こんばんは。
朝はどんよりとしていましたが、じきに晴れ間が見えて来て自分の知る限りではお天気はそこそこ良かったようでした。
朝から殆ど出ずっぱりでただいま18時半、少し前に戻って来ました。
ですので簡易的なものとなるかと思いますが宜しくお願いします。
出ずっぱりというのは新年のお祓いに参らせて頂いておったからですね。
朝一軒、午後から一軒、そう言うのならなんと簡単なことよと我ながら思いますが、終えて戻るとやはりぐったりします。
自分でも知らぬ間に緊張しているのかもしれません、殊勝にも;。
(朝のバス停へ行くまでの道すがら この時はまだこんなに曇っていました)
朝は一昨日のことを思い家を出てバスに乗ると、今日から出勤の方々の車でいつもの渋滞にはまり、車屋さんへ早ければ20分で到着
するものが1時間かかっていました。
まぁこれが普通でしょう、その計算を頭に入れずに家を出てその後が少し遅くなりました;。
それでも信者さんとのお約束の時間頃にはなんとか到着出来ましたので良しとしましょう。
此方のお宅は市内でも隣の郡部と境をなす辺りですので、冬場はこれまでですとかなり雪が積もっておりました。
しかし近年そのようなことも少なくなり走りやすくはなりましたが、なんとなく物足りなさもありますね。(贅沢なことを;)
いずれにしても寒い地域です。
今は娘さん夫婦と棟は別でも同じ敷地内でお暮しになっておられる80歳はとうに過ぎた方ですが、耳も遠くなく身体も丈夫でお元気な
方です。
いつものように神様にご挨拶をして持参した破魔矢を神棚のある場所で入れ替え、祝詞を奏上致しました。
取り立てておかわりも無く、それが一番の何よりかと思いますね。
主人の頃からの信者さんですし何かにつけて昔の話が出てきますが、それが楽しみでもあられるのでしょう。
毎回それほど変わらぬ話に終始しますが、今日はやはり以前からお付き合いのありました旧い信者さんが昨年亡くなられたという訃報
を耳に致しました。
まさかあの方がという気もしますが、いつであったかその方にばったりとその近辺でお会いしたことがあり、実は肺がんになってね
というお話を聞いておりました。
それでも割とお元気そうで、どうか息災でお過ごしくださいとお別れしたのが、今思うとその方との最後にお目にかかった時かもしれ
ません。
今日参りましたお宅の方が仰るのに今はコロナ禍で何処かでご不幸があっても誰も何も言われないし、しばらく経ってからあの方は
亡くなられたんよと教えてもらう程度になりましたと話されます。
確かにご葬儀も以前のようにひと様にお越し頂くよりもごく内輪で家族葬でなさるところが多いとも聞きますしね。
最後のお別れがこのような形で出来ないというのは、以前にも申したかもしれませんがやはり悲しいものだよねぇと感じます。
最後だからこそ、その方とのお別れが言いたいのにという気持ちも何も奪われてしまったようにも思えます。
辛いものですね・・・。
午前中を終えて実際には午後からは取り立てて予定は無かったのですが、一軒だけ寄らせて頂こうと思っていたお宅へ行って参りました。
此方も元々旧いお付き合いのある信者さんですが主人亡き後から疎遠になっておったお宅です。
しかし朝参らせて頂いたお宅からちょうど帰路の途中、ちょっと寄り道する格好ですがそのような所へおありですので参らせて頂きました。
疎遠と言っても時折此方の息子さん(自分より上の方ですが)と電話で話したりはしますので、新年でもありお顔だけでも覗かせて
頂こうと考えたのでした。
此方はまさに山の中の谷間に在るお宅で参ろうと思わねば行かれない、そんな場所でもあります。
自然に囲まれた良いところです。
大手のあるそのお宅へ参りますと息子さん、仮にAさんとすればその方の新しい車が停まっていました。
こんにちはぁと声を張り上げると、Aさんが以前から自分の部屋として使用している納屋の二階から下りて来られました。
やぁやぁようこそと出迎えで下さり、せっかく来たんだから上がってくださいやと母屋の座敷に通して頂きました。
以前はそこへお祀りしておられます神棚へ年に三回、厄月のお祓いへ参らせて頂いておった訳ですね。
此方の方は今年で93歳、もういよいよ駄目になりましたわと言われながらも割とお元気そうなお顔で出迎えて下さいました。
Aさんは以前から年老いたご両親の為に日曜毎に此方へ戻られ、農業の手伝い等をしておられます。
けれどおじいちゃんは8年ほど前に他界され、残されたおばあちゃんが余計に気がかりで今は10年前に退職後、毎日往復30数キロを
戻って来ておられるようですね。
信者さんであるおばあちゃんがあまり動けなくなった分、Aさんが以前では考えられない程(というと失礼ですが;)こまめにお茶を
出して下さったり、何かと動いておられるようです。
結構積もる話?もあり、なんやかやと賑やかに久しぶりで声を出して笑った気がします。(どういう暮らししてるのよ、普段;)
そうこうするうち畑から大根やら白菜を取って持たせて下さったりされますので、せっかく参らせて頂いたのだからと此方の神棚の
神様へ久方ぶりにご挨拶も兼ねて新年の祝詞を上げさせて頂きました。
今思うとなんとなく此方の神様が、そろそろお前、また祓いに参らぬか?と言われたような気がしないでもありませんね。
そうだとすればとても嬉しいのですけれど。
なんやかんやと話をさせて頂き、たくさんの野菜も頂戴し、此方のお宅を辞しました。
終わってみれば確かに疲れはしましたが、これもまた久しぶりで充足感のある一日であったなと感じております。
(ちゃんと信号待ちで撮りました、念のため(笑))
(かっこええ車じゃと撮ったのでありました;)
このようにして今日が終わりました。
お祓いの一日ということでご容赦くださいませ。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝はどんよりとしていましたが、じきに晴れ間が見えて来て自分の知る限りではお天気はそこそこ良かったようでした。
朝から殆ど出ずっぱりでただいま18時半、少し前に戻って来ました。
ですので簡易的なものとなるかと思いますが宜しくお願いします。
出ずっぱりというのは新年のお祓いに参らせて頂いておったからですね。
朝一軒、午後から一軒、そう言うのならなんと簡単なことよと我ながら思いますが、終えて戻るとやはりぐったりします。
自分でも知らぬ間に緊張しているのかもしれません、殊勝にも;。
(朝のバス停へ行くまでの道すがら この時はまだこんなに曇っていました)
朝は一昨日のことを思い家を出てバスに乗ると、今日から出勤の方々の車でいつもの渋滞にはまり、車屋さんへ早ければ20分で到着
するものが1時間かかっていました。
まぁこれが普通でしょう、その計算を頭に入れずに家を出てその後が少し遅くなりました;。
それでも信者さんとのお約束の時間頃にはなんとか到着出来ましたので良しとしましょう。
此方のお宅は市内でも隣の郡部と境をなす辺りですので、冬場はこれまでですとかなり雪が積もっておりました。
しかし近年そのようなことも少なくなり走りやすくはなりましたが、なんとなく物足りなさもありますね。(贅沢なことを;)
いずれにしても寒い地域です。
今は娘さん夫婦と棟は別でも同じ敷地内でお暮しになっておられる80歳はとうに過ぎた方ですが、耳も遠くなく身体も丈夫でお元気な
方です。
いつものように神様にご挨拶をして持参した破魔矢を神棚のある場所で入れ替え、祝詞を奏上致しました。
取り立てておかわりも無く、それが一番の何よりかと思いますね。
主人の頃からの信者さんですし何かにつけて昔の話が出てきますが、それが楽しみでもあられるのでしょう。
毎回それほど変わらぬ話に終始しますが、今日はやはり以前からお付き合いのありました旧い信者さんが昨年亡くなられたという訃報
を耳に致しました。
まさかあの方がという気もしますが、いつであったかその方にばったりとその近辺でお会いしたことがあり、実は肺がんになってね
というお話を聞いておりました。
それでも割とお元気そうで、どうか息災でお過ごしくださいとお別れしたのが、今思うとその方との最後にお目にかかった時かもしれ
ません。
今日参りましたお宅の方が仰るのに今はコロナ禍で何処かでご不幸があっても誰も何も言われないし、しばらく経ってからあの方は
亡くなられたんよと教えてもらう程度になりましたと話されます。
確かにご葬儀も以前のようにひと様にお越し頂くよりもごく内輪で家族葬でなさるところが多いとも聞きますしね。
最後のお別れがこのような形で出来ないというのは、以前にも申したかもしれませんがやはり悲しいものだよねぇと感じます。
最後だからこそ、その方とのお別れが言いたいのにという気持ちも何も奪われてしまったようにも思えます。
辛いものですね・・・。
午前中を終えて実際には午後からは取り立てて予定は無かったのですが、一軒だけ寄らせて頂こうと思っていたお宅へ行って参りました。
此方も元々旧いお付き合いのある信者さんですが主人亡き後から疎遠になっておったお宅です。
しかし朝参らせて頂いたお宅からちょうど帰路の途中、ちょっと寄り道する格好ですがそのような所へおありですので参らせて頂きました。
疎遠と言っても時折此方の息子さん(自分より上の方ですが)と電話で話したりはしますので、新年でもありお顔だけでも覗かせて
頂こうと考えたのでした。
此方はまさに山の中の谷間に在るお宅で参ろうと思わねば行かれない、そんな場所でもあります。
自然に囲まれた良いところです。
大手のあるそのお宅へ参りますと息子さん、仮にAさんとすればその方の新しい車が停まっていました。
こんにちはぁと声を張り上げると、Aさんが以前から自分の部屋として使用している納屋の二階から下りて来られました。
やぁやぁようこそと出迎えで下さり、せっかく来たんだから上がってくださいやと母屋の座敷に通して頂きました。
以前はそこへお祀りしておられます神棚へ年に三回、厄月のお祓いへ参らせて頂いておった訳ですね。
此方の方は今年で93歳、もういよいよ駄目になりましたわと言われながらも割とお元気そうなお顔で出迎えて下さいました。
Aさんは以前から年老いたご両親の為に日曜毎に此方へ戻られ、農業の手伝い等をしておられます。
けれどおじいちゃんは8年ほど前に他界され、残されたおばあちゃんが余計に気がかりで今は10年前に退職後、毎日往復30数キロを
戻って来ておられるようですね。
信者さんであるおばあちゃんがあまり動けなくなった分、Aさんが以前では考えられない程(というと失礼ですが;)こまめにお茶を
出して下さったり、何かと動いておられるようです。
結構積もる話?もあり、なんやかやと賑やかに久しぶりで声を出して笑った気がします。(どういう暮らししてるのよ、普段;)
そうこうするうち畑から大根やら白菜を取って持たせて下さったりされますので、せっかく参らせて頂いたのだからと此方の神棚の
神様へ久方ぶりにご挨拶も兼ねて新年の祝詞を上げさせて頂きました。
今思うとなんとなく此方の神様が、そろそろお前、また祓いに参らぬか?と言われたような気がしないでもありませんね。
そうだとすればとても嬉しいのですけれど。
なんやかんやと話をさせて頂き、たくさんの野菜も頂戴し、此方のお宅を辞しました。
終わってみれば確かに疲れはしましたが、これもまた久しぶりで充足感のある一日であったなと感じております。
(ちゃんと信号待ちで撮りました、念のため(笑))
(かっこええ車じゃと撮ったのでありました;)
このようにして今日が終わりました。
お祓いの一日ということでご容赦くださいませ。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。