
二尊院近くに佇む厭離庵は小倉百人一首を編纂した藤原定家の山荘跡と言われ、長らく荒廃していたのを冷泉家が修復、霊元法皇より「厭離庵」の寺号を賜り、現在は臨済宗天龍寺派に属する寺院です。


















清涼寺(嵯峨釈迦堂)の西門から200m程西に進み、狭い路地の奥に山門があります。
案内の看板がなければ通り過ぎてしまいそうになります。



山門を入ると景色は一変、もみじの世界に入って行きます。



大正12年に再興された茶室「時雨亭」です。当時裏千家出入りの数寄屋大工岡田永斉により建てられました。



敷地は狭いですが茶庭を感じさせる露地風庭園です。

境内には「定家鄕御跡」の石碑があり、こちらも定家が営んだ山荘跡の候補地のひとつです。



ご本尊さまは如意輪観音菩薩坐像で天井には飛天が描かれています。

最後に藤原定家の一首「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くも藻塩の 身がこがれつつ」の御朱印を授与して頂き、次に清涼寺(嵯峨釈迦堂)へと向かいます。
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