あらぐさ(雑草)のこころ

(備忘録)真実は見えないところにある

バイク回想 2

2013-07-19 16:38:00 | ノンジャンル
初めての北海道は、CB500Fと弟のカワサキ650WⅠSAと二台でで行きました。

カワサキ650WⅠSA



憧れの北海道!
直線の国道が延々と続く。
当時は、現在とは違い、大型バイクで北海道に渡ってツーリングする事自体が、バイク仲間内では結構自慢になるような「ステータス」だった時代でした。

北海道は、フェリーを使うので、お金も時間もかかるのですが、友人と話をしていた時、片足が義足の友人の話になり、彼が北海道に行ったことに激しく影響されて、本州は関西まで走ったこともあって、「いよいよ北海道!」という気持ちになりました。



襟裳岬への途上、故障でエンジンが止まってしまっている旧車スズキT500の名古屋ナンバーを牽引したり、千葉のCB750と仲良くなったりで、楽しい道中だったのですが、最も心を動かしたのが当時発売されたばかりのカワサキ「750RS=通称ZⅡ(ゼッツー)」でした。
北海道4日目あたり、国道で一服している初期型ZⅡのファイアボールを見て、次はこのバイクにしようと決めたのでした。

カワサキ750RS(ZⅡ)初期型ファイアボール



このバイクは、何と言っても優雅で美しいフォルムが印象的です。
ところが、資金が無いためにCB500を下取りに出して、苦しいローンでようやく買ったのが翌年になってしまいました。
新車で買ったのでⅡ型になりましたが、素晴らしいバイクでした。
ZⅡは、伝説的な旧車として現在の中古価格は軽く150万円にもなっています。
しかし、欠点も結構ありました。
一番困ったのが、走行距離が増えてくると、スインアームピポットの「へたり」やフロント周りの剛性不足が目立ってきました。
高速コーナリング中(或いは「ベタ寝せ」コーナー)には、フロントがふわふわするし、リヤタイヤがフロントよりも「寝て」しまって、コーナーの外側にはみ出てしまう症状が顕著でした。
といっても、限界走行での症状ですので通常の使用では全く問題が無くて、一般的にはあまり問題にならなかったようです。

1975年、下北におにゃの子とタンデムしてツーリングした時のZⅡ。
この後まもなくおにゃの子と結婚しましたが、この亡妻とは、子供が出来るまでは東北のあちこちを随分ツーリングしました。
この上ない楽しい思い出です。
しかし、この髪型、どうしちゃったのでしょう。笑えます・・・



この後、3年ほどノーマルのままZⅡに乗っていましたが、長女が生まれるという事を機に、当然生活一番なので車も軽自動車にして、ZⅡは売却しバイク無しの生活になりました。

ところが、一旦バイク所有が途切れている間に、僕のバイクとのかかわり方は「のんびりツーリング」から「限界スピードマニア」に変貌していました。

次回からは、貧乏愛車改造物語です。

北海道ツーリングの歌です。


<ツーリングブギ>

エンジンを切り 東を振り返れば
長い長い影が 草原に伸びる
体の痛みは 旅の証

そんな旅を 繰り返し老いてゆく
何を求め今日も バイクを駆るのか 
俺の胸にそっと 聞いてみる 

国道沿い 小さなバス停の待合室
シュラフにくるまり 夜露から体を隠す
泥のように 眠りに落ちる

タンデムシートに濡れたシュラフと 埃だらけの荷物を縛り
地図を広げて  今日のルートを目で追って
煌く朝陽に 走り出す

旅に出てもうどのくらい 走り続けたのか
故郷を想う 俺の心は
旅の終わり を告げるのか

若い頃から いつでも一人旅
求める答えは 故郷に帰り着き
風呂上がりの 一杯のバーボン

ツーリング ツーリング ハイウェイ ツーリング
ツーリング ツーリング ワインディング ツーリング
ツーリング ツーリング ハイスピード ツーリング


バイク回想 1

2013-07-19 00:30:00 | ノンジャンル
ちょっとバイクの事を書いてみます。
何回かに分けますがまずは、「のんびりツーリング」の時代からです。

高校の頃、大田舎の山間の地域だったので、農繁期には同級生たちは無免許でも農作業の戦力として、テーラー(リヤカー付き小型特殊)や三輪トラックなどを運転していました。
僕は、農家ではなかったのですが、すでにバイクを買ってもらっている同級生からバイクやテーラーの運転を習っていました。

田舎の高校を卒業し、秋田市で就職して最初に向かったのがバイクの免許でした。ロクに運転もできなかったのですが、実地試験2回目(法令を合格すると実地試験は2回受けられた)で合格し、秋頃に早速買ったのが(安給料でもローンで買える)125ccのオフロードバイクでした。

ヤマハAT125(僕のはスカイブルーでした~写真が無くてネットから借用)



しかし、AT125は一冬遊んだだけでした。雪が消えるころには自分のバイクとのかかわりは「ロングツーリング」だと目覚め、何日も走り続けるなツーリングに向いたバイクを考えました。

そして買ったのが、<静かなる男のマシン>というキャッチフレーズで売り出した「ホンダCB500Four」です。(1971年)
CB750Fでもよかったのですが、当時の資金としてはCB500Fがローンが組めるギリギリの値段の大型バイクだったのです。



このバイクは、歴代所有のバイクの中では最も完璧な長距離ツーリングに適したバイクでした。
東北六県はもとより、北海道、北陸、中京、京都など、夏には有給をまとめて取って数万キロにも及ぶ野宿ツーリングを楽しみました。自動車の免許を必要としない程、あらゆるシチュエーションでこのバイクを使っていました。
繁華街の川反に呑みに行くのも海水浴もデイトも、現在と違いノーヘルで乗れる時代だったこともあり、すべての用事はバイクに乗って行きました。