Harmony

ちょっと呟いて孤独からの脱出?

酷く酔った

2009-08-09 23:29:24 | Weblog
車に酔った。
夫の実家のお墓参りの帰りに、
車に乗った途端気持ち悪くなって、40~50分。
辛かった。
でも、なんとか耐えきった…。

なのに車を降りても良くならなく、
皆で行った回転寿しも食べられずに、
お店ではお茶と、トイレに3回通っただけ(泣)。

実家に戻ってしばらく横になって、
バスや車は恐くて乗れないから、
駅までちょっと歩くけど地下鉄でようやく帰った。

車酔いなんて最近めったになくなってたのに。
すぐ戻らないのもおかしいし、
どうしちゃったかなぁ。


昨年年末以来の夫の実家。
久し振りの皆とのおしゃべりとか、楽しみだったのにね。

病気やらなにやらと色々あっても、
あまりネガティブにならないのんびりな人達。
そんな雰囲気での会話は、私にはちょっと癒しなのだ。
なのに、今回そして前回もかなり不調だった。

こんな事がある度、どんどん身体の自信がなくなってく。
気持ちだって萎えちゃう。
哀しいなぁ。

今夜はまたお粥で、
体重計がまた恐い。



「真幸くあらば」ばかりを聴いているのは、こんな心身にはどうだろうか。
なんて思いながら、
やっぱり聴かずにいられなくて、今日も困った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あらら・・・

2009-08-08 12:35:48 | Weblog
なんでしょ、この不思議な感覚。

昨日から抜けられません。

「真幸くあらば」の世界に、どっぷりです。

直太朗の声がまとわりつくようです。


なんだか、困ったかも。

なので、安定剤なんぞを飲んで…


さあ、そんな気持ちを振り切って、出掛けなきゃです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真幸くあらば

2009-08-07 15:20:00 | Weblog
ようやく、1月公開ですね~。


映画「真幸くあらば」

 http://www.masakiku.com/


引き込まれるような歌声が、この映画の世界でしょうか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疼き

2009-08-07 15:14:36 | Weblog
大原麗子さんが亡くなった事、とても驚きました。
好きな女優さんでした。
映画等色々見た訳ではないけど、
あの容姿も雰囲気も、女性から見てもとても魅力的な人でした。
なのに寂しいその最期、哀しいです。

同年代で一人暮らしの私には、
他人事ではない最期なのかもしれないけれど。



昨日の新聞のコラム、
鷲田清一さんの「夢のもつれ」は「生きづらさについて」です。

加齢や心身の不調、失職や劣悪な就労等で
『現代社会はひとがおのれのひよわさ、もろさ、ちっぽけさ、
つまりはみずからの限界に向きあわされるような場面に満ちている。』
と言います。

そのなかで、老いについて書かれていることに、
いまそこへ足を踏み入れようとしている私は頷かされます。

いまは、マイナスのイメージの中でしか思い浮かべられなくなっている老い。
その空気の中で、こんなわたしでもまだ生きていていいのかとの思いを高齢になるにつれてため込んで行くのだと言うのです。

そして
『いのちが黄昏れて来る、しかもけっして短くはないこの時期を、こうした思いを抱えたまま生き抜くというのは、たいへんなことである。』と。

努め(勤め)とか期待(される)がなくなったとき、
『じぶんの存在がだれにとっても何の意味もないと思い知って、それでもなおじぶんの存在に意味があると言い切ることは、ひととして法外に難しいことである。』

老いばかりでなく、
『多くのひとがじぶんがここにいていい理由を問わなければならないのは、わたしたちの生きている社会が「何ができるか」「何をしたか」でひとの存在価値を測る社会だからである。「いるだけでいい」とはなかなか言いにくい社会だからである。』といいます。

『自分が「いる」に値するものであるかどうかを、ほとんどポジティブな答えがないままに恒常的にじぶんに向けるような社会は、寂しい社会である。この、じぶんの存在をすっと肯定できないという疼き、これこそが「生きづらさ」という思いの根っこにあるものではないかとおもう。』と。
               
                    鷲田清一「夢のもつれ」より 一部引用


やはりそうなのだという少しの安堵感のようなものと、
けれど、これから先、どれだけの時間を、
私はこの「疼き」を抱えたまま生きて行かなければならないのだろうかという
不安と。

悩ましいのです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続き

2009-08-06 22:51:12 | Weblog
広島のこども代表の言葉に胸を打たれました。
グレゴリー・カキラー氏のメッセージにも呼応するような平和の誓いです。



広島原爆の日:こども代表 平和への誓い(全文)

 人は、たくさんの困難を乗り越えてこの世の中に生まれてきます。

 お母さんが赤ちゃんを生もうとがんばり、赤ちゃんも生まれようとがんばる。

 新しい命が生まれ、未来につながっていきます。それは「命の奇跡」です。

 しかし、命は一度失われると戻ってきません。戦争は、原子爆弾は、尊い命を一瞬のうちに奪い、命のつながりをたち切ってしまうのです。

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。


 それは人類が初めて戦争による被爆者をつくりだした時間であり、世界が核兵器について真剣に考え始めなければならなくなった時間です。

 あの日、原子爆弾は、広島の街を一瞬にして飲み込みました。

 建物は破壊され、多くの人々が下敷きになりました。人々の皮膚は、ボロ布のように垂れ下がり、「助けて」、「水をください」と何度も言いながら、亡くなっていったのです。それは、人間が人間らしい最期を迎えられなかった残酷な光景でした。

 多くの夢や希望を一瞬にして吹き飛ばされた人たちの悲しい、「闇」の世界でした。

 世界の国々では、今も、紛争や暴力によりたくさんの命が奪われています。僕たちのような子どもが一番の犠牲となり、体に傷を負うだけでなく、家族を失い心に大きな傷を負っています。日本でもまだ多くの人たちが原爆の被害で苦しんでいます。入退院を繰り返す被爆2世の人もいます。だから、まだ戦争は終わったとは言えません。

 これから先、世界が平和になるために、私たちができることは何でしょうか。

 それは、原爆や戦争、世界の国々や歴史について学ぶこと、けんかやいじめを見過ごさないこと、大好きな絵や音楽やいろいろな国の言葉で、世界の人たちに思いを伝えること。

 今の私たちにできることは、小さな一歩かもしれません。

 けれど、私たちは、決してあきらめません。

 話し合いで争いを解決する、本当の勇気を持つために、核兵器を放棄する、本当の強さを持つために、原爆や戦争という「闇」から目をそむけることなく、しっかりと真実を見つめます。

 そして、世界の人々に、平和への思いを訴え続けることを誓います。

 平成21年(2009年)8月6日

 こども代表

 広島市立矢野小学校6年 矢埜哲也

 広島市立五日市南小学校6年 遠山有希

                      (毎日新聞

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は

2009-08-06 21:48:00 | Weblog
64回目の広島原爆の日。


唯一の被爆国日本の私達に向けたこのメッセージを
複雑な思いで聞いていました。

米核政策の「チェンジ」へ、鍵を握るのは日本





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日も子供で

2009-08-05 13:39:20 | Weblog
保育園の庭の塀の上から子供達(男の子)が歩道を指差して、
なにやら騒いでる。
(子供達のいる庭は歩道より少し高い。)

わたし 「どうしたの?」
子供達 「ケムちゃん!ケムちゃん!」
わたし 「え?何?」
子供達 「ケムちゃん!!」
わたし 「えーっ??あーっ!毛虫…(ギョッ!)」
子供達 「捕って~捕って~~」(皆で)
わたし 「・・・・・
     ケムちゃん、ここで遊んでるから、このままにしとこう?」
子供達 ( 納得顔 )

虫嫌いでも上からなら見られるくらいの、ごく小ちゃな毛虫らしきもの。
よかった~。
そんなんじゃなかったら、いくら子供と話したくたって、
ギャーッてなりふり構わず逃げたよ。

男の子達の横で大人しく眺めてた女の子達にバイバイして、
それから買い物に行って、
30分後まだ子供達がいるのを期待して通ったら、
もう誰もいなかった。

午前中の子供達との嬉しい2.3分。
おかげで今日一日元気に過ごせそうな気分になった。



戦争は知らない カルメン・マキ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供と~

2009-08-03 13:21:18 | Weblog
女の子と遊ぶのはもちろん好きだけど、
男の子とも遊びたい!

今すごく遊びたい男の子。
まえだまえだ!笑
友達になりたい~。


小学校高学年から、中学、高校時代。
私の近所の友達は、みんな小学生以下の子。
20代でもちょっとそうだった。

自分も小さい子供になって、
無邪気に自然にいられて、
楽しくてたまらなかったなぁ。


歳とともに、また子供に戻って行くというから、
小さな子と遊んだあの頃に、私もまた戻って来てるのかな。
ま、ずっと常に小さい子とは遊びたかったんだけど。

子供と遊ぶのも、私にとってはもしや現実逃避の一つ・・・かもね。


今朝は身体が布団にへばりついてた。
昨日の運動、風船突き(風船バレーかな)のせいだね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の仕事

2009-08-02 17:38:30 | Weblog
いくら子供が好きでも、3時間一緒に動くのは、
身体がかなりキツいのよ。
なんたってメインは風船突きだもの。

今日は、お母さん、そしてその子なりのそれぞれの予定みたいな物が組まれてて、
わらび餅作りから始まり、ゲームやら風船突きやら。

あんなに風船突きをしたのは初めてかも。
その子も私もふうふう言いながらで。
そりゃあすごく楽しいんだけど、
途中から身体がホント付いて行きません。

まあ、いい運動にはなったでしょうけどね。


今朝7時半過ぎに、お盆のお参りでお坊さんが来て、
スローな私はその2時間近くも前に起きて準備だったし、
夕べあまり眠れなかったしで、
すでに疲れてたってのもあるのかな。

それにしても、疲れましたよ。


コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人と花火

2009-08-01 13:55:45 | Weblog
3年振りに集まった同級生6人。
皆なんとか元気そうだった。

このメンバーといると
人生いろいろだなぁって、
いつも思う。

今日の花火みたいに、
パッと咲いてパッと散るなんてことは、
良くも悪くもある訳はなく。
これからの人生、それぞれうまく生きたいね。


3年前も花火の時お世話になった友人の家は、
花火会場のすぐ側。
ほんとになーんていい場所なんだろう。
街中なのに自然がいっぱい。
年を取ると、なおさらああいう所に住みたいなと思う。


でもそんなすぐ近くなのに、
花火が終わって友人宅に戻ろうとしたら、
来た道は通してもらえずかなりな遠回り。
それも人人人で渋滞。
30分以上も掛かってしまった。

そういえば花火の途中で帰る人が多くて、
なんで?って思ってたけど、
そういう事だったのね。
地下鉄に乗るのだってきっと一苦労だ。



ところで、
今朝、鏡を見たら、口のまわりにいつもにはないシワが…
そうか、花火の間中ずっと笑った顔のままだったから?
花火見ながらもそう思ってたんだった。
私ずっとこの顔だなって。

しばらく笑った顔しないでおこう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする