こんにちは。
快晴ではありませんが、高層雲というのか筋雲が見えたりして爽やかな日ですね。
天候がやっと季節に追いついてきた?という感じでしょうか。
そんな五月、折りしも連休でもあり、皆さんお出かけの方も多いのではと思います。
(もっちろん、先日申しました如く、お仕事の方もいらっしゃるかと思ってますよ)
行楽となると、お弁当はつきものですね。
奥様やお母さんに作ってもらったお弁当を持って出かける、そうして現地で食べるこのお弁当がこれまたなんとも
美味しく感じられるものですよね。
そうした中で、これまで食べたそれらのお弁当、どこで何を食べたのが一番美味しく感じられましたか?
景色の良い場所で、仲の良い家族と食べたお弁当でしょうか、それとも気の置けない友人らとワイワイ言いながら
食べたランチでしょうか。
自分はですね、これまでで一番美味しいと思い、印象に残っているお弁当があります。
どこかの高い仕出し弁当だったのか、はたまた自分で詰めてったおにぎり弁当だったのか。
実は、そのどちらでもなく、美味しいと感じたのは、どこにでも売っているようなコンビニのお弁当です
それはどうしてなのか、ですよね。
よほど、コンビニの中でも高いのを選んだからなのか、出来立ての熱々ご飯を入れてもらったからなのか。
いえ、そのどちらでもありません。
昨日、この五月は正五九の御祓い(しょうごくのおはらい)と称して、神棚を祀っておられるあちこちの信者さんのお宅へ
参らせて頂くと書いておりましたが、お弁当はそんな時に買って食べたものです。
たまたま出向いた先は、島の方でして、そこへ渡り、島にあるコンビニで買い求めたものだとおぼろに記憶しております。
もう随分昔の話ですし、お弁当の種類もそれほどあるわけでもなかったかと思います。
ともあれ、お弁当を買い、御祓いの時間までまだあるようでしたので、車の中で一人そのお弁当を広げ、いっただきま~すと
食べ始めました。
その時、ふとそのお弁当を包んでいた周りのビニールシートを見ると、それを製造した日付と場所が印刷されていました。
時刻は午前2時、場所はその居た場所から数十キロ離れた工場のようでした。
中に入っている具は、お世辞にも高いものなど入っていません。
それこそ、赤いウィンナだとか卵焼きだとか、ありきたりなおかずとおにぎりです。
でも、その時、その作られた時刻を見て、自分が寝ている時間にこの工場の人たちは、これらの弁当に詰めるおかずを
たとえそれが既製のものを使っていたとしても、一つ一つ自分たちで焼いたり揚げたり、またご飯を型に入れておられるのだな
と感じたんですね。
それがそのひと達の仕事だから当たり前じゃないか、と言われそうですが、全く知らない人たちが、自分とは離れた場所で
黙々と夜中にこのお弁当を作って下さっているんだなと感じると、もうなんだかそれだけで、車の中で一人感激してしまい
「ありがとうございます~!」と無性に嬉しくなり、件の赤いウィンナが殊更美味しく感じられたのでした。
なんだ、そんなことか、と此処まで読まれた方は拍子抜けされたかもしれませんね。
ですが、このお弁当一つを取ってみても、その中に入っている惣菜の一つ一つ、それぞれが様々な人の手により作られ、また
それを運搬する人がおり、それを店頭に並べるひとがいて・・・と考えると、この小さなお弁当の中には、一体どれほどの
人の手が加えられているのか。
そう感じたとき、それを作る工場を建てた人、その資材を運んできた人、その資材を元から作った人、と順々に考えていくと
それこそ膨大な人の数や手間が連綿と繋がって、今のこのお弁当になっているんだ、そう思えたのです。
そう思うと、鳥肌が立つほど感動してしまい、このお弁当が本当に美味しく感じられたのでした。
これはこのお弁当に限らず、どのようなことにもいえると思います。
世の中、全てという程、流通しているものには人の手が加えられている、そう思います。
そういう風に考えていくと、世の中、どこかで誰かに繋がっていますよね、自分一人ではない、誰かのお世話に
日々なりながら暮らしている、そう感じます。
もしかすると、今日すれ違った人、あなたとどこかで関係しているのかもしれませんね。
一つのお弁当から感じた今日のお話でした。
明日は美味しいお弁当もって、何処かへ出かけてみられますか?
作って下さった人に感謝しながら、ね。
快晴ではありませんが、高層雲というのか筋雲が見えたりして爽やかな日ですね。
天候がやっと季節に追いついてきた?という感じでしょうか。
そんな五月、折りしも連休でもあり、皆さんお出かけの方も多いのではと思います。
(もっちろん、先日申しました如く、お仕事の方もいらっしゃるかと思ってますよ)
行楽となると、お弁当はつきものですね。
奥様やお母さんに作ってもらったお弁当を持って出かける、そうして現地で食べるこのお弁当がこれまたなんとも
美味しく感じられるものですよね。
そうした中で、これまで食べたそれらのお弁当、どこで何を食べたのが一番美味しく感じられましたか?
景色の良い場所で、仲の良い家族と食べたお弁当でしょうか、それとも気の置けない友人らとワイワイ言いながら
食べたランチでしょうか。
自分はですね、これまでで一番美味しいと思い、印象に残っているお弁当があります。
どこかの高い仕出し弁当だったのか、はたまた自分で詰めてったおにぎり弁当だったのか。
実は、そのどちらでもなく、美味しいと感じたのは、どこにでも売っているようなコンビニのお弁当です
それはどうしてなのか、ですよね。
よほど、コンビニの中でも高いのを選んだからなのか、出来立ての熱々ご飯を入れてもらったからなのか。
いえ、そのどちらでもありません。
昨日、この五月は正五九の御祓い(しょうごくのおはらい)と称して、神棚を祀っておられるあちこちの信者さんのお宅へ
参らせて頂くと書いておりましたが、お弁当はそんな時に買って食べたものです。
たまたま出向いた先は、島の方でして、そこへ渡り、島にあるコンビニで買い求めたものだとおぼろに記憶しております。
もう随分昔の話ですし、お弁当の種類もそれほどあるわけでもなかったかと思います。
ともあれ、お弁当を買い、御祓いの時間までまだあるようでしたので、車の中で一人そのお弁当を広げ、いっただきま~すと
食べ始めました。
その時、ふとそのお弁当を包んでいた周りのビニールシートを見ると、それを製造した日付と場所が印刷されていました。
時刻は午前2時、場所はその居た場所から数十キロ離れた工場のようでした。
中に入っている具は、お世辞にも高いものなど入っていません。
それこそ、赤いウィンナだとか卵焼きだとか、ありきたりなおかずとおにぎりです。
でも、その時、その作られた時刻を見て、自分が寝ている時間にこの工場の人たちは、これらの弁当に詰めるおかずを
たとえそれが既製のものを使っていたとしても、一つ一つ自分たちで焼いたり揚げたり、またご飯を型に入れておられるのだな
と感じたんですね。
それがそのひと達の仕事だから当たり前じゃないか、と言われそうですが、全く知らない人たちが、自分とは離れた場所で
黙々と夜中にこのお弁当を作って下さっているんだなと感じると、もうなんだかそれだけで、車の中で一人感激してしまい
「ありがとうございます~!」と無性に嬉しくなり、件の赤いウィンナが殊更美味しく感じられたのでした。
なんだ、そんなことか、と此処まで読まれた方は拍子抜けされたかもしれませんね。
ですが、このお弁当一つを取ってみても、その中に入っている惣菜の一つ一つ、それぞれが様々な人の手により作られ、また
それを運搬する人がおり、それを店頭に並べるひとがいて・・・と考えると、この小さなお弁当の中には、一体どれほどの
人の手が加えられているのか。
そう感じたとき、それを作る工場を建てた人、その資材を運んできた人、その資材を元から作った人、と順々に考えていくと
それこそ膨大な人の数や手間が連綿と繋がって、今のこのお弁当になっているんだ、そう思えたのです。
そう思うと、鳥肌が立つほど感動してしまい、このお弁当が本当に美味しく感じられたのでした。
これはこのお弁当に限らず、どのようなことにもいえると思います。
世の中、全てという程、流通しているものには人の手が加えられている、そう思います。
そういう風に考えていくと、世の中、どこかで誰かに繋がっていますよね、自分一人ではない、誰かのお世話に
日々なりながら暮らしている、そう感じます。
もしかすると、今日すれ違った人、あなたとどこかで関係しているのかもしれませんね。
一つのお弁当から感じた今日のお話でした。
明日は美味しいお弁当もって、何処かへ出かけてみられますか?
作って下さった人に感謝しながら、ね。