ちょっとバイクの事を書いてみます。
何回かに分けますがまずは、「のんびりツーリング」の時代からです。
高校の頃、大田舎の山間の地域だったので、農繁期には同級生たちは無免許でも農作業の戦力として、テーラー(リヤカー付き小型特殊)や三輪トラックなどを運転していました。
僕は、農家ではなかったのですが、すでにバイクを買ってもらっている同級生からバイクやテーラーの運転を習っていました。
田舎の高校を卒業し、秋田市で就職して最初に向かったのがバイクの免許でした。ロクに運転もできなかったのですが、実地試験2回目(法令を合格すると実地試験は2回受けられた)で合格し、秋頃に早速買ったのが(安給料でもローンで買える)125ccのオフロードバイクでした。
ヤマハAT125(僕のはスカイブルーでした~写真が無くてネットから借用)
しかし、AT125は一冬遊んだだけでした。雪が消えるころには自分のバイクとのかかわりは「ロングツーリング」だと目覚め、何日も走り続けるなツーリングに向いたバイクを考えました。
そして買ったのが、<静かなる男のマシン>というキャッチフレーズで売り出した「ホンダCB500Four」です。(1971年)
CB750Fでもよかったのですが、当時の資金としてはCB500Fがローンが組めるギリギリの値段の大型バイクだったのです。
このバイクは、歴代所有のバイクの中では最も完璧な長距離ツーリングに適したバイクでした。
東北六県はもとより、北海道、北陸、中京、京都など、夏には有給をまとめて取って数万キロにも及ぶ野宿ツーリングを楽しみました。自動車の免許を必要としない程、あらゆるシチュエーションでこのバイクを使っていました。
繁華街の川反に呑みに行くのも海水浴もデイトも、現在と違いノーヘルで乗れる時代だったこともあり、すべての用事はバイクに乗って行きました。
何回かに分けますがまずは、「のんびりツーリング」の時代からです。
高校の頃、大田舎の山間の地域だったので、農繁期には同級生たちは無免許でも農作業の戦力として、テーラー(リヤカー付き小型特殊)や三輪トラックなどを運転していました。
僕は、農家ではなかったのですが、すでにバイクを買ってもらっている同級生からバイクやテーラーの運転を習っていました。
田舎の高校を卒業し、秋田市で就職して最初に向かったのがバイクの免許でした。ロクに運転もできなかったのですが、実地試験2回目(法令を合格すると実地試験は2回受けられた)で合格し、秋頃に早速買ったのが(安給料でもローンで買える)125ccのオフロードバイクでした。
ヤマハAT125(僕のはスカイブルーでした~写真が無くてネットから借用)
しかし、AT125は一冬遊んだだけでした。雪が消えるころには自分のバイクとのかかわりは「ロングツーリング」だと目覚め、何日も走り続けるなツーリングに向いたバイクを考えました。
そして買ったのが、<静かなる男のマシン>というキャッチフレーズで売り出した「ホンダCB500Four」です。(1971年)
CB750Fでもよかったのですが、当時の資金としてはCB500Fがローンが組めるギリギリの値段の大型バイクだったのです。
このバイクは、歴代所有のバイクの中では最も完璧な長距離ツーリングに適したバイクでした。
東北六県はもとより、北海道、北陸、中京、京都など、夏には有給をまとめて取って数万キロにも及ぶ野宿ツーリングを楽しみました。自動車の免許を必要としない程、あらゆるシチュエーションでこのバイクを使っていました。
繁華街の川反に呑みに行くのも海水浴もデイトも、現在と違いノーヘルで乗れる時代だったこともあり、すべての用事はバイクに乗って行きました。