9月3日は、リストランテ野呂さんで青森県のブランドとうもろこし"嶽きみ"の料理を頂き、次に徒歩で二条城へと来ました。
今回の目的は明治天皇の命で御所から二条城本丸へと移築された桂宮家の主要な建物が耐震補強工事と修復がこの春に完了しました。
実に18年振りにこの9月から一般公開されています。(事前予約制)
受付を終えるとロッカー室に通され、貴重品以外は全てロッカーに預けるシステムです。
もちろん写真撮影も禁止で、畳の赤い縁を踏まない様に注意がありました。
畳の赤い縁は絹で出来ているそうです。
徳川幕府の栄枯盛衰をみつめ、明治以降は皇室の離宮となった、歴史ある二条城。広大な城内は、主に二の丸御殿(国宝)、本丸御殿(重文)、庭園から成ります。
明治から大正にかけては、皇太子時代の大正天皇(嘉仁皇太子)や昭和天皇(裕仁皇太子)の宿泊所として使用されました。特に大正天皇は約10回滞在し、新婚旅行でも宿泊。愛犬と一緒に庭園散策を楽しまれたというエピソードも残ります。
本丸御殿は、玄関・御書院・御常(おつね)御殿・台所及び雁の間の4棟で構成され、宮家を感じる格式ある建築・空間になっています。
御殿の中心部は、皇太子への拝謁所として使われた、御書院の「一の間」から「三の間」。なかでも「一の間」は床が一段高く、天井は格天井、壁と床の間は金箔貼で、格式の高さがうかがえます。御書院の四季の間には、“卍崩し(まんじくずし)の欄間”が。実は、このデザインに似たものが桂宮家の別荘であった桂離宮にもあり、桂宮家ゆかりの建物であることがわかります。また、宮家の居室や寝室のあった御常御殿は、中央が膨らんだむくり屋根が採用され、優美な印象です。
御殿の各室内には、237面におよぶ障壁画に彩られています。
江戸時代後期に京都で活躍した、京狩野や円山派、四条派といったさまざまな流派の絵師によって描かれ、その多くは京都御所の障壁画制作にも携わったといいます。
障壁画のテーマは、四季折々の植物や風景、風俗。狩野派の豪華絢爛な障壁画に彩られる二の丸御殿に対し、異なる流派が手掛ける様々な作品を鑑賞できます。
係の人に伺うと12月からは違った部屋の見学に変わるそうです。
二の丸御殿の"威圧感"のある天下人の内装とは趣きが異なり、宮家の"優美さ"を感じます。
京都御苑内にある桂宮邸跡も近年に整備され公開されています。
庭園に池泉、邸宅跡には各部屋があった説明版があり、かっての宮家の雅な雰囲気を味わう事が出来ます。
二カ所を見学すると、かってあった桂宮家の優雅な邸宅が想像することが出来ます。
掲載の桂宮邸内部の写真はネットからお借りしました。