日々徒然なるままに

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出雲大社例大祭へ参列致しました  その3

2019-05-17 20:30:08 | お出かけ
こんばんは。
朝、ハッと目覚めると5時22分。
何やら窓の外が赤いような?
そう感じていつものように寝ぼけまなこで出てきたばかりの朝日を撮りました。
そのまま起きるには、今日は眠い;;、そう感じて二度寝したワタクシめでありました;。(笑)
また、昨夜もいつも見えてくる星とオムレツ程度に膨れた月を撮っておりました。





                                   




       
                                    





                                     





                                          





今週日曜日からの疲れが今頃出てきているようで、今日は家に居ると思うとついグダグダ過ごしておりました;。
ちゃんと祝詞奏上は変わらずさせて頂いておりますよもちろん、安心して?下さい。(笑)
けれどそれ以外はしんどさが勝る感じですかねぇ、いけませんね。
明日以降、お天気も下り坂のようですしそれも関係あるのかもしれないとも感じます。
大体、気圧が低いとやる気のなさは格段に落ちる人間ですので;。
そんな自分のことなど置いといて、出雲での続きを書いて参りたいと思います。
早くせねば記憶が欠落しそうです;。(笑)





                                     




14日、まず起きて思ったのは、のだめになってる;;ということ。
何それ?ですが。(笑)
実は13日の午後から時間が空いたので、明日は大社だし髪を切ってこようと思い立ったのですよ。
月曜だと普通は美容院等はお休みですが、月曜でも開いている美容院兼理容もやっている、しかも安いお店があるんです。
このオバサン、髪を切るのはともすれば年に1回か2回;、かなりずぼらな性格でして;長いか短いか、オンかオフかみたいな人間ですので;
この長い髪が鬱陶しいと感じて、ようやっと切りに行く感じでした。
せめて今回はまともな美容院でそれなりに一応は綺麗にしてもらいたいと考えていたのですけれど、思うのがいつも何故か月曜日。
ならば他の曜日に行けばよいものをと思いながらも、結局は安くて早いそのお店へ行ってしまったという訳です。
で、切った後、いつも「違うだろ~」と叫びはせずとも、う~ん;;何だかなぁと思うのがこれまた常でして。
そんな思いを感じつつもその夜はさっぱりさせようと洗髪をし、これまた毎度のごとくドライヤーでは髪を乾かさずにそのまま寝てしまいました。
で、起きると、のだめ。
つまりは髪の片方が寝癖がついており、あら~;と感じて水をつけて落ち着かせようとしても直らない;。
おめかし用にと滅多に最近はつけないイヤリングをつけても、はねた髪が余計に目立つ始末。
ま、私の髪がはねていようと大勢は全く影響がない;と自分を慰めつつ?家を出た14日の朝でした。
笑ってやって下さいまし;。




                                       





さて先だっての続きからですね。

参列の方々が席に着き、刻となると宮司であります国造以下参員が入って参ります。
全員が起立をして迎えたところからお祭りが始まります。
今年は自分が座った場所からはご本殿の階を登られる国造が僅かなりとも垣間見える場所でした。
お祭りの順序を伝えて下さる係りがおられますが、それであっても普通はご本殿の中で何が行われておるのかは全く分かりません。
ご本殿の正面にも門があり、その中で執り行われている一連の事柄はただじっと座って待っている時間の方が長いくらいです。
そのような中にあり、国造以下多くの神官がお供え物を積んだ数々の三宝を捧げ持つようにしてご本殿の中に坐します大國主大神をはじめ数多の
神々の御前にお供えされる様子が、多少なりとも見られたのは何よりだと感じました。
そのお供え物の前にご本殿の御扉が開かれます、というアナウンスがあり、全員で起立して頭を垂れておりますとおーーーーーという警蹕
(けいひつ)の声が響き渡ります。
このような大きなお祭りの際には御扉なり御簾(みす)なりが開かれるのが恒例です。
この際自分が感じたのは、中に坐します大神の姿でした。
姿というよりも、途轍もなく明るく輝く光そのもののように自分の想念の中では感じ取っておりました。
古来人々はこの光り輝く存在を神として崇めて来たのだろうと思えるその姿?でした。
ただしいつも申すようにこれは自分自身が感じたことであり、本当にそうであるかどうかは全く分かりません。
あくまでもそのように思えたということだけを述べさせて下さいませ。
ともあれ、そのようにして粛々とお供え物は供えられて行き、最後は国造が大神様の前にお供えしたものをご一緒に召し上がるという御箸の儀
(みはしのぎ)という神事が執り行われます。
この際には箸を持って神様と相対しておる国造の前に、まるでクリスタルで出来たような透明の大國主大神がにこやかに座り、共に食事をして
おられる姿がイメージされました。
その透き通る身体は先にも感じたように眩い程に光り輝いており、とても目を開けておられぬほどにも思えます。
国造はその大神の御前にて儀式としてではありますが、確かにご一緒に食事をしておられるのだな、それが国造であられる由縁なのだなとも
感じておりました。
年に一度のこの御祭りに大神はこのようにして我々の元へ、さながら人間に似せた姿で現れて下さるのではとも思えた次第です。
その後に国造による祝詞奏上、また天皇のお遣い、勅使による御幣物と呼ばれる貢物が届けられ、勅使の祭文奏上が行われます。
巫女による巫女舞がご本殿前にて行われ、続いて参列された方々の玉串拝礼へと続いていきます。
最後は国造以下参員らの退下を見送り、これら一連の事柄が終わるとお祭りも終わりとなります。
このお祭りの詳しい内容は自分が以前書きました『例大祭について』に詳しく順序を述べておりますので
ご参照になってみて下さいませ。
今年はご参列の方もさほど多くはありませんでしたが、ご本殿を退出する際一番最後に出たところ、どうやら用意しておられました八足門外での
お餅は既に数が無くなったのか、貰えず終いとなりました。
このお餅を頂戴して食べるとその一年間は良い年になるとか、とどなたかが話しておられました。
ということは、今年はその恩恵に預かり損ねたのでしょうか;。(笑)
今回の例大祭はいつになく時間の経過が早く感じられた、そんなお祭りでした。




と、すみません;この間へ写真を挟み込もうとするのですが、どうしたわけか上手く行きません;。
何度か挑戦してみても駄目なようです。
それともこのパソコン自体がおかしいのか;。
いずれにしてもどうにもならないようですので、此処で一度終わりとさせて下さいませ。
申し訳御座いませんです;。
                               


かなり中途半端な形となりましたが、今日のところはこの辺りで終わらせて頂きたいと思います。
何ともお粗末なことですけれど、何時に変わらずお付き合い頂きました皆様、有難うございます。
感謝申し上げます。

                                           
コメント
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