小嶋つうしん(号外)

(元)大分県議会議員 小嶋秀行の徒然ブログ

スリランカの様子

2014年02月15日 | 社会
 スリランカの生活水準というか、労働者の給料は、月額平均4万から5万円程度だそうです。前に、昭和50年代という事を書きましたが、日本の昭和50年代初頭は、高等学校卒業の初任給が5万円程度だったと思います。

 国道を移動中、バスの窓から目についたのが建設中のビルの建設工法です。少し田舎に入ると2~3階建のビルが大半ですが、細い基礎工事が目立ち、2階、3階と建設する際、竹や木を無数に用いてコンクリートを張っており、日本の様に地震が多い国だと、建設基準法によりこの工法そのものがあり得ないと思う程の粗野な建設風景でした。

 「キャンディ」という街の市場と商店街を視察しました。日本の商店街とは全く異質でした。写真でお示ししたい程でしたが、清潔感は今ひとつでしたが、活気はすごいものがありました。

 また、宝くじ売り場が路地にいくつも設置されており、どのような立場でこの方々が宝くじを販売しているのだろうと思わせる、これでは日本では誰も買わない、信頼できないと思う程に、粗野な販売店が軒を並べているのが印象的でした。

 仕事柄、公衆電話と郵便ポストはとても気になりましたが、公衆電話は日本の様に、赤や緑など同一の色彩ではありません。キャリヤ(通信事業社)によって色が違うのであろうと、勝手に判断しました。色も形状も全く違います。

 郵便ポストは、キャンディであればその地域用と、スリランカ全土向け用とは郵便ポストの色と設置の向きが全く違います。もちろん同じ場所に設置されていますが、東と西を向いているという様に併設されています。

 生活の面でいえば、 田植えとお米の質が全然違うと実感しました。種の種類が全く違うのだと思いますが、スリランカのお米は比較的小粒で、炊飯後もパサパサしているという印象です。田植えの手法は、それこそ昭和50年代の農法の様に感じました。鷺が多数水田にいました。

 その精か、夕食も昼食も朝食も出される「ご飯」は殆どがピラフにしたもの。日本のお茶碗に白いご飯を装おうと言う感じではありませんでした。でも、西欧とは違い、炭水化物が多く食事として提供されるので、食事に違和感なしでした。

 ただ残念だったのが、観光地に行くと必ず「物乞い」する人がかなり多いことでした。多くを書きませんが、生活水準を高めるために、何か応援ができないものか、率直にそう思いました。

 この点、スリランカの教育がどういう状況なのか詳しく調べ、協力できるところはないか詮索してみたいという思いに駆られました。移動の途中でいくつかの学校風景や児童生徒の様子を見ましたが、制服を来ている児童や生徒はまだ良いのかもしれません。草履を履いている児童がいる一方、裸足の児童も多く、生活水準に大きな格差があるのだろうなと思いました。

 そこで、スリランカの政治体制について見ておこうと思います。スリランカは、紀元前483年にシンハラ族が島に上陸し、シンハラ王朝を建設。その後紀元1505年にポルトガルが植民地化、その後、1658年にオランダが植民地化、1802年にアミアン条約により英国植民地化。

 1815年にキャンディ王朝が滅亡し全島が英国の植民地化され、1948年に英連邦内で自治領として独立し、1956年バンダラナイケ首相が就任し、シンハラ語のみを公用語として、1972年、国名をスリランカに改称。英連邦内自治領セイロンから完全独立することになった。今年(2014年)2月に独立66周年記念式典が行われています。

 日本とスリランカの関係で特筆する事があります。
 日本が第二次世界大戦に負け、1951年にサンフランシスコ講和条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのはスリランカでした。当時の大蔵大臣で、後に、初代スリランカ大統領になるジャヤワルダナは、日本に対して、連合国側から分割統治などの強硬案が出される中で、対日賠償請求権の放棄を語っています。

『・・・我々は損害賠償を要求しようとは思いません。我々はブッダの言葉を信じているからです。ブッダの言葉、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」が人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム(タイ)、インドネシアそして、セイロン(スリランカ)へ伝わり、ヒマラヤを通ってチベット、支那(中国)そして最後に日本へ伝わりました。これが我々を数百年の間、共通の文化と伝統で結び付けているのです・・・我々は日本人に機会を与えなければいけません。』・・・と。

スリランカの交通事情

2014年02月14日 | 社会

 前回、キャンディの街などは、昭和50年代初頭の頃を思わせる風情である事を書きました。その訳は、オート三輪車がタクシーの主流で、180CCのバイクを改造したもので観光客を運んでいたり、耕耘機に荷台をつけて路上を走行したりという風景が、普通に見かけられます。

 それに、前首都のコロンボは別として、キャンディの街等には、国道に信号機が全くと言っていい程ありません。その上なんと、使われず電光を発していない信号機があります。混雑する交差点は、警察官が交差点の真ん中で手信号による交通指導を行なっているのです。あの大都会で。

 右側通行は、大枠のルールとしてはあるようですが、一般道路での追い越し行為は、観光バスに乗車している我々が怖さで身構える程に頻繁に行なわれています。その危険度はつい目を覆うほどでした。

 公共交通機関として、バスと鉄道があるようです。鉄道は限られた地域に運行されているようですが、路線バスは頻繁に行き交います。しかも、前述の一般道路での追い越し行為は、路線バスも小型乗用車と同じ頻度でこれを繰り返します。

 また、バスの形状や品質たるや、清掃整備があまり行き届いておらず、運転席のドアや乗車口のドアが開いたまま走行している車両も頻繁に見かけます。だからか、停留所に止まる前、まだ動いている状態でも乗客が下車する様子も頻繁。

 なんだこれはと思う様な運行状態ですが、バスの利用者の数は相当数ある様で、日本の様に、ガラガラで運行している路線バスは数える程。逆に利用者はかなり多く、山間部を走行した際も、所々に乗客らしき人の姿がたくさんありました。発展途上の国の様子としてそれは当然なのでしょうか。

 最終日、旧首都コロンボ市内を視察した際、車の数はさすがに元首都。特に夕方の四時過ぎからの交通渋滞は、日本の大都会なみの混雑。3車線を「オート三輪」(タクシー)を含め4台並んで走行する状態も頻繁。どうなってるのこの状態。それに、割り込みや走行車線変更も想像を絶するやりかた。この状態、日本では必ず喧嘩になる。

 ところで、視察途中で立ち寄ったレストランの駐車場に到着して、不思議に思った事がひとつありました。「排ガス規制」を示すシールや関連するシールが張ったままの日本車(中古車)を相当数見かけるのです。

 スリランカ全土の車両総数のうち、80%が日本車らしい。だからでしょうか国道を走行中、前を走る運送トラック荷台の後部面には、「高速道路は80㎞、一般速度は制限速度を守ります」との表示を張ったまま走っている車も見つけました。それは、日本車である事を示すことに大きな意義があるらしく、わざと剥がずに張ったままにしておくらしいのです。

 このように、スリランカの交通事情は様々に、信じられない光景を数多く目の当たりにして、この状態であれば自分は運転できないなと思いつつ、交通ルールを取り締まる交通公安当局も大変なのではないかと、同情しきりでした。

スリランカ事情

2014年02月12日 | 社会
 長年の積み立てが一定金額になったこと、それと、もう一つの事情からスリランカ国を(2月8日から)訪問する事となりました。

 もう一つの事情とは、APUに在学していたスリランカの前留学生(現在、日本国内で就職)が、スリランカ(人口約2033万人)で野球(野球人口約2000人程度)を振興できればという思いを我々の同僚に伝えていました。

 これを聞きつけた同僚が、であるならば余っている野球道具等があれば集めて送ってあげたらどうだろうと思い立ち、県庁内を中心に募集したところ、何と段ボール箱約30箱にも及ぶ野球道具類が集まりました。

 これを送付するにはお金も大量に必要ですが、それにしても、スリランカという国がどのような国情にあるのか、一度訪ねてみようとなり、所属する県民クラブの有志で、これまでの積み立て金を活用し訪問する事となったものです。

 当初の日程では、スリランカのチームと親善交流試合や交流を計画しようとしましたが、旅行日程の都合と相手方の都合が折り合わずそれは叶いませんでした。しかし、今回の訪問でスリランカの国がどのような国であるか、改めて知る事ができました。

 ご承知の通り、以前は「セイロン」と呼ばれていた国で、首都は「スリジャヤワルダナプラコッテ」です。我々が社会科で習った頃の「コロンボ」から30年くらい前に遷都しており、通貨は、スリランカ・ルピー。日本円の0.8程度の通貨。

 ギリシヤやダンラップ黄金寺院、ピンナワラの象の孤児院など、世界遺産にその数多く(12地域)が指定されており、国際的に観光客の多さではびっくりする程です。

 中でも「キャンディ」は、キャンディ市街そのものが世界遺産になっており、その賑わいも相当なものがありました。街そのものに活気があって、発展途上国特有の雰囲気がありましたが、日本の昭和50年代初頭(日本のバブル経済前)の頃を思わせる感じがしました。    つづく

食文化

2014年02月06日 | 社会
 巷では、炭水化物ダイエットが流行しているとか。私も、過日上京中に、とある本屋で「炭水化物が人類を滅ぼす」と題した書籍を発見し読んでみましたところ、納得行く点が多くあり、それをこの数週間恥ずかしながら実践していました。

 ところが、最近発行された週刊誌で、炭水化物ダイエットに関し「65歳以上の高齢者は寝たきりになりますよ」という警告が発せられており、ショックは隠せませんでした。

 この週刊誌の記事は記事で、そうした意見に整合性がなくもありませんでしたが、高齢者が炭水化物を何年もとらないとなれば、高齢の身体には少なからず影響はあるでしょう。そこは、加減というものがあると思います。

 読んだ本にも、やり方として、①プチ糖質制限(夕食のみ主食抜き)②スタンダード糖質制限(朝食と夕食のみ主食抜き)③スーパー糖質制限(三食とも主食抜き)とありましたが、前述の週刊誌の記事もあるので、今後は、③から①に変更しようと考えました。

 これまでの成果として、読んだ本に記載の通りの実例を実感しましたので、マイペースでこれを継続していく、要するに暴飲暴食をしない事だという事なのですよ。きっと。

 これから、木質バイオマスの研修です。良い報告ができればと思います。

お見合い

2014年02月04日 | 社会
 ブログを再開しました。これまで通り、徒然ブログです。ご笑覧の上、ご批正下さい。
 ご意見等に一つひとつお答えや反論を行うことは一切ありませんが、今後の参考にさせて戴きますことは申すまでもありません。

 ところで、昨日(2月3日)、友人の娘さんと知人の男の子を合わせ「お見合い」の真似事をしました。年恰好も背格好も丁度いい二人でした。「うまくいくといいネ」と、一緒に居た女房が言いました。私もそう思います。

 年恰好と書きましたが、丁度、現在の男女共の平均結婚年齢に二人とも達しています。これを機会にお付き合いが始まるとありがたいと思います。

 先日の日曜日に、友人の息子さんの結婚披露宴に招かれました。彼は、何度かお見合いも経験していたようですし、私も一人紹介しましたが、その際はうまくいきませんでした。

 今回は、バッチリ決まり、ご両親も大喜びでしたし、とても落ち着いた素敵なお嫁さんでした。「とても良いご縁があったものだ」と、一緒の来賓テーブルで皆さん口々にそう言っていました。

 何人かから、「うちの娘にいい人はいないかなぁ」とか、「うちの息子に良い娘さんはないかなぁ」など伺っています。これからも良い縁結びに一役と思っています。
                                    大分県議会議員 小 嶋 秀 行

お知らせ

   「新春の集い」(兼)「県政報告会」

  日 時  2014年2月15日(土曜日)11時30分開会
  会 場  ホテル キャッスル大分(大分市府内町)
  参加費  2000円(昼食代)
  記 事  当日は、釘宮 磐大分市長にご講演頂きます
  連絡先  大分県議会議員 小嶋秀行事務所 
        kurashinianshin@gmail.com までメールでお申込み下さい。