to Heart

~その時がくるまでのひとりごと

平清盛 第38回

2012-10-19 23:55:48 | TV dorama

脚本 藤本有紀
演出 柴田岳志
制作統括 磯智明
音楽 吉松隆
語り 岡田将生
出演 松山ケンイチ/深田恭子/窪田正孝/松田翔太/岡田将生/森田剛/塚本高史/杏/遠藤憲一/上川隆也
第38回 「平家にあらずんば人にあらず」
後白河法皇と宋人との面会を成功させた清盛は、宋船を福原に入港させようと考え、大型船が入れるように大輪田泊(おおわだのとまり)の改修工事を兎丸に急がせる。
京では、清盛から「都でつとめを果たしてくれ」と言われた時忠(森田剛)が「禿(かむろ)」と呼ばれる身寄りのない子を密偵として町中に放ち、清盛に異を唱える者を容赦なく断罪していた。


今回は、着々と武士の世の国作りの為に上り詰めていく清盛の次なる一手と、
平氏の力に次第に現れてくる敵の姿、それをどのように封じていたのかと云う所と、
身内の中にも波風が立っていく様子を感じつつまい進する清盛の姿を描いたものでした。

大輪田泊のメドがついた頃、京で時子が倒れたとの知らせに、急ぎ帰京する清盛に、
摂政襲撃以来、大納言職を辞して引きこもりとなった重盛のこと、
禿を使った手荒な取締りをする時忠のことを時子は訊ねます。

「あれこれと気をもませてすまぬな。されど今はこらえてくれぬか? 何かを成し遂げるためには、憎まれる事をいとわぬ覚悟が要る」と云われれば、
「殿の目指す国創り。行き着く先はどんな形をしているのですか?」
どこまでも殿を信じてついていくわ、と覚悟の時子さま。
久しぶりの一門が揃った席で17歳になった徳子に清盛は目を留める。
高倉帝に嫁がせる旨を暗に告げるのでした・・。



宋から手に入れた羊を後白河法皇に贈り、高倉天皇に娘・徳子を入内させたいという清盛に、後白河はホラ勝負を挑むが、清盛はコレを保留。
後日法皇と建春門院(成海璃子)を共に福原に招き、清盛は先日の答えを出す。自分の喰う大きなものを「己の野望だと」いう。
ならば!という後白河の後出しジャンケンにも負けない清盛にウンという結末が。

八条院子が撒き散らした「疫病は平氏の持ち込んだ羊のせい」という悪評も甲斐なく
徳子は高倉帝に入内することとなり、喜びに沸く平氏一門。そして、
これを機に家に籠っていた重盛も権大納言へ復帰します。

平家に生まれたからには、女であってももののふ。きっと見事に役目を果たします」と言う徳子を頼もしそうに見つめながらも、
かつては私もかような装束を身につけ、宮中に入る事に憧れておったものじゃ…。されど今ではこれが次なる戦支度のように見える」と、何事か予感させる時子母。

しかし平家を貶める噂を見過ごせない清盛は――時忠に命じていたのですね。
禿を引き連れ八条院の配下を締め上げる現場に、なんと兎丸が現れ、非難します。
すると、ここであの有名な台詞が時忠によって発せられる―…
―平家にあらずんば 人にあらず・・・


姉時子は、娘を高倉帝に入内させ、
妹・滋子は後白河院のその嫡男を産んだ建春門院門。しかし、
その兄の時忠は、清盛の為に汚れ仕事を一手に引き受ける役回りとして描かれていて、
胸が塞がれる独り言の様なセリフに、哀しい響きがありました。
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平清盛 第37回

2012-10-19 21:53:42 | TV dorama

脚本 藤本有紀
演出 柴田岳志
制作統括 磯智明
音楽 吉松隆
語り 岡田将生
出演 松山ケンイチ/深田恭子/窪田正孝/松田翔太/岡田将生/森田剛/塚本高史/杏/遠藤憲一/上川隆也
第37回 「殿下乗合事件」 10.5%
1170年、清盛は後白河法皇を福原に呼び、宋人と会わせる。治天の君が京を離れ、外国人と会うという前代未聞の行いに、貴族たちは驚がくする。そんな折、重盛(窪田正孝)の子・資盛(すけもり)が藤原基房(細川茂樹)に辱めを受ける事件が起こり、重盛が対応するが、なかなか解決を見ない。福原にいるゴッドファーザー・清盛は時忠(森田剛)に事を治めるよう命じるが…

第二部の本当にクライマックス時に感想を書けなくなり、随分久しぶりの記事になります。
その間に様々な登場人物が去来、清盛は嫡男重盛に棟梁の座を譲り、出家。
京から離れた福原で、若き日の夢を実現しようと、その準備に追われていた・・。

今週は、その清盛が描く夢の実現に手を尽くす、その手腕と、
平家一族を束ねるマジメな重盛の重圧の日々を描くと共に、
驕れる平家をちらつかせた回となりました。。。。

清盛は交易の場を大宰府から福原にする為、宋との国家間の貿易とする必要を感じ
強訴の一件から悪化したままの後白河法皇を福原に担ぎ出すべく思案していた。
その難題をいとも簡単に引き受けたのが、時子の弟、滋子の兄の時忠。
彼は後白河が何によって気持ちを動かされるのかを読んでいたのですね。

そんな平家の、治天の君をも動かす勢力を、日頃から忌々しく思っていた摂政・基房は、
京の橋で鷹狩りから帰る途中の重盛の嫡男・資盛(すけもり)と鉢合わせした際襲わせる。
礼儀を重視する重盛ならば、我が子が辱めを受けても摂政の基房に何も云えないと踏んでの犯行で、事実彼は"礼儀を失した資盛が過ち"と
この辱め、黙っておるつもりか!?資盛と摂政さまだけの事にあらず。平家一門と藤原摂関家の一大事であるから
「臆せず堂々と訴え出ればよいのじゃ!」との時子母の言葉にも黙して筋を通す重盛…
それが1170年、7月3日のこと。


1170年9月、清盛はついに福原に宋国の使者と後白河を招き、宋との交易を要とする国づくりが実現に一歩近づいた時、
清盛が時忠に都での憂いを取り除くように命じ―事件は起きる。
基房の輿が謎の武装集団に襲われ、まさかの報復に俄かに周囲の者に見直される重盛―…

「正し過ぎるという事は、最早間違っているに等しい」という時忠に任せたのは清盛。

重盛ではない――徳子とともに琵琶を弾く時子様は判っておいでのようでした…。
そして、現場検証(笑)をした重盛も総てを察する―。

一門の尊敬の眼差しに何も言えず、妻・経子と2人だけになると悔しさと敗北感に崩れる。
筋を通し、穏便に済ませようとした。しかし、それが自分の道なのだ!父ではない・・。

      

ドラマでは真面目な重盛の融通の利かない神経質な面のみがフォーカスされヘタレ男ですが
「心麗し」「心操穏やか」と評される彼には怒ると非常に怖い面もあったといい、
実はこの報復も彼の指示であったとも言われています。
平氏の棟梁となりながらも、大きな父という壁に、頑張っても報われない重盛の
苦しい心情が胸に響く窪田正孝くんの演技が光った回でした。
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