昨日と比べれば肌寒く、雨が降った瓦の濡れ後もある朝でした。
朝刊を取りに行って、畑を見ると、なんと! アンズの花が咲き出しているではありませんか!!
蕾(つぼみ)がついて膨(ふく)らんできているのは先々週、先週と確認していたのですが。
やさしいピンク色で、雨粒もついていて、なんと可憐(かれん)で綺麗(きれい)なことか。
できるだけたくさんの人に見ていただくて、さっそく写真を撮りました。
これからは、日々、“ぼこぼこ” といった感じで、それぞれの枝を隠さんばかりに花が咲きます。また、。紹介しましょう。
私は、この『東日本大震災』が起こった当時、現役の高校教員でした。
この、私の最後の勤務校は県下の “底辺高校” と位置付けられていました。
この年の文化祭で、学年主任が各クラス代表たちと企画・運営する学年の舞台出し物の冒頭で『東日本大震災』の映像を流しました。
9月の行事で、暑い体育館の中でしたが、全校生徒や保護者たちは実に静かに見入ってくれました。
今日、ネットを検索していて、次のような情報を読みました。
『あさイチ』で井ノ原快彦が元東電社員の原発擁護論に真っ向反論!「いまも家に帰れない人がいる」「命が一番大事」
![写真](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/litera/litera_7622_0-small.jpg)
東日本大震災発生から7年。あの福島第一原発の事故の記憶ですら"風化"させられそうになっている。あれだけの未曾有の人災にもかかわらず、安倍政権による原発再稼働は待ったなしの状態で、今月には佐賀県玄海原発が再稼働を強行される見込み。そうした背景には、3.11後の安倍政権のもと、原発御用学者や御用コメンテーターを重用してきたテレビの責任も大きいだろう。 そんななか、 [全文を読む]
というものです。
ぜひお読みください。(https://news.infoseek.co.jp/article/litera_7622/)
この内容に、私は “その通りだ!” と納得し、被災した人々のことを思い、涙してしまいました。
あの震災から7年が経ちましたが、東電と国の対応は実に粗末で、被災した人々・土地・自然等々すべてのものが置き去りにされたままです。
原発撤去・放射性物質の隔離等々将来に向けての取り組みの目途はたっていなくて、技術もどれほどのものかと疑わざるを得ないし、まだまだ原発もあるし、不安ばかりになってしまっています。
私の絶望感はまだまだ薄く、この薄さは、さまざまな媒体が、例えばTVが流す華やかな、あるいはおバカな映像に薄められている、あるいは目をそらされていることによるものだと思います。
その一方には、漠然とした形であるけれど、他者に依拠するものでもあるけれど、“のぞみ” があります。
この2つの狭間(はざま)で、時々にその片方に、またその片方にと揺れながら生きています。
さて、『あさイチ』の井ノ原さんと有働(アナ)さん、よくぞここまで言ってくれました。
私もこれからも、『ひとりの生活者としての実感に根付いた』(上記情報からの引用)言動を続けていきたいと思います。
私は、この『東日本大震災』が起こった当時、現役の高校教員でした。
この、私の最後の勤務校は県下の “底辺高校” と位置付けられていました。
この年の文化祭で、学年主任が各クラス代表たちと企画・運営する学年の舞台出し物の冒頭で『東日本大震災』の映像を流しました。
9月の行事で、暑い体育館の中でしたが、全校生徒や保護者たちは実に静かに見入ってくれました。
今日、ネットを検索していて、次のような情報を読みました。
『あさイチ』で井ノ原快彦が元東電社員の原発擁護論に真っ向反論!「いまも家に帰れない人がいる」「命が一番大事」
![写真](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/litera/litera_7622_0-small.jpg)
東日本大震災発生から7年。あの福島第一原発の事故の記憶ですら"風化"させられそうになっている。あれだけの未曾有の人災にもかかわらず、安倍政権による原発再稼働は待ったなしの状態で、今月には佐賀県玄海原発が再稼働を強行される見込み。そうした背景には、3.11後の安倍政権のもと、原発御用学者や御用コメンテーターを重用してきたテレビの責任も大きいだろう。 そんななか、 [全文を読む]
というものです。
ぜひお読みください。(https://news.infoseek.co.jp/article/litera_7622/)
この内容に、私は “その通りだ!” と納得し、被災した人々のことを思い、涙してしまいました。
あの震災から7年が経ちましたが、東電と国の対応は実に粗末で、被災した人々・土地・自然等々すべてのものが置き去りにされたままです。
原発撤去・放射性物質の隔離等々将来に向けての取り組みの目途はたっていなくて、技術もどれほどのものかと疑わざるを得ないし、まだまだ原発もあるし、不安ばかりになってしまっています。
私の絶望感はまだまだ薄く、この薄さは、さまざまな媒体が、例えばTVが流す華やかな、あるいはおバカな映像に薄められている、あるいは目をそらされていることによるものだと思います。
その一方には、漠然とした形であるけれど、他者に依拠するものでもあるけれど、“のぞみ” があります。
この2つの狭間(はざま)で、時々にその片方に、またその片方にと揺れながら生きています。
さて、『あさイチ』の井ノ原さんと有働(アナ)さん、よくぞここまで言ってくれました。
私もこれからも、『ひとりの生活者としての実感に根付いた』(上記情報からの引用)言動を続けていきたいと思います。
昨日は1日中雨だったのですが、今日は風が強くて寒いけれど、1日中晴れ!
朝、ワイフが洗濯機を回して洗っておいた洗濯物を、ハンガーに吊るして外の物干しに干して、2度目の洗濯をして干しました。日が照って風もあるのでしっかりと乾くだろうと思えることにも “春が来た! ” 感を強くしている自分に気づきました。
昨日午後4時過ぎ、思い立って「クロッカス」の写真を傘を差しながら撮りました。ブログにUPしようとしたけれど、手振れが気になってUPは断念。
それで、2時頃の空き時間に改めて撮りました。
このクロッカスは確か一昨年前に “どんな花かな!? ” と初めて植えたものです。
“ 宿根花 ” だからと何もせず、いつの間にか “放っておく状態 ” でした。数日前に気がつくと、可憐(かれん)な花を咲かせていてくれました。
試しに植えてみたのですから、こちょこちょと数個だけです。
でも、その花が、こじつけかもしれませんが、心楽しいイメージを持たせてくれました。
心楽しいイメージ:1 キツネが顔をのぞかせているような
指で作るキツネのイメージでもありますね。
心楽しいイメージ2:花の精が手を広げて迎えてくれているような
あるいは、花の精が歌をうたっているような感じですね。
どうですか!? こんなイメージが持てて、楽しくなってしゃがみ込んでいました。
他には、このように咲いてくれています。
たった数株のクロッカスですが、今年も会えました。1つひとつにイメージをもつことができました。
もっとたくさん球根を植えて、“群生” させてみようかな!!
でもそうすると、“わぁー、たくさん咲いた! ” と塊(かたまり)で見るだけで終わってしまうのではないかとも思ってしまいます。
どんどんと春めいていて、私も畑仕事と庭仕事に精を出す季節になってきました。
頭の中で “あの野菜の種を播こう” “畝作りもしておかなければ…” “キュウリを接ぎ木して育てようと種を播いたけれど、キュウリのまだ発芽がない。台木にするカボチャは育ってきているのに!” との焦(あせ)りとか、 “水菜やダイコンに花が咲き出してしまったよー。そうだおひたしにしてみよう” とか、“ほうれん草が沢山、しかも育ちすぎるようになっている、どうしよう!?” “今日も昼食にはほうれん草を食べよう” …もう、色々なことが頭の中を駆(か)け巡(めぐ)っています。忙(いそが)しいですね! うれしいですね!!
さて、ハウスの野菜たちには冬の間、小さな漏斗(じょうろ)で必要としていると思える野菜や乾いてきている種を播いたポットに水やりをしていたのですが、こう気温が上がってくるとハウス内はビニールをめくっていても熱いくらいで、ホースを持ち込んで、どの野菜にも水をあげる必要が出てきます。
久しぶりにホース先の水撒きピストルを握(にぎ)って水をやろうとすると、なんとホースとピストルをつなぐプラスチック部分からビューッと水が飛び出るではありませんか!プラスチック部分に小さな穴があいているのです。
とりあえずはそのままで水やりを続け終えて、部品交換をしてみることにしました。
2月18日のブログ『2つ目の「漏斗(じょうろ)」を作りました』では、水撒きピストルの握り部分で漏斗(じょうろ)を作っていることを紹介しましたが、今回は部品を取り換えることで、元の機能として使えるようにするのです。
まずは水の噴き出ている様子です。
さっそく、どこから漏(も)れているのかを見つけました。そして、これまでに使えなくなったけれど、残しておいた水撒きピストルや水道接続パーツから該当する部分を取り出して付け替えることにしました。
これがその部分です。
黒いのが今回穴があって水が噴き出たもので、白いのが部品取りをしたものです。
さっそく付け替えました。どうです!! どこにも、もう水漏れはないでしょう。
これで、これから、また水やりが楽しめ、きっとハウスの野菜や鉢植えの果樹など植物たちが喜んでくれることでしょう。