日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

青いキャップの

2017-06-07 23:13:51 | 不思議なお話
こんばんは。
今日は朝から雨、その後この雨により中国中方も梅雨入りしたと発表されました。
久しぶりの本格的な雨でしたので、やっと作物も息を吹き返したようですが、長雨の方は少し遠慮願いたいところです。

                             

このところ、龍だの狐だのとそのような話題ばかりですけれど、そのような話をしていたからというわけではありませんが、あれこれと
思い出した事があります。
そんな話から一つ、書いてみようかと思います。

もう十数年、二十年近く前にもなるかと思いますが、ある仕事のご依頼を受けまして四国の金比羅宮からずっと辿って徳島まで参ったことが
ありました。
その最後の神社であった事です。
ご依頼のあった事というのは、その依頼主の方のところの従業員さんが社員旅行に行って戻られると、どうにも人が変わったようで怒りっぽくなり
ちょっとしたことで苛立ち、周りの人も困惑している、どうしたものかということでした。
神様にどうすればよいものかと伺ってみると、「まずはその行った先を辿って来てみよ、タヌキが憑いておる」というものとでした。
はぁ、タヌキですか?とこれも半分呆れた思いでしたが、タヌキというのは一体なんなのだろう、と思いつつも先ずは行くこととしました。

そこで早速、皆さんがお越しになった道順をなぞるようにして尋ねてみることにしました。
息子はその当時小学一年生、夏休みでもあり、置いておくわけにもいかず、連れて行きました。

朝早くに広島を出て、瀬戸大橋を渡り、まずは四国へと向かいます。
最初は、まず参拝したとされる金比羅宮です。
神様にタヌキといわれておりましたし、なんとはなくタヌキなら此処かな?とか根拠のない理由ですが、恥ずかしながらそこへ参ったという
こともありました。
ご存知のように千数百段はあるという階段を登り始めたのですが、さすがに上までは登るだけでも時間も掛かるしということで、途中の、誰も
いないような静かな場所で、その金比羅神宮の神様に、此処で何かあったのでしょうか、とお尋ねすると、
「此処ではない、阿波へ参れ」
と言われ、そこからまたひたすら高速を走り、徳島へと向かいました。
その前に、夏でもありかなり喉も渇き歩き疲れたことも手伝って、下の方にあるうどん屋さんでまずは水をもらい、次いで腹ごしらえをして
また一路、東へと走りました。

もうかなり昔のこととて、どこかまでは高速もなく長い坂道を登って行くと、急にひらけたような場所に出て、なんとも景色のよい処へ出た
ようなこともおぼろげですが、覚えております。
その後は、申したように高速を走りました。
どこかのSAで休憩したときは、高校野球の放送を備え付けのテレビで流していましたが、それがそのSAに近い場所の高校が対戦しておりま
したので、そんな様子を周りの人たちも興味深そうに観戦していたように思います。

徳島市内へ入り、その頃は今のようにパソコンもなく便利なグーグルマップなど当然あろうはずも無く、持参していたマップルを食い入るように
見つめながら、市内にある神社をあちこちとさがしていました。

一つ一つ目星をつけながら、此処かなどうかなと思いながら、尋ねて行ける所はそこまで足を運び、そこの神様に伺ってみても、どうにも釈然と
しません。
此処も会社の皆さんが来てみたよといわれていた眉山近くへも行き、その辺りの神社へ同じように尋ねてみましたが、やはりわかりません。
そうこうするうちに、日も暮れて結局はその日は宿を取り泊まることにしました。
先ほども書きましたが、折りしも夏でもあり、またお盆の前くらいだったのでしょうか、場所はどこら辺へ泊まったのかうろ覚えですが、夕方
から夜に掛けて近くの公園で阿波踊りの練習をしている音が響いて来ていました。

                               

翌日は、これまで通って来たところではどうにもわからないままでしたが、後は会社の方々は吉野川を渡り、鳴門辺りのインターから高速に乗り、
明石大橋を通って広島へ向けて帰ったと聞いております。
そこで、ここからもう一度、その鳴門までにある神社を、地図を頼りに尋ねて行きました。
此処で駄目なら、どうするかねと言いつつ、後はこの一社だけだね、といいながらその場所を確認するのですが、地図上では分かっても実際には
その神社へどのようにして行ったものやら検討もつきません。
地元の高齢者の方がゲートボールをしている広場の横に車を停めて地図を広げて見ていると、その中のお一人が「どうしたんや?」と
近づいてこられます。
「この神社をさがしているんですけど」と地図をお見せしていると、向こうの方から軽トラックが走ってきて
「そこへは、あそこを登っていったらええわ」と広場の奥を指し示します。
それを聞いて、自分は既に歩き出し、車に乗っていた主人はそのオジサンとまだなにやら話をしていたようでした。
車が一台通れる道を一人で歩きながら、その神社へ辿り着きました。
主人が運転する車も程なく到着し、そこの神様におうかがいしてみました。
そうすると、やっと此処で真相が判明しました。

此処へ来るときに渡った吉野川へその昔、洪水があり、上の方から流されてきた男の魂が元の自分の里に戻りたい、それで旅人である件の従業員
の男性に憑いたのだと、そこの神様に教えて頂いたのでした。
つまりは、タヌキというのは、人間の男の魂をいうもので、あまり素性のよろしくない者のことをそう申すようでした。
また、何故その人に憑いたのかといえば、お互いの波長が合うようなもの同士がそうなりやすい為でもありました。
結局そこでやっと事の真相も分かり、ほっとしたのですが、先ほどから数多の蝉の喧騒の中を歩いて登ってきたこもあり、かなり喉も渇いている
ことに気づきました。
そうしてこれもまた自分が登ってきて気づいたのですが、神社のその表側に当たるほうには参道となる長い階段がありました。
ちょうどそこへ、その炎天下に杖をつき、お年の割りには不釣合いな程の真っ青なキャップを被ったおじいさんが一人登ってきました。
初対面の自分達親子三人を見ても、特段驚いた様子もなく
「やぁ、ご苦労さんなねぇ。わしゃこの方へ住んどるもんでの、毎日こうして此処へお参りするんよ。ほんでの、こうして持っとる缶コーヒーを
 飲むんが楽しみなんじゃ」といいながらナイロン袋に入ったその缶コーヒーを一本ずつ自分達へ手渡して下さいます。
喉の渇いていた自分はこれは助かるとばかりに、おじいさんにお礼を申して、その缶コーヒーを受け取り飲み干しました。
そのおじいさん自身は、「わしはまだ、この上におっての観音さんまで参るんじゃ、ほんならの」と言って、自分はそこではそのコーヒーには
口もつけずに神社の奥に見えている細い道をまた登って行かれました。
有難うございました、とお声を掛けて、ん?となんとなく違和感を感じ、そのおじいさんが登っていった山道を今度は自分が駆けて行ったの
ですが、いくら慣れているおじいさんでもそこまでは速くなかろうにと思うのに、その姿はどこにも見当たりませんでした。

「お父さん、あのおじいさん、おらんかったよ」と主人に言うと
「あれは、神様の使いじゃろうて」と申します。
え?と怪訝そうな自分に、
「考えてもみぃ、おじいさん一人で毎日登るというのに、なんで缶コーヒー4つも持ってくるんよ?自分らは貰うて飲んだけど、本人は口にも
 せんかったじゃろう?」
とも話します。
確かに言われてみれば、神様にお伺いをして終わった途端、計ったように現れて、しかも余分に3本も持ち、自分は飲みもせず、スタスタとでも
いう風に山道を何処へともなく姿を消したのですから。
今でも印象に残っているのは、そのおじいさんが被っていたあの目の覚めるような青いキャップと、おじいさんの背丈ほどもあった長い杖です。
もしかすると、ちょっと洒落た山の神様、だったのかもしれませんね。

そんなこともありましたが、目的も果たし、そこの神社を後にして帰路につくこととし、来た道を車で麓までおりました。
そこでは、先ほどまで結構な数の高齢者がおられたにもかかわらず、全くどなたも見えません。
そういえば、此処へ登るときも、自分達が何処へ行きたいなど一言も話もしないうちに軽トラがやって来て、行くべき道を教えてくれていたの
でした。
タヌキではなく、それこそキツネにつままれたような気持ちでそこを後にし、すぐ近くのインターから高速へ入ったのですが、その高速からは
先ほどの神社の屋根がチラリと見えていたのでした。

帰宅し、件のそのタヌキといわれた魂については、縁もゆかりも無い者でもありますし、むしろあだなすような者にも感じられましたので、その
ように叱るような文言を以ってその魂を御祓いし、従業員さん自身も元の穏やかな方にと戻られました。
詳細はまだ事細かにありますが、概略を言えばそのようなことでした。

                                                                  

自分達が承る事柄は、大体このようなちょっと考えにくいようなことも数多く、それがむしろ当たり前のようですので、さして驚きもしません
が、このおじいさんには後々考えてもどうにも不思議でなりませんでした。
山の神様だったのかも、と書きましたがそこの神社、金比羅神社となっておられ、もしかするとそこの神様がそのような人間の姿に似せて出て
こられたのかもしれませんね。

                                

この話には、もう一つ後日談があります。
それは、この四国行きから帰って二日後、自分自身は高校の同窓会があり、出席した後実家へ一晩泊まったのですが、それから戻ると疲れが出た
のか、次の日の朝、唸る様な胃の痛みで目が覚め、結局は急性胃炎で4日間ほど入院したのでした。

四国行き、大変ではありましたが、色んなことがぎゅうぎゅうに詰まった、そんな旅でもありましたことも合わせてご報告致すものです。


だんだん胡散臭いような、わけ分からんブログとなっておりますけれど;、そんなブログへのお付き合い、今日も有難うございました。


                                

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