油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

二月二日に、豆をまく。   

2021-02-07 08:01:55 | 小説
 種吉は豆まきは三日とばかり思っていた。
 「お父さん、今年は一日早いんだよ」
 豆まき役の次男の言葉にあたふた。
 「そっ、そんなことあるか。昔から二月三
日が節分と決まってるじゃんかよ」
 こいつめ、どうかしたんじゃないかと、種
吉は、じいっと、せがれの顔を見つめた。
 「まったく、あんたはなんにも知らないん
だね。そんなふうに世間のことにうといから
近所のひとにばかにされるんだよ。わたしさ、
恥ずかしくって……」
 種吉の女房があきれたといった表情で、彼
の顔をのぞきこんだ。
 いかに婿さんとはいえ、子どもの前である。
 おれだって多少なりとも亭主の威厳がある
はずと、
 「ええっ?いったい何の話だい?豆まきと
関係あるのかい。よけいなことは、なるべく
いわんでもらいたい」
 と口をとがらせた。
 「ふん、なにさ。えらそうに。あんたのこ
と、近所のうわさになってるよ。いつまでも
おんなじジャケットを着てるってさ。ああい
やだ。わたしが笑われるんだよ、わたしが」
 「そんなこと、気にせんでいい。あの人ら
は暇なんだ、だから……」
 種吉は、左手で、頬杖をつき、右手の指で
電気炬燵の上のテーブルを、こつこつたたき
だした。
 「もういいわ。節分にけんかなんてしたく
ないからね。でもさあ、あんた、とっても威
勢がいいこと。なにかいいことあったのかし
らね、ううん?」
 かみさんは、にわかにくすっと笑い、
 「わたしにね、隠しごとしたってさ。すぐ
にわかるんだから」
 彼女は意味ありげなことを口走り、いささ
か首をすくめ加減にして、茶の間から出て行
った。
 気分がむしゃくしゃするのか、種吉は、戸
外の空気でも吸おうと、電気炬燵のおかげで
ようやく温まりだした足を、むりやり、そこ
から引き出した。
 身に着けていた袢纏の襟を、きっちり胸の
ところで合わせながら玄関に向かった。
 「ふくはあ、うちい」
 次男の大声が、台所で、響きだした。
 (やれやれ、これじゃまるでおれが鬼みたい
じゃないか)
 引き戸をそっと開け、庭先を見つめる。
 いつの間にか、日は暮れていた。
 ガレージわきや植え込みの暗がりが一段と
濃くなっている。
 ほとんど闇に近い。
 (もしやあのあたりに、鬼やもののけがひ
そんでいるんじゃあるまいか)
 種吉はぼんやりそう思った。
 玄関の三和土の上である。
 「おとう、そこ、ちょっとどいてよ。わる
いね」
 種吉は、はいはいと素直に答え、せがれの
ために場所を空けた。
 凍てつく寒さである。
 棚吉のからだが、ふいにぶるっと震えた。
 「おお、さむ、こさむ」
 歌うように言い、種吉は茶の間にもどった。
 家族四人で夕餉を囲んでから、木のマスに
入った、煎り大豆を食べはじめた。
 「歯がわるいからな。七十ぜんぶ、とても
くえないよな」
 種吉がぼそりと言うと、みなが声を上げて
笑った。
 「あんた、入れ歯はどうしたん?」
 「どこへ行ってしまったんだか?今度ばか
りはまったく姿をみせねえやい」
 「入れ歯が歩いて行ったとでもいうんかい。
まったくあんたって人は……」
 ふたりのやりとりを聞いていたせがれふた
りは、あははと笑った。
 「それにしてもコロナだよな。鬼さんは。医
療にたずさわるお医者さまや看護師さんたち
大変なご苦労さんだよ」
 「あんたも、そんなこと考えてるんだ。え
らいじゃないの」
 「あったり前だ。それにしても、差別がひ
どいな。コロナに感染した人にも、その家族
にまでさ。こんなんでいいのかな。世の中が
いつまでも良くならないわけだ。おまえたち
もおれを見習え。見ろ。おれちゃんとな。こ
んなときでもな。マスク、あごにひっかけて
るぞ」
 (人さまが苦労してがんばってるってこと
を、みながちゃんと認めなくては。こんなこ
ともできないから、人のこころに、ときどき
鬼がしのびこむんだ)
 種吉は、その昔、発生した少年Aのしわざ
を思い出していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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