人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

どのような信仰の教えも、子供に対して両親が示す愛情の埋め合わせにはなりません。

2014年10月28日 | お気に入りの言葉

世にいる自分のものたちを愛して・・・・ヨハネ一三・1
「私たちは私たちを最も愛する人々にたいし、とりわけ優しくしなければならない」と、J・R・ミラーが「やさしい心」という小さな書物で述べています。
お互いの心は、他の人を損なわずに最も大事な家族を愛する権利を持っています。
今、家庭における宗教の重要性が叫ばれています。宗教のない家庭は、なにかに欠けていて不幸です。
でも私たちの家庭の宗教は、真実で本物でなければなりません。また霊的で命の宗教であって、単に形式的なものであってはなりません。
家庭の宗教は、思いや言葉や行為に働く愛であるべきです。
愛は、忍耐、克己、節制、怒っても優しさを失わないことです。
自分を表すばかりでなく、すべての優しい思いやりや、家族団らんの小さな優しいふるまいにも現されなければなりません。
どのような信仰の教えも、子供に対して両親が示す愛情の埋め合わせにはなりません。
ある男の人の告白を聞いて下さい。
「私の母は、立派な婦人でした。母は息子たちが教会や日曜学校に行くことを強く求め、私たちに祈ることを教えました。でも私は、母が私にキスをしてくれた覚えがないのです。」
家庭でどんなに多く聖書が読まれ、祈りがささげられ、教理問答がなされても、もし優しさが欠けているなら、意味がありません。
子供というものは、愛情を受けなければ育ちません。
愛情は子供の生涯にとっては、太陽光線が、植物や花にどうしても必要なのと同じです。子供たちの命は、優しさのない家庭では十分成長いたしません。
愛情の欠如は、子供たちの生涯にとつて取り返すことのできない損失を残します。
荒野の泉 カウマン夫人著より