ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。(ローマ八・三二)
最高の生活は、それより程度の低い生活よりも更にいのちに満たされた生活である。私たちは、習慣や道楽を断念するというが、それは人を誤解させる言い方である。こじきは、着物を着せられるとき、着ていたぼろを脱ぎ捨てる。足なえは、いやされるとき、松葉づえを捨てる。しかし、これらは犠牲ではない。 キリスト者は、奴隷が自由の中に歩み入るとき鎖を投げ捨てるように、自分の自由を妨げるすべてのものを放棄するのである。キリストの召しは、自由な、豊かな、そして拘束のないいのちへの召しである。 ロバート・スピア
L・B・カウマン著 「山頂めざして」より