イエスの言葉「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」マタイ福音書19:5-6
二人は一体である。
結婚を神が結び合わせてくださったものと捉えること。
従って別れてはならないと命令されたこと。
この言葉からスタートして、二人で幸せな結婚生活を末永く送るにはどうすれば良いかを考えることで、かなり回避できる様に思います。
イエスの言葉「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」マタイ福音書19:5-6
二人は一体である。
結婚を神が結び合わせてくださったものと捉えること。
従って別れてはならないと命令されたこと。
この言葉からスタートして、二人で幸せな結婚生活を末永く送るにはどうすれば良いかを考えることで、かなり回避できる様に思います。
私にも、色々試練がありましたが、その都度逃れ道が用意されていた様に思います。今試練にある人、この言葉を信じて、忍耐しましょう....祈りながら。
パウロの言葉「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」コリント人への第一手紙10:13
ゆるさない事(憎しみ、復讐心等など)によって、色々な不幸な事(無視、別れ、殺人等など)が起きます。反対にゆるすことによって、これらの事は回避されます。また本人の気持ちもゆるすことで楽になります。憎しみ等の感情を持ちながら生活していくことは苦しくつらいものです
「仏の顔も三度まで」という言葉がありますが、イエスは徹底して「ゆるしなさい」と言われました。
ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」 マタイ福音書18:21-22
色々な犯罪が報道されているが、その多くの原因は金銭欲によるものと思う。足ることを知るものとなりたい。
わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。テモテ第一手紙6:7-10
なんでこんな苦難が・・・苦難の意味は、神にしか解らぬと思うか゛、私のちいさな経験からひとつは次のことが言えると思う。
肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。ヘブライ人への手紙12:10-11
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に...コヘレトの言葉12:1
私は30代にイエスを知った。それにより、この年になり、仕事がなくなっても日々楽しい。
皆さんにも早くイエスを知って頂きたい。今からでも遅くありません。
今年の5月末から畑を借りて、色々なものを植えてみた。元来短気なせいか早く育つように苗を買ってきて植えた。種から植えるというような発想はなかった。家内がトウモロコシとピーナツツの種(これは殻付きのピーナッツを割って取り出したものでそのまま食べられる)を用意し、植えるように言った。あまり気が進まなかったが植えたみた。ところがびっくり一週間もすると小さな苗程度になった。今では大きく成長し、感動した。
イエスのたとえ「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」ヨハネの福音書12-24 これはイエス自身の十字架の死を言われたものだが、今回の畑仕事をとうしてイエスのたとえの素晴らしさ?言葉使いの妙を感じた。
ちなみに植えられなかった殻の中のピーナッツはそのままである(少しづつ食べている)