こんばんは。
一日曇り空で、よく言う花曇りという感じの日でした。
夕方多少日射しはありましたが、夜遅くからは雨ということですしこんなお天気なのかもしれません。
家の中にいるとひんやりしますが、外へ出るとそれほどでもなく今の時期らしい気温に感じます。
桜もつい先日まで一分咲きだった近所の公園の桜も今日行ってみると満開になっていました。
ただし山桜は昨年の今頃は既に咲いていましたが、此方はまだ5分咲きといった感じでしょうか。
これもしかし今夜雨が降ると、そこまで咲くようにもなく散ってしまうのかなと思ったり。
これ位の時期は大抵一度か二度は雨が降り、その分桜の状態にやきもきするように感じますね。
もっとも、今年もどうやら桜の花の下ではお弁当を広げてお花見をという事にはまだならないようですし、なんともなぁ;と感じる
ところでもあります。
それでも昨年よりも今年の方が心置きなく桜の花を見上げられるようにも感じますね。
午後からはそんな桜を見にこの近隣を散歩してみましたが、先に書くように山桜はまだ満開とはならず、一緒に出て来る葉っぱの方が
目立つようでもあり。
八幡さんの前の枝垂れ桜は見事に咲いておりました。
お花見は出来ないだろうと上に書いておりますが、この八幡さんの前のごく狭いスペースで20~30代と思しき若い男女、それも幼い子
を連れてご丁寧にもシートを広げ、その上に手作りのお弁当とビールまで持参してパクつきつつ大声で喋っていました。
言葉使いからしてこの辺りの人間とは思えず、何処かからの転勤者かと感じましたが、非常識にも程があると思いますね。
余程言ってやろうかと思いましたがこういう連中に関わり合ってもろくなことにはならないのは分かり切っているので、黙って見過
ごしましたが。
心の中で「馬に蹴られてシンジマエ」と悪態をついておりましたね;。
なんで急に馬が出て来たのか、自分でも分かりませんが。(笑)
いつの世も良識のないヤカラというのはいるもんだよなぁと感じた次第です。(言葉がだんだん悪くてすみません;)
(上とは別の山桜 まだ蕾が多いようです)
(我が家の二階から見える山桜)
(川沿いの山桜 川向うなのでこれが精一杯;)
(これは花桃かと)
(公園のソメイヨシノ 満開でした)
(八幡さんの枝垂れ桜)
(神社の拝殿?にそっと置いてあった一枝)
今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日は石長比売神(いわながひめのかみ)の香りをつけて致しました。
石長比売神
〝 もの皆 生々流転
花は枯れ 命尽きようとも
種を残し次代へと生を紡いで参る
そちらも同じこと
己の身体尽きるとも
必ずその御霊は尽きること無く
連綿と続いて参るのぞ 〟
このような言葉でした。
何度か書いておるように、妹の木花開耶比売神は繁栄を齎すとされますが、姉であるこの石長比売神は永遠の命を授けるとされている
ようです。
そのような事から上のように言われたのでしょう。
花は枯れてしまいますが、その種を残すことで次代へとその命を繋いでいくことになると言われます。
人間も同じように入れ物としての肉体、身体は滅びますが、本当の自分である御霊、魂は決して滅びることなく連綿と続いて行くのだ
と仰います。
人間はその人が亡くなってしまえばもうこの世にはいない、それでおしまいと思っておりますが、実際にはそうではなく、器として
の肉体は無くなったとしても、本来のその人自身はまたいずれ別の肉体を授かり、またこの世に生を受けるとも言われます。
此処の部分は今の時点でうまく説明し難いのですが、側の入れ物となる肉体が変われば、さながら水がその形を変えるようにその人の
性別も性格も変わって出て来るとされているようです。
同じ日本人とも限らないし、時代も現在と限らないとも言われます。
しかしどのような時代であれ性別であれ、その人自身の本質は変わることなく続いて行くのだとされているようです。
これがご理解頂ければ、今生のその人とは同じ肉体を持って相見える(あいまみえる)ことは叶わずとも、何処かで必ずその人は居る
とお分かり頂けるようになるのではと思います。
この先もまだあるのですが、あんまり突飛なことを申し上げても、いや、それないでしょう;と思われるでしょうしね。
要するに目で見えるその人は居なくなっても必ず何処かへは存在するよ、ということかと。
俄かには信じられない話のようですが、そのように思っておいて頂ければなと存じます。
朝は8時半までに以前話していた古いファンヒーター等を収集してもらう日でした。
ですのでご近所さんに一輪車をお借りし、その上に古いそれらを乗せて何往復か、ゴミの収集場所まで運びました。
手で持って行くのは無理でもこうして一輪車で運べば、非力な自分でもなんとか運ぶことが出来ました、やれやれです。
それでも結構な重さがありましたし、最後の古いガスレンジを運んで戻った時にはしばらく両腕がだるかったですね;。
弱っちいよなと我ながら思うのですが運ぶ場所は上り坂でしたしね、その意味では頑張ったかと思ったりもします。(自分に甘い 笑;)
また、これは言っていませんでしたが、地域ネコのお世話をして下さる若いご近所さんがこれまではおられました。
その方がご主人のお身体のこともあり郷里に戻られることとなりまして、昨日お別れをしておりました。
荷物は昨日の段階でトラックで持ち出してもらい、自分達は寝袋で寝るだけ、と昨夕話していらっしゃいましたね。
またこのご夫婦は自分達でもネコを飼っておられますので、今朝方その子達二匹も一緒に車で半日程かけて戻って行かれたようです。
ちょうど我が家の前の道路を通るようになるので、今朝もう一度お会い出来ないかなと思いましたが、さすがに無理でした;。
それでもたまたま自分が外を掃いているとご夫婦の乗った車が通っていらっしゃるのを見かけることが出来、ああこれだけでも良しと
せねばと感じたことでした。
いつか遊びに来てくださいと言って下さっていた彼女、そうですよね、いつか行ければ良いなと思っております。
温泉と景色を楽しんで来れたら素敵かもしれません。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
一日曇り空で、よく言う花曇りという感じの日でした。
夕方多少日射しはありましたが、夜遅くからは雨ということですしこんなお天気なのかもしれません。
家の中にいるとひんやりしますが、外へ出るとそれほどでもなく今の時期らしい気温に感じます。
桜もつい先日まで一分咲きだった近所の公園の桜も今日行ってみると満開になっていました。
ただし山桜は昨年の今頃は既に咲いていましたが、此方はまだ5分咲きといった感じでしょうか。
これもしかし今夜雨が降ると、そこまで咲くようにもなく散ってしまうのかなと思ったり。
これ位の時期は大抵一度か二度は雨が降り、その分桜の状態にやきもきするように感じますね。
もっとも、今年もどうやら桜の花の下ではお弁当を広げてお花見をという事にはまだならないようですし、なんともなぁ;と感じる
ところでもあります。
それでも昨年よりも今年の方が心置きなく桜の花を見上げられるようにも感じますね。
午後からはそんな桜を見にこの近隣を散歩してみましたが、先に書くように山桜はまだ満開とはならず、一緒に出て来る葉っぱの方が
目立つようでもあり。
八幡さんの前の枝垂れ桜は見事に咲いておりました。
お花見は出来ないだろうと上に書いておりますが、この八幡さんの前のごく狭いスペースで20~30代と思しき若い男女、それも幼い子
を連れてご丁寧にもシートを広げ、その上に手作りのお弁当とビールまで持参してパクつきつつ大声で喋っていました。
言葉使いからしてこの辺りの人間とは思えず、何処かからの転勤者かと感じましたが、非常識にも程があると思いますね。
余程言ってやろうかと思いましたがこういう連中に関わり合ってもろくなことにはならないのは分かり切っているので、黙って見過
ごしましたが。
心の中で「馬に蹴られてシンジマエ」と悪態をついておりましたね;。
なんで急に馬が出て来たのか、自分でも分かりませんが。(笑)
いつの世も良識のないヤカラというのはいるもんだよなぁと感じた次第です。(言葉がだんだん悪くてすみません;)
(上とは別の山桜 まだ蕾が多いようです)
(我が家の二階から見える山桜)
(川沿いの山桜 川向うなのでこれが精一杯;)
(これは花桃かと)
(公園のソメイヨシノ 満開でした)
(八幡さんの枝垂れ桜)
(神社の拝殿?にそっと置いてあった一枝)
今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日は石長比売神(いわながひめのかみ)の香りをつけて致しました。
石長比売神
〝 もの皆 生々流転
花は枯れ 命尽きようとも
種を残し次代へと生を紡いで参る
そちらも同じこと
己の身体尽きるとも
必ずその御霊は尽きること無く
連綿と続いて参るのぞ 〟
このような言葉でした。
何度か書いておるように、妹の木花開耶比売神は繁栄を齎すとされますが、姉であるこの石長比売神は永遠の命を授けるとされている
ようです。
そのような事から上のように言われたのでしょう。
花は枯れてしまいますが、その種を残すことで次代へとその命を繋いでいくことになると言われます。
人間も同じように入れ物としての肉体、身体は滅びますが、本当の自分である御霊、魂は決して滅びることなく連綿と続いて行くのだ
と仰います。
人間はその人が亡くなってしまえばもうこの世にはいない、それでおしまいと思っておりますが、実際にはそうではなく、器として
の肉体は無くなったとしても、本来のその人自身はまたいずれ別の肉体を授かり、またこの世に生を受けるとも言われます。
此処の部分は今の時点でうまく説明し難いのですが、側の入れ物となる肉体が変われば、さながら水がその形を変えるようにその人の
性別も性格も変わって出て来るとされているようです。
同じ日本人とも限らないし、時代も現在と限らないとも言われます。
しかしどのような時代であれ性別であれ、その人自身の本質は変わることなく続いて行くのだとされているようです。
これがご理解頂ければ、今生のその人とは同じ肉体を持って相見える(あいまみえる)ことは叶わずとも、何処かで必ずその人は居る
とお分かり頂けるようになるのではと思います。
この先もまだあるのですが、あんまり突飛なことを申し上げても、いや、それないでしょう;と思われるでしょうしね。
要するに目で見えるその人は居なくなっても必ず何処かへは存在するよ、ということかと。
俄かには信じられない話のようですが、そのように思っておいて頂ければなと存じます。
朝は8時半までに以前話していた古いファンヒーター等を収集してもらう日でした。
ですのでご近所さんに一輪車をお借りし、その上に古いそれらを乗せて何往復か、ゴミの収集場所まで運びました。
手で持って行くのは無理でもこうして一輪車で運べば、非力な自分でもなんとか運ぶことが出来ました、やれやれです。
それでも結構な重さがありましたし、最後の古いガスレンジを運んで戻った時にはしばらく両腕がだるかったですね;。
弱っちいよなと我ながら思うのですが運ぶ場所は上り坂でしたしね、その意味では頑張ったかと思ったりもします。(自分に甘い 笑;)
また、これは言っていませんでしたが、地域ネコのお世話をして下さる若いご近所さんがこれまではおられました。
その方がご主人のお身体のこともあり郷里に戻られることとなりまして、昨日お別れをしておりました。
荷物は昨日の段階でトラックで持ち出してもらい、自分達は寝袋で寝るだけ、と昨夕話していらっしゃいましたね。
またこのご夫婦は自分達でもネコを飼っておられますので、今朝方その子達二匹も一緒に車で半日程かけて戻って行かれたようです。
ちょうど我が家の前の道路を通るようになるので、今朝もう一度お会い出来ないかなと思いましたが、さすがに無理でした;。
それでもたまたま自分が外を掃いているとご夫婦の乗った車が通っていらっしゃるのを見かけることが出来、ああこれだけでも良しと
せねばと感じたことでした。
いつか遊びに来てくださいと言って下さっていた彼女、そうですよね、いつか行ければ良いなと思っております。
温泉と景色を楽しんで来れたら素敵かもしれません。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今の時代、その手のスピリチュアル的な話も随分と理解される様になりました。
だって、本当の事ですものね。
それを承知で、もう好き勝手に書いております。
自分はこちらの側が自分と思い込んでいるだけ、本質の部分は違うんだよと言われたところで、何がどう違うんだ?と詰め寄られるのが関の山でしょう。
元々が怪しげな弊ブログですんで、何気にスルーされて下さって構いません。
有難うございます。