日々徒然なるままに

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神迎祭後の大神 龍蛇神の言葉 

2018-11-21 20:54:48 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝から曇りがちで、殆どお日様は出ないような一日でした。
気温もさほど上がらず、といっても10度程度はありますので寒くて堪らないというほどにはなく、冬が近いんだねぇという一日でした。


                                   

                                  


                               


                                 





昨日チラリと書いておりましたゴーン氏のこと、どうやら自分の頭では分からない与り知らぬ裏の世界の事もあるのでしょうね、当たり前ですけれど。
巨額の私腹を肥していたと言われますが、それだけであそこまで大々的に派手派でしく報じるものなのか、何かしらがあるからこそでしょうが
何とも不可解な思いが致すものです。
まぁ所詮雲の上の方のお話、様々な思惑がからんだ今回の事であったようです。





                                    





申しておりました神迎祭の白い御幣、持ち帰ったつもりが帰宅するとどこにもありません;。
ずっと手にしていた記憶がありますし神楽殿でも常に携えておりました。
それでもどこかへ落としたのでしょうか。
龍蛇神講(りゅうじゃじんこう)というものに入っております故、そちらで頂いた金色の御幣は御神札と共に封筒へ入れており、鞄に入れて
しっかりと持ち帰りましたが、手にした方のは消えてしまいました;。
御本殿で拝礼した際に、うっかり落としたのかなとも思いますけれど仕方ありませんね。
お祭りの様子はこの目にしっかりと焼き付けておりますし、それで良かったと考えております。
また来年、もし参らせて頂けるようでしたらば次回は無くさぬよう持ち帰りたいと思います。
ちなみに来年の神迎祭、鬼が笑うかもしれませんが(笑;)旧暦10月10日、カレンダーですと11月6日の水曜日となるのではと思われます。
ちょうどウィークデイの中頃、今年程には人が集まらないかもしれません。
けれど毎年ですけれど、この神迎祭を皮切りに続く一週間は出雲大社にて神在祭が斎行されますし、その間に縁結び大祭も執り行われます。
まだまだ今年のお祭りには充分に間に合いますので、24日の神去出祭(からさでさい)まではお足を運ばれてみられては如何でしょうか。
神々が宿泊しておられるという東西の十九社(じゅうくしゃ)にはこの期間にはそれぞれの神々にお供え物がされております。
その一つひとつに手を合わされましてご自身の感謝と思いをお伝えになるのも如何かと存じます。
『八百萬神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り賜ひて』(やほよろづのかみたちをかむつどへにつどへたまいかむはかりにはかりたまひて)と
大祓詞(おおはらへののり)の最初に述べられておるように、神在祭では八百萬の神々が出雲の地に一同に会して数多の人々のご縁を執り結ぶと
されております。
何も男女の縁(えにし)のみに限らず人と人の縁、或いはより大きなご縁を頂かれる方もおられるのではとも思います。
年に一度のこのお祭り、次にはどうぞ貴方がお越しになられてみて下さいませ。





                                     





                                     





                                     
                                  


                                      

                                       





                                      
                                      (白い御幣は昨年のものです)




お祭りより戻り、中一日おいて我が家の大神様より賜った言葉です。
正直日曜日は、自分自身使い物になりませんでしたので(笑;)ブログは上げておりましたが日中は殆どグダグダして過ごしておった訳です;。
ですので大神からのお言葉も明けて次の日にようやっとまともにおうかがい出来たというのが正直なところですね。

 
 大神

 〝 我は 我である

   それをどのように受け取ろうが それら(その者ら)次第


   遣わしし龍 より一層の力を授けおる

   どのような言葉を使おうとも構わぬ

   より一層の働きを致させよう


   そなた自身 己に自信を持て

   これまでの数年で 失うておった自信を取り戻せ


   そなたの足(車)も然りじゃ  〟


このような言葉を受け取りました。
我は我である、これは今回の神在祭にお越しになられていた方々への言葉のようです。
どのように受け取ろうとも、神は神でありそれ以外の何物でもないということでしょうか。
受け取り様、その事自体に優劣をつけるのではなく、その人自身が感じ取るように感じればいい、受け取ればいい、そのようなことなのだとこの
言葉で改めて思わせて頂きました。
確かに神とはこうでなければいけないなどという定義があるわけではありません。
どのように感じようとも捉えようとも、その人次第、確かにそうであるよなと思えた言葉でした。

遣わしし龍、これは言うまでもなくテラのことでしょう。
実際、お祭り直後、彼がそばにいてもどこかこれまでより一層逞しくなっているようにこれも感じられました。
いつもはまるでチンタラ(いやいや;龍に対して言う言葉ではありませんけれどね;)してるように思える彼ですけれど、その実際はこれも申す
ように神に仕えておる龍です。
ひとたび大社(おおやしろ)にあれば、その姿はいつものそれではなく掴みどころがないほどに大きく迫力あるものへと変容して行きます。
その姿こそが彼の真の姿であるのでしょうから、何をかいわんやでもありますけれど。
彼自身が大社へ戻りたいと希う(こいねがう)ように言うのも理解出来る話です。
これより尚一層、強力になり傍らで力を貸してくれるのでしょう、頼もしくも楽しみでもあるテラです。

足、これは取りも直さず車であります;。(笑;)
そう、これだけはどのようにしてでもしっかりと確保したい、そう切に願う自分です。
歌のように『銀の龍の背に乗って』行ければ良いのですけれど。
って、あれはもしかすると少しばかり、いやかなり意味合いが違うのかもしれませんね。
此処についてのお話は、いずれまたの機会にと致しましょう。


続いて我が家でもお祀りしております龍蛇神からの言葉も受け取りました。


 〝 我のもとに 参りし者ら 様々おる
  
   (波動の)高き所で捉えたならば そのように

   低いならば そのように思うまで

   我は 我なり  〟


此方も大神同様、受け取る側が高い次元、波動の部分で受け止めるならばその部分を拾い上げ、低い所で捉えたならばそのように感じ取るという
大神も言われたと同様の事を話して下さいました。
確かにその通りですね。
同じものを見ていたとしても、それが例えばリンゴであるとしても美大生が見るそれと赤ちゃんが見るそれでは、その隔たりはかなり大きいのでは
と考えられます。
それと同様のことが神を感じることにおいても言えること、そのように話されたのでした。
どう捉えようが、その人次第、要するにそういうことに尽きるのだと今回思いました。
しゃっちょこばって、こうでないといけないと四角四面に捉えるのではなく、その人その人で感じ取り方が違って当然なのだ、そのように言われた
気が致しました。
そのまんま、当たり前のことですけれど、なるほどそうかと、これまた自分の腑に落ちた感覚でした。
まだまだ修行が足りません;;。
 
                                        

                                        


                                  


さてそのテラですけれど。
大社からの帰り、やっとまた二人きり?の空間で話が出来るようでした、と書くとどこか秘めておるように感じられますが、何のことはない車と
いう密閉された中で他に話す人とていないわけでテラ以外相手がおりません;。(笑)

 
 “ あー あんさん 疲れはったんとちゃうの?

   なんやしらん 運転 しんどそうでっせ  ” 


 分かる? 

 
 “ そら分かりますがな 

   どうにもならへんようなら

   いっそ早めに高速下りて 

   下道行かはった方がええんちゃうの? ”


 うーん そうも思うけど そうしたらまた何十分か遅くなるしねぇ
 いい加減 早く家に着きたいし


 “ それも分かりますけんど 

   気ぃ使うて高速行くよりも

   飛ばさんと帰れる方が ええんやないの? ”


  まぁねぇ それも言えるよねぇ


などとさして大したことは話しておりませんが、実際かなり疲れが出ていたようなのは昨日も申した通りでした。
対向車が来なければライトを上向きにして走っておりましたが、それをしながらも何かしんどいなぁと感じていた頃でした。
テラが言ってくれるように少し早めに高速を下りて下道をのんびり帰る手もありましたが、結局は下から戻っても坂だのカーブだので余計しんどい
かもと感じ広島インターまで走り通したのでした。
脳内会話ではありますが、誰かが居てくれるというのはこうも心強いものなのか、と今更ながらに感じた夜の走行でした。

そんないつもの会話を交わしながらも、この月曜ではどこか違う様相を見せていたテラでもあるのですけれど。
これについてはまたの機会と致しましょう。(こればっかりですけどね;)


 


                                    






昨年も募集致しましたが、毎年旧暦の元旦の子の刻、つまりは新年になってすぐの午前一時に出雲大社の神楽殿に於きまして皆様に福と徳を授け
招福開運をご祈念致します福徳祭が斎行されます。
それに因み、このお祭りに直にご参拝は出来ずともこの時に同様にご祈念して頂きますと共に、この一年間、皆様にその福と徳を常にお持ち
頂こうとの事から小さな御守りをお持ち頂くように致しております。
それと共に、この御守りをお持ち頂く事で福徳会の会員というものになって頂くについて会員章もお授け致します。
この会員章、もし出雲大社にお越し頂くことが御座いましたらば、水戸の黄門様宜しく(笑)大社の職員にお見せ頂きますと、境内をご案内させて
頂ける特典が付いて参ります。
つまりはごく普通にご参拝頂きましたら見られないであろう所も、係りの者がご説明致しながらご一緒に案内するということが出来るかと存じます。
毎年の事ですので一年毎に御守りをお求め頂くようにはなりますけれど、是非ともこの機会にお大國様(おだいこくさま)のご親縁に結ばれて
より一層の幸栄えを賜られますよう、ご案内申し上げます。
御守りは一つに付き3百円で御座います。
尚、募集は来年の1月18日までとさせて頂きます。
ご入用の方は是非ともお申し出下さいませ、お待ち申し上げております。

              kimikimiblue13@gmail.com

此方までご連絡下さいませ。



                                        





夕方はやはりあまり芳しくないお天気でした。
どうやら今夜遅くには雨になるとのこと、明日は一日雨かもしれません。
冷たい雨になるのでしょうか。





                                          





本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。

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