戻ってくるのだと思います。
そうすることで、様々なものが循環しているのでしょう。
形あるものは、皆いつかは壊れる そういうことなのかもしれませんね。
無に帰すのではなく、新たに生命を与えられ、甦ってくるのでしょう。
そう考えると、処分も処分なのではなく、新しく生まれてくる一つの手段なのかもしれない、そう感じました。
自分も身の回りの整理、考えてみる必要があるかもしれない、そう感じた今日でした。
いささか疲れ気味の木曜日、皆さんは如何でしょうか。
今日、御祓いに参らせて頂いた方から、あるご相談を受けました。
そのお宅には、現在居間に置いておられる御仏壇、いわゆるご先祖様がは入っておられるものと、あと一つ、以前に
それらのご先祖様がおられたものですが、既に今は何も入っておられない御仏壇の、この二つがおありです。
その、何も入っておられないほうの御仏壇を、随分前に、これはご兄弟皆さんでお買い求めになられたものなので、使いは
しないけれど置いておきたいとのことで、長年別の部屋に封をした形で置かれていたそうです。
しかし、最近、こちらのご夫妻もご自分方の行く末を考えると、娘さん達にどうにかさせるのも忍びないし、思い立った
時に処分したいのだが、どうだろうか、とのことでした。(娘さん方は嫁がれて、それぞれに家を出ておられます)
そううかがって、ではまず見せていただこう、とその件の御仏壇を拝見させて頂きました。
申した如く、既に何も状態、つまりは空の御仏壇です。
だいたい、広島は浄土真宗の方が多く、それに伴い御仏壇も様々な装飾が施されており、それを見るだけでももはや
工芸品、あるいは美術品の域を感じます。
三十年以上前のものと聞きましたが、その当時の職人さん達が、その御仏壇という限られたスペースの中で様々に工夫を
凝らし、細工をし、ある場所では彫刻に螺鈿をはめ込み、また金箔を貼り、極楽浄土といわれるあちらの世界を表現して
おられるのでした。
とても素敵で、これを処分するのは如何にも忍びないと感じたのですが、御仏壇そのものを、今流行り?のリサイクルに
出すわけには当然行かず、さりとてご自分方で勝手に壊してゴミで出すのも、憚られるということもあります。
しばし、そんな思いをそれぞれに感じておりましたが、ふとその細工の施された飾り棚の引き戸をみてみると、外せることに
気がつきました。
そこで、その引き戸部分を取り外してみると、あたかも精緻な工芸品の飾り物のようです。
御仏壇全てを残すわけにはいきませんし、本よりそのおつもりでもないわけですが、やはり長年のご兄弟との思い出が詰まった
ものでもあるわけですので、このように一部分だけでも残せるのならそうされてみては、とご提案し、結局そのようになさる
運びとなりました。
御仏壇本体は、さてどうしようか、ということになりますが、以前に自分が神棚等で永くお世話になっております仏壇屋さんに
聞いた話によりますと、使われなくなったものは引き取って処分いたしますよと云われておりましたので、このお宅の御祓い後に
足を運び、今一度うかがって参りました。
そのお話によりますと、いわゆるお魂を抜いた後の御仏壇は引き取って頂けるとのことで、その後はある場所に集めて焼き上げ
されるそうです。
先ほど、御仏壇とはいえ、工芸品のようなものといいましたが、それを考えると、どうにも自分としては色々な意味で、燃やされ
形が無くなってしまうのは、なんともなぁと感じるのですが、これもいたし方のないことなのかもしれません。
神道においても、古い神棚等は、やはりお焼き上げ致しますし、古い神札等も当然そう致します。
一度、灰となって大地に還り、また何がしかの形を伴い、こちらの世界に戻ってくるのだと思います。
そうすることで、様々なものが循環しているのでしょう。
形あるものは、皆いつかは壊れる そういうことなのかもしれませんね。
無に帰すのではなく、新たに生命を与えられ、甦ってくるのでしょう。
そう考えると、処分も処分なのではなく、新しく生まれてくる一つの手段なのかもしれない、そう感じました。
自分も身の回りの整理、考えてみる必要があるかもしれない、そう感じた今日でした。