今日は、琴浦町社会福祉協議会で行われた「おとなの学習」に参加。
そこで紹介された「あたりまえ」という詩。
あたりまえ 井村和清
こんなすばらしいことを、みんななぜ喜ばないでしょうか。
あたりまえであることを、お父さんがいる、お母さんがいる。
手が二本あって、足が二本ある。
行きたいところへ自分で歩いて行ける。
手を伸ばせば何でも取れる、音が聞こえて声が出る。
こんな幸せなことがあるでしょうか。
しかし誰もそれを喜ばない、あたりまえだと笑ってすます。
食事が食べられる。夜になるとちゃんと眠れ。
そして又朝が来る。
空気を胸一杯吸える。笑える、泣ける、叫ぶこともできる。
走りまわれる、みんな、当たり前のこと。
こんな素晴らしい事を、みんなけっして喜ばない。
そのありがたさを知っているのは、それを失った人たちだけ。
なぜでしょう、あたりまえ。
井村和清 1947年 富山県生まれ。岸和田病院内科医として勤務。
1977年 右膝の悪性腫瘍の転移を防ぐため、右足を切断。
その後も立派な医師として働き続けたが、
しかし、やがて腫瘍は両肺に転移し呼吸困難になる。
1979年1月 32歳の若さでなくなる。