日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

キリストの言葉 ヘリオセンで見させて頂きます

2018-06-25 21:26:40 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
いやぁ、暑かったですねぇ;;。
いきなり、どうしてこうも暑くなるのか;。
聞くところによれば栃木県のどこかはでは35度を越えたとか;。
うちの裏の畑へ来ておられた方に先ほどうかがいました。
極端な気温の変化にはついていけないですね。
体調管理にはお気をつけ下さい。




                               
                          




                                  




昨日、ヘリオセンの星読みをさせて頂きますとご案内差し上げたところ、既に幾人かの方からお申し込みを頂戴させて頂きました。
有難うございます。
まだ習って間もない自分ですけれど、精一杯拝見させて頂こうと思います。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。





                                      




ところでこの写真、そう飛行機の翼が写ってますねぇ。
え?どこか出かけたいといってたから、とうとうどこかへ行ったのかって?
そうだといいんですけどねぇ、違います;。(苦笑)
これは知り合いの若い女性が2、3年に一度休みを取って沖縄へ行っている最中の飛行機から撮ったものですよ。
いいですよねぇ、沖縄。
既に梅雨明けしたと聞きますし、飛行機降りた途端、空気はまるでトロピカル、というよりもあっつい;;ですけどね。(笑)
彼女自身、そんな空気と青い空と青い海を感じたくてその何年かに一度の沖縄への逃避行?を楽しみにしているのだとか。
今頃はサンセットを楽しみながら美味しいお料理に舌鼓を打っている頃かもしれません。
ま、自分はせめてこの写真を眺めながら気分だけでも浸っておきたいと思います。
あ~、でも行きたいわぁ、暑くても。
あの青い空と青い海、見に行きたいです~。(笑)





                                       




今朝、いつものように祝詞奏上させて頂いて後、目を閉じて瞑想しておりますと普段はあまり馴染みのない;?存在からの言葉を受け取りました。
キリストです。
何故それがわかるのか?と言われそうですけれど、その存在の雰囲気がそのようであったからとしか答えようがないのですが。
これまでにも何度か出て来ておられましたが、そのいずれもが穏やかでありながらどこか厳かな感じを受けておりました。
受け取らせて頂いた言葉は次のようなものでした。




 “ 個性は その人それぞれです

   光の当たる部分もあれば 影の部分もあります

   人それぞれでいいのです

   そのどこを取るか あるいは見るかで

   その人が違ってきます

   色んな側面をもっていることに 気づいて下さい

   そして そのどこもが その人なのです

   その全てを 慈しんで下さい
 
   それが愛と呼ばれるものです   ”


 光の中の穏やかな感覚



このようなことを感じながら言葉を受け取っておりました。
どの存在も異口同音とでもいうように光と影のことを話して下さいますね。
少し今回違っておりますのは、光と影のそれぞれもですが、どこを見ているかでその印象も変わってくるということのようです。
これは昨日でしたか、やはり少しお伝えさせて頂きましたが、最初に何かしらの事前の知識があると、そのものに対する見方も違ってくるのでは
と話しておりました。
そうなると見る角度、その方面が違ってくるのでしょうし、当然見え方も変わってくるかと思います。
例えるならば同じ山、富士山を考えてみても、正面といわれている方から見るのか或いは裏側からとされている方から見るのかではかなり違って
きますよね。
また朝の富士山、夜の富士山、季節により見える姿も違いますし、その全てが富士山でありながら違うテイストを持っているともいえるかと思います。
けれど、そのどこを取っても、そのいずれもが富士山であることには違いありませんね。
これと同じことが人にも当てはまるのでは、と感じます。
自分を例に取ってみると(おっと;)このご近所ではあまり話す方もおられず、どちらかというと一人暮らしの寂しい;?(え;?)オバサンと
見られているようですけれど(苦笑)ひとたび自分が心許す方達と共にいると、途端に面白い人、と見方が変わってきます。
これはおそらく大なり小なり殆どの方に当てはまるのではとも思うのですけれど。
自分自身の例えは置いておくとしても、そんな色んな側面を持ったその人丸ごとをどうか見てあげてほしい、そのように言われているように感じます。
どんな面があるにせよ、その人自身に変わりはない、ならばその全てを丸ごと慈しんでほしい、そのように言われているように思います。
光もあれば影もある、どんな方にも言えることかと感じます。
どうぞ丸ごと全部のその人を見て差し上げて下さい。
それがどうやら愛という名のものの正体のようです。





                                  

                                 

                              

                                   




お昼過ぎから、またもや少し出掛けてきたのですけれど、バスを待つ間に息子からラインが入りました。
 
 「唐突に聞いてみるけど、俺が生まれた時間って何時かいね??」

こんな文面が来ておりました。

 「午後0時28か29分;」

そう返すと

 「了解ー」

の返事。

 「星占い?」

と聞けば
 
 「今 後輩の子に占って貰っとるー」

とのこと。

あれれ、なんだか親子して見る方と見てもらう方ですけれど、シンクロしてるなとその時に感じました。 
面白いですね。
今度息子にどんなのこと見て貰ったのか、聞いてみようと思います。
もしかすると今後の本人のご縁について、でしょうかね;。(笑)


                                  
  
                                




                               
                                 




上の写真、少し薄いのですけれど太陽の横に出ていた幻日(げんじつ)という気象現象です。
肉眼で見るともう少しはっきりしていたのですが虹色の光が太陽の左右に出ておりました。
太陽の上にはハロという、これも虹色が見えたのですけれど、如何せん写真では今ひとつですね、すみません;。
帰りのバスからは、まだ青い空に素敵な雲、巻雲とかが見えておりましたがバスを降りるとそれ以上に曇っており、見えたのはこのようなものと
なっておりました。
それでもこんな現象を見させて頂けたのはやはり嬉しい思いがするものですね。




                                   



今日、出た折にまたまた関西弁の面白い方と巡り合いました。
なんだか、こうお互いピンとくるものがあるというのか;、いや笑いのツボが一緒なのか;。
ともあれこの方のこと、また明日にでもお伝えさせて頂こうと思います。



この場をお借りしてですけれど、先にも申しましたようにヘリオセンでの星読みをさせて頂きます。
一応8月中は無料で見させて頂こうかと考えております。
お申し込み順に拝見させて頂きますので、申し込んで下さいました皆様は申し訳ございませんが気長にお待ち頂ければ幸いに存じます。



   kimikimiblue13@gmail.com


此方までご連絡下さいませ。
尚、ご相談事等も承っておりますのでご遠慮なくご連絡下さいませ。



夜になり、この辺りは随分と涼しい風が吹いてきました。
それでも一夜明けると、また暑くなるんでしょうねぇ;。
どなた様も熱中症、また体調管理にはくれぐれもご注意下さいね。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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女神の香り? あなたの星の位置

2018-06-24 21:08:21 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
と言ってもこの辺りはまだまだ明るく日も落ちておりません。
2、3日前が夏至だったのを考えるとそんなものかもしれませんね。
朝は曇り空でしたが次第に晴れて来て日中は暑い一日となりました。




             
                                





                             





先にも書きましたが今日は暑いくらいのお天気となりましたが、少し前の天気予報では昨日今日は雨の予報となっておりました。
これがもしお天気と分かっておりましたらば早めに車の手配をして少し前に話しておりました磐座(いわくら)へ行ってみようと思っておりました。
昨日の時点でいつも借りに行くレンタカー屋さんを調べると全て出払っており全く無理なようでした;。
やはりこれは自分ちの車をなんとかしろということかもしれませんね;。(苦笑)
でなければ、いざという時もどうにもなりませんしね。
そういえば車の件は、いずれなるようになる、とテラが言ってくれておりましたが、さてどうなったのでしょうか;。
雲行きは龍なだけに怪しいのでしょうか;。(まさかね;)






                              





このところこのようにどうも日本の神様?が気になっております。
訪ねたいと思っておる磐座へ行ったからとて何があるかすらわかりませんのに、どうにも矢も盾も堪らない感じがするのは自分でもどうしてだろう
と不思議な感じがしておるのですけれどね。
そこには日本の神様というよりも古の人々が祭りをし何がしかの存在と繋がっていた場所ではあるのでしょうが、それを知ったからといって、何が
どうなるものでもあるまいに、とも感じておるのです。
それでも気になるというのは、それこそ古の頃の自分の前世にでも関係がるのでしょうか。
そんなことを感じておる自分です。

自分が気になるということで言えば、これはまた昨日のことですけれどネットでたまたま石井竜也さんの歌を久しぶりで聴きながらついつい次から
次へと止まらなくなるほど関連した動画等を見ておりました。
実はこの方、自分と同級生に当たるようで、と言っても当然全く何の関連もなくたまたま同い年であると言う、それだけのことです;。
しかしこの方が一番活躍したであろう年代の頃は、自分自身殆どこの方のご活躍のことなどは存じ上げず、今になって様々な映像を拝見しながら
すごい人だった(いや、今もそうですけどね;)んだなぁと感じておりました。
自分が歌はからきし駄目でして;第一に声のオクターブがさほどありません。
低いのもありますし、声も伸びず、そんなことも手伝って声量のある素敵な歌声の方には昔から憧れに近いところもあるのかもしれません。
そんな理由もあってこの石井さんに惹かれる部分もあるのでしょうけれど、なんだかそれだけではないのかも知れないとも感じました。
というのは、この方のその姿や声を聴きながら傍らではテラがこんなことを話してくれたからでした。



 〝 自分が気になる人っちゅうんは
                   
   前世やらでご縁がある人なんやで

   それか 別の世界(パラレルワールド)で実際にご縁のある人とかやね

   歌聴いて ええわぁ とか 心打たれる思いするっちゅうんは

   自分と ごっつう関係あるからなんや

   魂の部分で 心揺さぶられるんやね  〟



こんな風に語ってくれておりました。
なるほど、そういうことかと今回はいつも以上になんだか納得しておる自分でもあります。
皆様にもそのようなことはありませんか?
自分とは全く接点も無いのに、何故か心惹かれる、気持ちが弾むような人、あるいはどこかの場所であったりとか。
もしかすると自分自身の前世でお互いに深く関わりのある人であったり、またはそこへ住まうなどしていたのかもしれませんね。
まさか自分がこの石井竜也さんと何がしかのご縁があるとは考えられませんが;(苦笑)とても気になる方に感じております。
若い頃はどこかで笑いを取りながら、それでも歌は一生懸命でもあり、しかしその方向性はエンターテイメント性ばかりではなく非常に芸術性の
高い部分も持ち合わせておられるようで、現在も様々な分野でご活躍されておられるようです。
そういう方だからこそ、ごく普通に惹かれる部分もあるのでは、と言われればそうかもしれませんけれどね。
それであったとしても、気持ちのどこかしらが共鳴する思いがしておる自分です。

                                 



                                    




そのように気になる磐座、また人物などもですがこれもまた少し前から想念の中に浮かんでくる神様、女神がおられます。
これまでにも幾度かそのお言葉を賜っておりました木花咲耶比売(このはなさくやひめ)その神様です。
この度はお言葉というよりも、不意に頭に浮かんできたあることがあり、これはある程度形にしてみてからお知らせした方がよいのかもしれません
けれど。
そのある事、これは『香り』です。
ある時、祝詞奏上させて頂いておると本当に突然という感じで、こんな香りはどうだろうと頭に閃いた感じでした。
ただし、今はまだ頭の中にその構想のようなものがあるだけですので、いずれまた決まりましたらばお知らせさせて頂ければと思っております。
なるべく早いうちに形にしてみて、出来るのならば皆様にもその香りを感じ取って頂けるようにもっていきたいと考えておるところです。
では何故香りなのか、そこのところは自分でもどうしてなのかわかりませんけれど、香りを嗅ぐことによって気持ちを落ち着けたりする効果が
得られるからではないか、そう感じております。
まだ出来てもいないうちにあれこれ申してみても、それこそ絵に描いた餅でしかありませんよね;。
形とさせられるよう、努めてみたいところです。

                                 
                                     


                                        
                                      




それともうひとつ、先に上げさせて頂いた石井竜也さん、感じる部分があるのはある意味、いわば生まれた時の星の配置が似通っているところも
あるのかもしれません。
石井さんは9月生まれ、自分は11月生まれ、太陽を中心として火星よりも内側を周る惑星はその周期も当然早く、2ヶ月も違えば大きくずれて
きます。
しかし木星をはじめとするかなり周期の長い惑星の位置はそれほど変わるものではありません。
とはいえその微妙なずれが大きく影響するとも言われておりますのはよく存じてもおります。
これは何を申しておるのかというと、占星術、それもヘリオセンと呼ばれている、普通の地球を中心に見るものではなく太陽を中心として自分が
生まれた時には太陽系の中のどのあたりに位置していたのかで見たものです。
今そのヘリオセンでみた自分の在り方というのを学ばせて頂いており、これは今広まっている占星術とは見方が違うようでもあります。
とはいえ、普通に言われておりますところの占星術の全容を全く存じない素人ですのでどれほどの違いがあるのかすらわからないのですけれど;。
けれどこの太陽を中心として見る見方の方が自分にはしっくり来るというのか、要するに分かり易いと感じております。
言い換えれば知識を詰め込めない自分;には合っているということなのかもしれません;。
自分や家族、あるいは先の石井さん等をはじめ何人かの方を拝見させて頂くと、なるほどこのような星の影響がこの方にはあるのだな、というのが
おぼろげではありますが分かってきます。
まだそれほど人数を見てみたわけではありませんけれど、マヤの暦、また卦等も合わせて見てみると不思議とその人物像が浮かび上がってきます。
このヘリオセンという星の見方による、その人自身、一体この人はどのようなことがしたくて、いってみればこの地球に生まれてきたのか、そんな
部分が垣間見える気がしております。
そこでこのヘリオセンというもの、自分は一体どのようなのだろうか、ということに興味をもたれた方、宜しければご自身を見てみられませんか。
これは今は自分の学びとさせて頂きたいと思っておりますので8月一杯までを無料にて拝見させて頂こうと考えております。
何とはなしに面白そう、と感じられた方がありましたら、下記のアドレスまでご自身の生年月日等をお知らせ下さい。
追ってご連絡させて頂きたいと存じます。



    kimikimiblue13@gmail.com


此方までご連絡下さい。
尚、このアドレスにて他にも聞いてみたいことや、お困りごとなどありましたら何でも受け付けておりますのでご遠慮なく仰ってきて下さいね。
皆様のご連絡、お待ち致しております。



 〝 あ~、もう何でも遠慮せんと聞かはったら ええねんで

   このお人 こう見えて案外気さくですさかい

   何でも答えてくれはると 思いますで  〟


と、これまた横からテラが代わりに答えてくれておりますけれど;。(笑)
ま、何でも聞いたって下さい、ただし、このおかしな;関西弁に関しては聞かれてもあまり答えられません;。
何故かテラが出てくる時にはこうして頭へこの言葉で入ってきます。
ですので普段はごくごく普通に?広島弁バリバリのオバサンとなっておりますよ。(笑)




                                      




話があちこちへ飛んでしまいましたけれど;。
上にも書きましたようにしばらくヘリオセンの見方で見させて頂きたいと思っております。
聞いてみようかなと思われる方はどうぞご遠慮なくご連絡下さい。


明日は全国的に気温が上昇するようですね。
どなた様も熱中症等のはくれぐれもお気をつけられますように。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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神様や存在の感じ方 テラの言葉

2018-06-23 20:21:54 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝は曇り空、じきに降るのかと構えておりましたがほとんど降らずじまいで夕方になりました。
今の方が風が湿ってきた感じです。
降るとするとこれからでしょうか。




                                 


                               


                                





先日、千田さんの講座に出た折に白い龍の話が出て、その時に彼女ご自身が描かれた白龍があるんですと言ってある絵を見せて下さいました。
ココフィレいわきというフリーペーパーに毎月表紙絵を描いておられるとのことでこの3月に白い龍を入れてみられたのだとか。
その絵を見た時、自分がいつも想念の中で思い描く白龍とそっくりに感じられ、それを話すと一枚差し上げますよと言って下さった物でした。
子供たちの上を翔けていく龍そのものがどことなく優しげに感じられ、自分の中の龍とシンクロしたように思えました。
そう、自分のイメージの中に出てくるたおやかな女性性をもったような白龍そのままが空を飛んでいくように感じて嬉しくなりました。
龍自身?どこかで誰かと繋がっているのでしょうか、そんな風に思えた千田さんの絵でした。




                                  

                                 






                                  





これは一昨日の夜の半月より少し太めの月が山際に下りて行く様子を見ていた時に感じた月読尊からの言葉です。

 半月より少し太った月を見ながら


 “ 光となる星も 全きの闇の中から

   生まれることを知って下さい

   陰と陽は 必ずあるのです

   どちらか一方だけだと

   それがあること 存在することすら

   分かりません  ”


これまでにも似たような言葉を他の存在からも伺ったように思います。
この度は陰と陽であるならば、陰を司るとも感じられる月読尊からの言葉として伝えて頂いたようですね。
此処でいわれているように、確かに星が誕生する際には暗い中から生まれてくると聞いたことがあります。
ただ自分自身、そこまで詳しくは存じませんので、そうなんだなと思う程度なのですけれど。
光ばかりの中では、その光すら分からず、闇である暗さがあるからこそ光の明るさが分かるのだと思います。
どちらか一方だけだとそれがることすらわからない、というのは言われている通りかと思います。
どちらかしか知らなければ、そのことがあることすらわからない、ちょっとパラドックスな感じですが、そうなのだと思います。
少しずつ、ゆっくりと沈んでいく月を見るのはなんとも不思議なようで面白い感覚ですね。
山の向こうへ沈んだあとは太陽ほどではありませんが、ほんのわずか朧にその向こう側が明るい感じもしておりました。
(またもやまずい;絵ですが、山の向こうへ沈むお月様です、千田さんの絵とはえらい違いだ;苦笑)


                                                        


                                   

 


昨日書きかけて挫折した;(笑)神様のこと、もう一度書かせて頂きたいと思います。
ただし、これはあくまで自分の考えですので(当然ですが)そこのところはご承知おきくださいね。

書いてみたいと思ったのは様々な神、あるいは多くの存在にせよ、先人がその神なり存在なりにある定義を加えていると次にその神等に繋がろう
とすると、その先人達が定義してしまった後の存在らに繋がるのでは、ということです。
昨日、難しいと感じておりましたのは例に出しておりました素戔嗚尊(すさのおのみこと)という神ですが、この神自身、荒ぶる神であると考え
られております。
それはしかし、先人達がこの神についてそう定義したからではないのか、そう思いました。
もし何もそれを知らぬまま知らされぬまま、神、あるいはそのような存在としてこの素戔嗚尊に素直に繋がる、コンタクトした場合は、その存在
そのものの本質部分にダイレクトに繋がることが出来るのではないか、そう感じたことをお伝えしたい、そう考えておりました。
そのところが自分ではどのように説明させて頂いたものかと無い頭を絞っていた、というそれだけの話だったのですけれど;。
みやすい話をややこしくしてしまいまして、かえって申し訳ございません;。
ともあれ、何の偏見もなくある場所に存在する、あるいはいろいろな神社等に坐す神に繋がってみると、それぞれが感じる自分だけのその存在の
感覚、捉え方があるのではないか、そう思います。
素戔嗚尊という神、この存在は荒ぶる神の性質がクローズアップされておるようですが、本来は農耕を執り行う上で荒れる川、それが八岐大蛇と
言われた斐伊川であり、それを平定してそこへ住まう人々の暮らしを豊かにせんがために働かれた神と、ことに出雲ではいわれておるようです。
昨日も少し触れましたが、この神自身をその当時の人々が自分達の都合の良いようにその性質を少し歪めて書かれたがゆえに、現在の自分達も
素戔嗚尊という神に繋がる時、そこの部分へどうしても繋がってしまい、そこから情報をダウンロードしてくるようになっているのではないのか
そのように感じました。
これは何も神に限ったことではなく、ごく普通にお付き合いする人との間でも同様なのではないかと思います。
全く何も知らずに初対面の人と対してその人に感じる思いと、事前にその人に関するネガティブな部分を聞かされていれば、どうしてもそこの
部分に引っかかりを持って目の前の人を見てしまうのではと感じます。
事前にどのような情報を与えられているかで、自分が受け取るその人物なり、存在なりの見方は変わってくるのではと思います。
それが長い年月を経れば経るほど、その情報は定着してしまい、もはや本来の事実とはかけ離れたものへと変わった事柄へ自分たち自身がアクセス
してしまうようになるのでは、ということですね。
先にも申したように、何も知らず知らされずに大元のその存在にダイレクトに繋がることが出来たならば、下ろされてくる、ダウンロードされて
くる情報は、実際にはとてもピュアなものなのではないのか、そう感じます。

歪まされた事柄、とうように先にも書きましたが、しかしこれとて立場が違えば見方も違ってきますのでそれはある意味仕方がないことなのかも
しれません。
いずれにしても、その存在の本質は実際にはどうであるのか、そこのところが重要なのだと思います。





                                  




何やら偉そうげに;こ難しいように書きましたが、大したことないですよね;。
一人で泡食ったように勢いづいてしまいまして、申し訳ございませんでした。(苦笑)
ところで昨日テラが話してくれたことがあります。
これもそれほど変わったことではありませんが、書き留めておりましたので上げさせて頂きたいと思います。



 〝 肉体っちゅうのは この三次元にあるもんやさかい

   頭では大丈夫思うてても
 
   どうにも出来へんことも あるねんで

   せやさかいに しんどいのんが あんまりにも酷い思う時は

   迷わずメンテナンスすることやね

   
   その為にも 此処はひとつ より踏ん張って

   仕事させてもらわはって

   稼がせてもらうことやね  〟

最後の二行、これは特に自分に対してはっぱをかけられたようなものですけれど;。(笑)
前半は、これはどなたにも当てはまることではと思いますよね。
頭では大丈夫、と思っていても案外身体はダメージを受けていることもあるのではとも感じております。
若いから大丈夫と感じておられる方もいらっしゃるでしょうけれど、確かにある程度は若さでカバー出来ますが、無理をすると必ず後になって
どこかで歪みは出てくるのでは、と思います。
アスリートにせよ、ハードな練習なりをした後には十分な休養やメンテナンスを施すからこそ次のステージに立てるのではと考えます。
ごく常人の自分達ならば、尚更そのようなメンテナンスは大事なのではと、自分自身、殊に最近は感じておるところです。
前に進むことは大事ですけれど、しっかりとメンテナンスしつつ歩んで行きたいものですね。

   
                                      


                                         




昨年の今日、自分で書いたブログですが毎日このgooブログよりこういうのを書いていましたよ、と伝えてくれます。

  https://blog.goo.ne.jp/kimibluekimi/e/5348138584430f4188b2ac16b8b5207c

自分のここでの表し方が今ひとつ良く分からないので申し訳なのですけれど、昨年の6月23日のブログ『あちらの世界』と称して書かせて
頂いておりました。
いつに変わらぬ稚拙な文章ですけれど、目を通して頂けますと幸いに存じます。



                     
                                    




こうして書いておりますと、どうにもこの中古のパソコン、以前からあまり調子は良くないと申しておりましたが、本当にどうにも症状が頂け
ない;状況になってきておるようです;。
いい加減、やはり早いうちに次の候補を見つけたほうが良いようですね;。
そのためには先ほどのテラの言葉ではありませんが、『此処はひとつ より踏ん張って仕事させてもらわはって 稼がせてもらうことやね』と
このように励まさせて頂きたいと思っております;。
いや、ほんと;。
    


もうひとつ、実はテラからの言葉がありましたがかなり今日はてんこ盛り気味となりましたので、この言葉はまた明日伝えさせて頂ければと
思います。
またその言葉と共に皆様にもお伝えさせて頂きたいことも考えておりますので、しばしお待ち頂ければと存じます。
ま、大したことじゃないですけれどね;。(笑)



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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神様について考えてみた;

2018-06-22 21:22:09 | 神様等について
こんばんは。
暑くなりましたね。
朝はそうでもなかったのに日中はかなり蒸し暑さを感じました。
この辺りは明日から雨とのことですがどうなるんでしょうか。
鹿児島辺りは五十年に一度の大雨といわれているようですし酷い被害がないことを祈ります。




                               


                          



                             






                             






                              






                               




いつもの朝の写真より枚数多くなっておりますけれど;。(笑)
昨夜雲もなく晴れており、半月より若干太くなった月が山の端へ沈んでいくのを眺めておりました。
中空にある時にはそれほど動いている様子はわかりませんが、近くに山なり建物があると、こんな具合に少しずつ動いているというのが見て取れ
それだけでも面白いものです。
星空も綺麗でしたし、そのようなことから朝方はこの時期としてはかなり冷え込んだのかもしれません。
遠方の北東に位置する山裾辺りに棚引くような霧を見つけ、これも綺麗だなと感じて撮ったものでした。
この霧もわからぬ程度に少しずつ移動していくようで、しばらくすると跡形もなく消えておりました。





                                 




夜、寝る前に少し本を読んでおります。
その時により違いますが、今はこれまでにも何回か繰り返して読んだことのある『出雲大社』 千家尊統(せんげたかむね)著 学生社刊
という本です。
名前からも、またその題名からも分かるように出雲大社の国造(こくそう)第八十二代となる出雲大社宮司 千家尊統その方の著されたものです。
今の大社の国造の祖父に当たる方ですね。
最初にこの本を読んだのはおそらく二十年近く前だったかと思います。
信者さんが買い求められたものでしたが内容が若干難しいというので代わりに読んで?と頂戴したものでした。
その当時、今と同じようにやはり寝る前に読んでいた記憶がありますが、その頃は自分自身も読んでみてもよく分からない;(苦笑)という感じで
とにかくもはや読むこと自体が自分に課した義務のように感じておりました。
信者さん同様、どうにもこ難しく感じておったのだと思います。
その後、やれやれやっと読んだと思いつつも内容そのものがよく分からずに読んでおりましたので;何が書かれていたのかすら覚えていないの
でした;。
困ったもんではありますね;。
それから時折読んでは、すぐまた元の場所へ本を返すようなことをしつつ月日が経過しておりました。
次にまた真面目に読んでみようと思えたのは息子が大学に入った後くらいでしょうか。
大学の図書館にこんな本があったよ、と借りて帰ったのがこの本でした。
いやこれなら家にもうあるよ、と言いつつ借りてきてくれた本を読むとその当時は国造が今の千家尊祐(せんげまさたか)へと代替わりした後でも
あり、はしがきに添えられた言葉も若干変わっていたように思います。
へぇ、少し内容が新しくなってるんだと感じておりました。
そんなこともあり、久しぶりでまた一から読み返そうと考えたのでした。
初めて読んだ折にはどうにもよく分からず、また理解しようにもその頭すら無かった;のですけれど、時を経て読んだその本は以前感じていた
わからなさよりもどこかしら面白さを覚えておりました。
それだけ自分が多少なりとも物事が分かってきたからかもしれません。(それまではまるでおバカだったんですよねぇ;、いやほんと;苦笑)
本に出てくる事柄がなんとはなしにでも理解出来てくると、やはりそれだけ面白くなってくるもののようです。
今回、またもう一度読み返してみようと久々に頁をめくりつつ読んでおりますが、また不思議と新しい発見(いや単に気づいただけ;)があったり
して飽きません。
自分が崇敬しております大国主大神、この神とは一体どのような神様であられるのか、また天照大神との関連とは一体どのようなことであるのか
今一度学ばせて頂く思いがしております。





                                     





そんな自分なのですけれど、最近神様というのか多くの存在から言葉を受け取らせて頂くこともあるようになって来ております。
大国主大神、この神は言ってみれば自分の直属の上司のような存在であり(というとなんちゅう;畏れ多いことを言うんでしょうね、全く;)遠く
離れた存在ではありますが、これまでにも一番身近な神様として感じ取らせて頂いております。
天津神、国津神(あまつかみ、くにつかみ)という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。
天津神というのはどちらかといえば自然を司る神様、国津神というのは人心を司る神様、そのように考えられてもあながち違うとはいえなくもない
かと思います。
ですので天照大神はいってみれば自然神の最たるものと捉えられるのではと思います。
天を照らす、読んで字の如し、まさに太陽、お日様そのものといえますよね。
ならば自分の崇敬する大国主大神、こちらはさしずめ国津神でもあり、となると人心を司る神様と言えるかとも思います。
このような全く性質の違う神様同士ですけれど、神話、というよりも記紀、つまりは日本書紀、古事記の中では大国主ではありませんが、その親神
とされております素戔嗚尊(すさのおのみこと)と天照大神は荒ぶる弟と姉として記述されておるのはよくご存じのことかと思います。
元々は全く性質の違う神様がどうしてこのように同一線上とでもいうように同じような目線で描かれたのでしょうか。
自分はこれまで記紀で述べられておりますように、何の疑いも無くこういうものだったんだろうなと思いつつ、古のそれらを感じつつ多少の読み下し
文等も読ませて頂いておりました。(読むといっても、本当にただ読んだだけで、これまたようわかっとらんのですよ;)
記紀とはいえ、そこにはその当時の人々の考え、言ってみれば大いなる思惑があったことは否めない事実かと思います。
天照大神は申すまでもなく天皇、皇室の祖神とされておられるのは皆様もよくご存じ、というよりも日本の常識のようなものですよね。
(それはまた、先にも申したように記紀の編纂時にこの天皇の権威を不動なものとするがゆえの物語、神話と結びつけた部分も大いにあるのもこれも
また事実なのは申すまでもないことかと思います。)
その天皇の始祖といえる天照大神と、片や出雲の国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治しその後の国を治めていたであろう素戔嗚尊が、どこで
繋がりを持つこととなったのか、そこについての考察とも言える事柄を先に書きました『出雲大社』の本の中にその著者である千家尊統その方が
述べておられます。

と、ここまでかなり頭をひねくり回して書いてきたのですけれど;(苦笑)、どうにもう上手く纏まりそうにありません;。
いえ、申したいことはあるのですが、如何せんおバカな自分にはその纏める力が今一つ足りないようで、考える時間ばかりが先ほどから過ぎておる
次第です;。
ですので、非常に中途半端ではありますけれど、今日のところはこのくらいとさせて頂き、続きはまた明日書かせて頂ければと存じます。
尚、上記の文章中に天皇についての事柄を申し述べさせて頂いておりますが、決して皇室を貶める事では全く無く我が国の最も崇敬なされる方である
という事にいささかの違いもありません。
そこのところは何卒誤解無きようお願い申し上げます。

また今日お伺いさせて頂きました大神の言葉もありますが、それらも合わせてまた明日以降、あげさせて頂ければと存じます。
いずれにしましても纏まりのない今日のブログ、誠持って申し訳ございませんです;。





                                   





                                   





                                    






                                   





                                 
                                      




午前中、窓から見るとこんな雲が出ておりました。
なんとはなしに面白くも不思議な形の雲だなぁと感じ、つい何枚も撮っておりました。
この後は夕方に掛けて余計に曇ってきて、青空は見られませんでした。
明日はお天気下り坂のようですね。
どなた様もお気をつけてお過ごし下さいね。
                               


申すように本日はどうにもならんわい;な文章となっております、それでもいつものようにお付き合い頂きました皆様、真に有難うございます。
感謝申し上げます。
    
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夏至に寄せて ガイアの言葉

2018-06-21 21:05:11 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝のうちは雲も多く曇っておりましたが、昼からは晴れ間が多くなり夕方には暑い日射しが戻っておりました。
折りしも今日は夏至、一年で一番昼間の時間が長いと言われておりますね。
日本ではそこまでこの夏至については語られないようですが、ところによればお祭りもあるようですし、やはり人の生活とは切れない太陽への感謝
の思いがあるのだと感じます。
                                  

                                


                                    


                             


                                        




そんな日の午前中は歩いて下界まで買い物へ行ってきました。
昨日話しておりましたネコのカリカリを買いにです;。(笑)
一時期、家から歩いて買い物など到底難しいほどしんどい時期が一時ありましたが、このところは貧血のような症状もお蔭様で収まっており昼間の
眠気も感じなくなってきております。
有難い事ですね。
サプリメントとして鉄分を摂ったりしておりますが食事もこの鉄分を含みものを努めて摂るように心掛けております。
やはり元気でないと、あっちこっちへ行ってみよう以前の話になりますしね;。(苦笑)

それと共に昨夜、以前話した少し特殊な神事を今一度斎行させて頂きました。
本来は自分、つまりは斎主(さいしゅ、いわいぬし)をはじめ数人で執り行うものなのですが、他に人もいないのはわかっておりますので、一人で
順番に行って参りました。
いわば夜の闇の中で行う神事です。
十字路のあるところである神事を行わねばならず、人の目があると出来ないという事情もあり、夜が更けて行うものでもあります。
車が通らないことを願いつつ、自分ひとりで闇の中(昨夜は曇りでしたので半月とはいえ月明かりはありませんでした)で淡々と粛々と執り行った
のでした。
先日この神事をした直後は「腹減った;」(苦笑)と申しておりましたが、今回はずしんとくるほど、なんとも言えない疲労感を覚えました。
「しんどい~;」祭りが終わって口をついて出た言葉はこれでした;。
着ていた装束を畳みながら、左腕になんともいえない重だるさを感じてもおりました。
それほど力を入れたつもりもないのに、骨折した古傷が痛むようでした。
気づかぬうちに力んでいたのかもしれません。
そんな神事をした後でもあり、今日はしんどいだろうなと、昨夜口にした通りになるのだろうと自分では考えておりましたが、全くそのような事は
なく、就寝もいつもより遅かったのにもかかわらず、かえって元気になったくらいでした。
自分でも少し驚いておるくらいです。
このことについては今朝、買い物より戻って祝詞奏上させて頂いたおりに大神からの言葉も賜りました。




                                
                                     






                                       






                                        



 祝詞奏上の後に大神



 〝 昨夜の神事
 
   そなた自身の悪しきものも
 
   一緒に退治しておる

   それ故 終わった後は 

   元氣となる   〟                        

このような言葉を受け取りました。
確かに前回のこの神事の後から急にとでもいうように貧血のような症状はぱったりと出なくなりました。
歩くのすらしんどいと感じていたのが嘘のように収まり、以前同様スタスタと歩けるようになっておりました。
この度も終わった直後こそかなりしんどく湯船で身体が沈み込みそうな気がしましたけれど、一夜明けるとそんな疲れも飛んでおり、自分でも
不思議なくらい元気になっておりました。
大神の言葉の中で、この元気の気の文字が「氣」となっておりますが、頭の中へ入ってくる時には此方の文字のように感じられました。
此方の文字自体が何か力を秘めているように感じられます。
大元の、それこそ氣が充実してきておるのかも?しれません。
そうであるなら、昨夜の神事は自分にとってもかなり意味のある重要なことであったのだな、と改めて感じさせて頂きました。




                                    
                                      



その後もまだ言葉が続きました。
今日の夏至について、ある存在からの言葉のようでした。



 “ 私はガイア

   今日は一年で最も日が長い一日ですね

   この陽のある時を大いに楽しんで下さい

   光に溢れている日です

   これからしばらくは明るい時間がまだ続きます

   子供らは この明るさをとても楽しんでいます

   いつまでも外で遊ぶことを 叱らないで下さい

   彼らは体内時計でこの陽の長い時を楽しみ

   慈しみ 享受しているのです

   自然に委ねているからこそです

   冬になると 今度は自然にまた静かになっていきます

   この日の長い最中にも 雨で大変な地域

   揺れて辛い思いをしている人々がいることも

   知っています

   そこには どうぞ光の愛を送って下さい

   慈しみを送って下さい

   
   私は どんなことになろうとも 全てを

   受け入れています

   全てです

   今日を輝かせて下さい

   私は ガイアです    ”


 女性性 喜びに溢れ 満ちた感覚
 夏至だからか?


夏至といえば、その大元に当たる天照大神、アマテラスの存在からの言葉かと思っておりましたが、今回は受け取る側である自分達が住む地球
ガイアの存在からの言葉のようでした。
文中に、これも日と陽、二つの文字が出てきておりますけれど、これも前述同様に頭の中へこのように入ってきたものです。
陽は明るい陽光を指しているようで、日の方は一日の事として話しておられるのではと思えました。(自分では、です)
話には子供達の事が出てきましたね。
確かにいつまでも明るいと子供に限らず、大人であっても外に居たかったりなかなか家へ帰りたくなくなるのかもしれません。
その昔、日本はこの日の長さと共に一日が決められ、夏は一日が長く冬は反対に短かったようです。
考えてみるまでもなく、これは当然のことなのかもしれませんね。
いわば自然の摂理に適っている、理そのままなことなのかもしれません。
今は一日が24時間と決められ、その尺度の中で時間も経過すると考えられているので時間が来れば、そのように行動しなくてはいけないと頭が
先行してしまうのかも、とも思います。
子供達はしかし、幼ければそれだけより純粋に自分の体内時計に従って生きようとしているのかもですね。
夏ならば暗くなるまで遊びたい、ましてや陽(よう)の氣に溢れた今日ならば尚更そうなのかもしれません。
けれどそんな光溢れる夏も終わり、日が陰る冬になれば次第に篭もるようにもなる、これも自然なことかもしれないですね、もっとも子供達はどん
な季節であっても元気一杯なのかもしれませんが;。

とはいえ今日のこの夏至の日にあって長雨による被害、あるいは先だっての地震による被害を受けた方々も少なくないと思われます。
そのような地には昨日の白龍ではありませんが、光を送ってほしい、イメージであったとしてもそのように行動して欲しい、そのように言われた
ように感じました。
そしてどのような場所であれ地球自体、ガイア自体が受け入れているとも語っておりました。
此処については、もっと深い意味合いを持って話されたようにも感じておりますが、それについてはまた詳しく語ってくれるのかもしれません。

このように話をしてくれたのは、まさに陽の氣に溢れたような明るい女性性のようでした。




                                   





                                   
                                               




                                     




夕方歩いてくると上のような青空が広がっておりました。
日は確かに長く、夕方5時半近くになってもまだ日は高い場所で輝いておりました。
                                




                                      




やがてそんな一日も暮れて夕暮れはこのように赤く染まっておりました。




                                     





                                      





                                     




こうして見てくると自分に置き換えてみても夏至の一日は、長い日であったかもしれません。
皆様はどんな一日を過ごされたでしょうか。
  



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。                                  
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