大切な人を失った時、人は悲嘆にくれる。
突然の死であれば尚更だ。
夫は会社から帰って来て、深夜、呼吸困難を訴え、突然、本当に
突然あっという間に亡くなってしまった。
信じがたい出来事。
必死に心肺蘇生をしたが、彼は二度と…
呆然としたまま、通夜も葬儀でも涙が出なかった。
実感がわかなかったからである。
悲しみは日を追って深くなって、涙が滂沱のごとく流れた。
しかし、未成年の子供を二人残され、泣いている暇はなかった。
子供達の前で泣くことも出来なかった。
犬の散歩、出勤の車の中、帰りの車の中…ひとりになると涙は溢れて
止まらなかった。
何故、助けてあげられなかったのか、自責の念にさいなまれ、夫の最後
の顔がフラッシュバックする。
ひょっこり帰って来るような気がして家のドアの鍵をかけられない日が続
いた。
会社に入ってみたり、車通勤だったのに、駅に迎えに行って待ってみたり。
背広を、靴を、免許証を揃え、いつ帰って来てもいいようにしていた。
家の中で物音がすれば彼かと思って見に行った。
我ながら、変な行動をしているとわかっていた。
しかし、突然いなくなってしまったことに対して、どこか納得していなくて。
「夫は死んでしまった」と自分で確認する作業だったように思う。
そうやって1日、1日、諦め、諦め…
時が経っても、嵐さながらの人生でしんどかったが、どこか、ほっとしていた。
夫を助けられなかった、だから、私は罰せられていて、こんな苦難が押し寄
せるのだ。
当然なのだ。
夫は無念の中で死んで行った。
彼を救えなかった私は幸せになってはいけない、美味しい物を食べてはい
けない、楽しい思いをしてはいけない。
あの頃はそう思っていた。
夫の死を受け入れ、本当の意味で立ち直るのに5年くらいかかった…よう
に思う。
ちょうど、今頃。
やわらかな春風。色鮮やかな花たち。
「ああ、私は生きている、
生きていて良かった」
そう思った。