わたしは神のもろもろのわざを見たが、人の日の下におこなわれるわざを窮めることはできない。伝道の書8章17節
「あきらめる」ということばは、事柄を「明らかにする」という意味から由来しています。
事柄が明らかになる――――つまりすべてがわかったとき人は「諦める」しかない、ということでしょう。
しょせん世の中はこういうものだ、と。
しかし、聖書はいうのです。わかったと思ってはならないと。
神の知恵はわたしたちの知恵のわくをはるかにこえて深いことをみとめなければなりません。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より