例をあげれば…
モーグルの伊藤みきさんが怪我の治療をおして、ソチ・オリンピックに参加したのだが、案の定、予選2回目を棄権することとなった。
そもそも治療も不十分に参加したこと自体が問題なのだ。
彼女は選手としての意気込みの強さから参加した。そして、地元や国内の応援する人々に応えようとする気持ちから、“何としても出場しなくては!”の立場にも追い込まれもしたのだろう。
しかし、彼女が自身との葛藤の中からの、そして彼女の周りにいる監督・コーチ等々(サポーター)の客観的な判断による“断念”があってしかるべきだったのだ。JOCの判断も遅かった。
熱くなって判断を見誤る選手を、理性的に、科学的に、怪我等の場合には医学的にも、より客観的に判断し支えるサポーターでなければならないのに。
やるだけやって、やらせるだけやらせて、棄権や断念するのは犠牲となるものが多すぎる。選手派遣に要する国費についてもだ。
フィギュアスケート男子代表の選考では、大混戦の末、最後の一席に高橋大輔さんが滑り込んだ。
しかし私は、彼に代表を辞退してほしかった。これまでの実績を考慮しての選出だったとは思うが、やはり選考会での“素”の成績で決めるべきだったのではないか!?と疑問を残している。
もし彼が入賞したとしても、だ。
誤解されては困る。選手のこれからを考えて、健全なスポーツの発展を望んで、私は書いているのだ。
それと、マスメディアによる一面的な煽るような報道には充分注意を払いたいものだ。