高速道路の新たな料金制度をめぐり、政府与党内で「迷走」しているという報道がある。もちろん、野党とマスコミがそう指摘しているわけだが、この程度で「迷走」という指摘は、根掘り葉掘り、批判の為の批判としか言えない。
これまで自民党が政府与党を担ってきた時代に、こういうことがなかったかといえば、そうではないであろう。過去どうであったかなど、文字通りどうでもよい事だ。
ただ、自民党政権時代は、官僚が下地を作り、その内容を「部会」という族議員たちの集まりで意思統一をしてきたから、目立った問題が顕在化しなかっただけではないのか。
今回のように政権内の関係部門(国土交通省)で、政治主導により政策決定された内容を、事前に与党内で「根回し」せずに発表した事は、何も間違いではないであろう。
また、これに対して、党(の代表格)が、政府の代表(総理)に対し意見を言うことは、当然のことであり、このこと自体批判の対象には当たらない。
まして、その程度の事で「迷走」とか、総理の「指導力欠如」などという批判は、まさに批判の為の批判であるとしか言いようがない。かつて政権を担ってきた政党の発言とは思えない点、選挙目当ての批判であり、残念である。
この点、自らの政党はこうする。こういう考え方もあるのではないかなど、提案を交えて、論議の糸口を作る方が、正しい在り方なのではないか。
結果としては、国会論議を経ていずれかの結論を得ることになるらしいが、それも当然の成り行きだと言えよう。党(の代表格)の一声で政府が方針を転換するのでは、政府の姿勢も党の方も問われる。
要するに、「国民生活が第一」の基本方針のもとで、どういう社会を創造していくか、国会の中で積極的に、全てがこぞって論議して決めることだ。
内閣の一方的な思いだけでは、国は正しく動かない事は言うまでもない。与党を構成する民主党も、400人を超える国会議員がいる訳だから、それぞれの議員が積極的に口を開く事が重要だと思う。
また、政府与党の中で多少の意見の違いがあったとしても、これをして代表の指導力があるとかないとか問う必要は全くないだろう。全てに於いて完璧な対応を執ることなど、誰に期待ができるだろう。
大切なことは、様々な角度から論議を尽くすことだ。高速道路の無料化は、民主党の政権公約であるわけだから、無料化に向けての論議を様々な角度から尽くすことこそ大切なのである。大いにそうした論議を期待しようではないか。
これまで自民党が政府与党を担ってきた時代に、こういうことがなかったかといえば、そうではないであろう。過去どうであったかなど、文字通りどうでもよい事だ。
ただ、自民党政権時代は、官僚が下地を作り、その内容を「部会」という族議員たちの集まりで意思統一をしてきたから、目立った問題が顕在化しなかっただけではないのか。
今回のように政権内の関係部門(国土交通省)で、政治主導により政策決定された内容を、事前に与党内で「根回し」せずに発表した事は、何も間違いではないであろう。
また、これに対して、党(の代表格)が、政府の代表(総理)に対し意見を言うことは、当然のことであり、このこと自体批判の対象には当たらない。
まして、その程度の事で「迷走」とか、総理の「指導力欠如」などという批判は、まさに批判の為の批判であるとしか言いようがない。かつて政権を担ってきた政党の発言とは思えない点、選挙目当ての批判であり、残念である。
この点、自らの政党はこうする。こういう考え方もあるのではないかなど、提案を交えて、論議の糸口を作る方が、正しい在り方なのではないか。
結果としては、国会論議を経ていずれかの結論を得ることになるらしいが、それも当然の成り行きだと言えよう。党(の代表格)の一声で政府が方針を転換するのでは、政府の姿勢も党の方も問われる。
要するに、「国民生活が第一」の基本方針のもとで、どういう社会を創造していくか、国会の中で積極的に、全てがこぞって論議して決めることだ。
内閣の一方的な思いだけでは、国は正しく動かない事は言うまでもない。与党を構成する民主党も、400人を超える国会議員がいる訳だから、それぞれの議員が積極的に口を開く事が重要だと思う。
また、政府与党の中で多少の意見の違いがあったとしても、これをして代表の指導力があるとかないとか問う必要は全くないだろう。全てに於いて完璧な対応を執ることなど、誰に期待ができるだろう。
大切なことは、様々な角度から論議を尽くすことだ。高速道路の無料化は、民主党の政権公約であるわけだから、無料化に向けての論議を様々な角度から尽くすことこそ大切なのである。大いにそうした論議を期待しようではないか。