小嶋つうしん(号外)

(元)大分県議会議員 小嶋秀行の徒然ブログ

偽装が大流行しています

2007年10月31日 | 社会
最近、「偽装」が大流行になっています。しかも、老舗とか、人気ある有名な店などで「偽装」されていることに、世間では大変驚いています。
 消費期限と賞味期限について、関係筋の説明によると、5日以内に消費しなければ腐ってしまうものについては、「消費期限」を、5日以上でも腐らないものには、「賞味期限」をつける事になっているそうです。

 ところで、なぜ、こういう事件が発生(発覚)したのか。またそれ以前に、なぜ、「偽装」を行うに至ったのかという点に大変興味が湧きます。しかし、これまでに本質的な意味での解明はなされていないように感じています。

 少し話はずれますが、先に大問題になった「亀田親子」事件。三人兄弟の内の一人が、マスコミの前などで、(言葉遣いを含め、威勢をはるなどするのは)「仕事だから」と答えていました。これもある意味で偽装と通じるものがあるといえまいか。
 つまり、親父(専属のトレーナー)から、亀田兄弟のトレードマークとしてのルックスや言葉遣い、また、立居振る舞いなどを「教育」「指導」されていたからに他なりません。そうでなければ、生まれつきあのような横柄な態度や言葉遣いが彼ら三人にできるわけありませんから。

 そして、結局のところ、それだけの実力がないにもかかわらず、上位に挑戦し、打ち勝てない焦りから、結果として「K-1」紛いの試合内容に持ち込まざるを得ず、化けの皮が剥がされたとしか見ようがありません。
こう考えると、亀田兄弟がなにか不憫でなりません。

 話を戻しますが、これまで発覚しているような「偽装」がなぜ起こるのか。一つは、「賞味期限」とか「消費期限」という考え方に曖昧さがあるからだと思います。白い恋人、ミーとホープ、赤福餅、御福餅などで大問題になったこの偽装問題は、国や自治体の「消費者行政」に大きな問題をなげかけていると思います。

 二つ目は、倫理観や危機管理という点も指摘できると思います。特に、倫理観という点は、最終的に法律で縛る事ができない問題であり、まずは事業者の良識に頼る他ありません。
しかし、社会の競争環境の中で、相手より一歩でも有利に、そして相手より少しでも多く利益を挙げたいという思いが、「ばれずに済めば」とか、「だれも見ていなければ」という思いに発展し、偽装を常態化してきたものと言えないでしょうか。

 この「ばれずに済めば」とか、「だれも見ていなければ」という思いは、実は、我々の心の奥底に潜んでいます。いや、そんなことはないという方もおられるかもしれませんが、日常の生活の中で、時折頭をもたげてくる事があります。

 だからといって、もちろんこれらを正当化するつもりはありませんが、ただ、大人の社会で起きるこうした事件を教訓に、自らを律することはもちろん、子どもたちの教育に生かすことを考えるのが、大人たちの姿勢でなければと思います。

 危機管理意識の欠如という点では、日本社会全体がいまやっと「情報公開」や「説明責任」を、事の前提として、真剣に考えるようになってきましたから、次第に改善されることになると思いますが、この点、「偽装」を長い間見逃してきたことや、守屋武昌前防衛事務次官の一件を見るにつけ、国の政(まつりごと)のあり方が鋭く問われていると思えてなりません。






スペシャルオリンピックス・大分地区競技会に参加しました

2007年10月14日 | 社会
スペシャルオリンピックス日本・大分夏季地区競技大会が、10月14日(日曜日)に由布市挟間町上の原グランドと、挟間町B&G海洋センター等で開かれました。

 私は、今回もボランティアとして運営スタッフに加わり、できるお手伝いをしました。私の今回の主な仕事は、アスリートの会場移動の手伝いと、お弁当運びなどでした。

 今回の競技大会には、約80名のアスリートとそのファミリー、大会役員を含む約100名ものボランティアなど総勢約300余名の参加がありました。
また、行政から大分県、大分市、地元由布市の教育委員会、福祉関係部門の責任者にも参加いただき、盛大に開かれました。

 年々盛大に開催されるようになりましたが、その陰には、スタッフはじめ最初から運営にかかわっている浜田英敏会長や青柳俊大会実行委員長などのたゆまぬ努力があります。

 私は、第1回大分地区大会が大分市で開催される際、教育委員会や各種団体への働きかけに加わり、力添えを頂く為のお手伝いをしたことがきっかけで、現在NPO法人化されたこの組織の評議員として関わりを持たせていただいています。

 これまでに、2002年8月15日から18日まで東京都で開催された、第3回夏季ナショナルゲームに随行ボランティア(兼コーチ)として自費参加し、アスリートの世話役を務めました。また、2005年には第8回冬季ワールドゲームが長野県で開催された折、応援部隊として加わった経験があります。

 スペシャルオリンピックス(SO)とは、知的発達障がいのある人たちの自立と社会参加を目指し、日常的なスポーツトレーニングプログラムと、その成果の発表の場である競技会を開催する国際的ボランティア団体で、1963年に故ケネディ大統領の妹ユニス・ケネディー・シュライバーが、自宅の庭を開放して開いたディ・キャンプがSOの始まりです。

 知的発達障がいがあるために、まだ一度もプールで泳いだり、トラックを走ったりバスケットボールをした事がない人たちに、スポーツを提供する。それが彼女の願いでした。

 1968年にジョセフ・PケネディーJr財団の支援により組織化され、「スペシャルオリンピックス」となり、全米から世界へと拡がりました。1988年には国際オリンピック委員会(IOC)から「オリンピック」の名称使用を正式に認められました。

 本部はアメリカ、ワシントンD・Cにより、現在約150カ国が加盟、125万人のアスリート、55万人を超えるボランティアが活動に参加しています。

 日本では、SOの理念の素晴らしさを知った人々の熱意により、まず、熊本の地でボランティアの輪が広がり、1994年に日本の本部組織として「スペシャルオリンピックス・日本」(理事長・細川護煕氏の奥様)が設立され、熊本に日本事務局を置いています。

 大分は、1995年12月に設立され、全国では、2006年7月現在、45都道府県で4200人のアスリートと15000人のボランティアが活動を支えています。

 この会の良さは、一口で言い表せませんが、あえて言うならば、人間の素晴らしさを改めて実感できることにあります。また、スタッフやファミリー、ボランティアと交わる度に、人の温もりというものを感じることができるところにあります。

 これからの私なりの努力で、卓球のプログラムを開設することを、浜田会長に約束していますが、近いうちにコーチクリニックを受けて、開設できるようにし、少しでもお役に立てればと考えています。応援できる方は宜しくお願いします。

 今日は好天に恵まれて、清々しい一日を過ごせました。SOスタッフの皆さんありがとうございました。(2007年10月14日)


久しぶりのゴルフ

2007年10月12日 | 遊び・友達
 久しぶりにゴルフをしました。天気が良くて幸いでした。
 私の尊敬する、県議会議員の後援会懇親ゴルフでしたが、平日にもかかわらず、大勢の方が参加していました。今は、平日の方がゴルフ場も空いているらしく、これまでになくさわやかな汗をかくことができました。

 結果は、ダブルペリア方式でネットの計算をしますので、ハンディーがどれくらいつくかによりますが、13位でした。参加賞だけもらって帰りました。結構中身は家庭的で良かったのですが、家に換えると妻が、「あと前や後ろ二・三人はどうかならなかったの? 前なら三人、後ろなら二人動いてたら飛び賞に入ってたのに」と残念がっていました。

 さすが飲酒運転の刑罰が厳しくなってか、昼飯時間に飲酒をする人が減りましたね。この会の時も、同乗してきた人以外は殆んどの方が飲んでいませんでした。交通安全の観点から絶対に良いことだと思いました。

 ところで、私がゴルフを始めたきっかけは、会社勤めしていた頃の先輩の影響でした。もう二十年くらい前になると思います。はじめは「高額所得者のやるスポーツだから」と多少の敬遠もあったのですが、今では、「健康の為にいいのではないか」ということを言い訳に、次第にのめり込んでしまいました。

 しかし、いつぞやの新聞に、ゴルフは健康の為にならないという記事がでていました。正確に覚えていませんが、その根拠は、①良いスコアを目指し遠くに飛ばそうと、いつも強く振るのがよくない。②カートに乗って移動するので、健康づくりに役立たない。③前の日も飲酒、その日も昼に飲酒、帰って飲酒するようであれば、全く健康のためにならない。などが挙げられていました。

 その上で、健康の為に良いゴルフにするには、スコアを気にしないこと、遠くに飛ばそうとせず、体にあった7割程度のスイングを心がけ、その振りで飛ぶ距離を意識したゴルフならば、少しは健康のためになる。また、ホール間の移動は、徒歩でなくては何の意味もないということでしょうかね。

 そういえば、思いつく事があります。私など下手なアマチュアゴルファーは、少しでも良いスコアを記録しようと、真剣になってしまいます。勝手に競争相手を決めて、その相手より少しでも良いスコアをめざし、優越感に浸ろうとしています。悪ければ一人でカッカカッカしています。それがよくないのですね。

 これからは、おちついて、おちついて、せっかく高い料金を払ってやるのだから、その分本当に「自分の健康のために」を心がけたいものです。そうすれば、スコアを含めて、結果は自ずとついてくるものなのでしょう。

久しぶりの稲刈り

2007年10月11日 | 家族
 先週の日曜日、久しぶりに稲刈りをしました。妻の実家が、自分たち二人と子ども達(既に独立)、さらに孫の主食を確保するため、少しばかり水稲を栽培しており、これを手伝うため朝から作業服姿で妻と二人出かけました。

 この日は、今年の夏に北九州市へ転勤になった私の次男も、孫(実家の両親からすればひ孫)をつれて三人で遊びがてら手伝いにきました。
 
 朝7時に自宅を出て、8時には田んぼにつきましたが、前の日から取り掛かっていたらしく、既に半分の作業は終わっており、その日の作業は午前中の集中作業で片付く程度でした。

 集中作業とは、この日は朝から小雨がパラついていたこともあり、心持ち気の焦りもあってのことで、「掛け干し」の手も幾分か早めの動きになっていました。

 今年の稲の出来ばえは、まずまずらしく「隣の田んぼの稲は、害虫にやられたが、我が家はこんなに立派にできた」と母が自慢げに話してくれました。

 両親は、昭和の初期の生まれで、父は今年80歳。でも「まだ20年は田んぼを作る」と自ら言うほどに元気が良く、ここ何十年と大病を患うことがないといっていました。ただ、母は、数年前から正座ができない程膝が痛いらしく、足を引きずっての農作業でしたが、いざ仕事にかかるとその痛さを忘れるのか、昔の人らしい身のこなしに改めて驚きました。

 午前中で稲刈りの部が終わったこともあって、昼食はゆっくりとることができました。久しぶりの団欒(いつもは、老夫婦二人住まい)に、祖父ちゃん、祖母ちゃんの顔が印象的で、私もとても嬉しくなりました。

 親は、いつまでたっても親ですね。また、幾つになっても経済的な面で、子どもの事や孫への心配が絶えない。我が家が両親に負担をかけることは今のところ全くないが、そうした姿を見ていると、我々も両親の年齢になって同じようなものなのだろうかと、ふと考えたりしました。

 お米以外に、水田を畑にして、野菜を作っていました。「もって帰りなさい」と袋に一杯の野菜をもらって帰りましたが、立派にできている他の野菜は、スーパーに一袋100円とか200円とかで生産者名入りの販売に出すそうです。これで生計を立てるほどにはいきませんが、健康のためと精をだしているのだそうです。

 我々も、子どもが全部育ちあがったら、このような「晴耕雨読」に似た生活もいいなぁと思いながら、「来年も加勢しておくれ」という母の言葉を耳に、実家をあとにしました。

二大政党の時代に入った?

2007年10月04日 | 民主党・選挙
 第168臨時国会は、今日から代表質問に入りました。
 7月28日に参議院選挙が終わって、かれこれ二ヶ月が過ぎました。途中、安倍晋三氏の突然の辞任劇があって、国会が空転するなど、無駄な時間もありましたが、ようやく国会が動き始めたという感じです。

 今日は、民主党幹事長の鳩山由紀夫氏がトップバッターとして、福田首相に見解を求めていましたが、極めて簡潔にしかも要点を突いての質問でした。挟間町に行く途中、ラジオで聞きましたが、あらためていい質問だったと感じました。

 鳩山氏の鋭い質問に対し、答弁する福田氏は、(一部要約するなら)「批判だけかわすのではなく、国民の幸せのための論議をしたい」といっていたが、私は、この間、総じて国民を不幸に陥れてきたのは自民党自身であり、小泉・安倍と引き継がれた政治のなかで、ますます格差が拡大していることに対し、なんら反省の弁すらないことに怒りさえ覚えます。

 今日の代表質問やマスコミ報道を見る限りでは、特に、テロ特措法などに関連し、いろんな意味で新しい事実が徐々に解明されつつあることに、日本の政治も次第に二大政党制に近づきつつあるのかと思えるところがいくつか出てきました。

 先の参議院選挙で、民主党が議席を過半数に近く増加させたことが引き金となり、政治に一定の緊張感というものが生まれつつあるのではないかとさえ感じられます。

 もちろん、今だ圧倒的多くの情報は、自民党初め与党側が掌握しているのではありますが、今日生じつつある政治的緊張感の中で、政府与党側もこれまでとは違った対応が余儀なくされているという姿は、大変好ましいことだと感じています。

 こう見ていくと、「これは最早、二大政党の時代に入ったのか」と思わせる良い環境が醸成されつつあるなぁと感じます。










本当に「中継ぎ」のつもりなのか

2007年10月01日 | 政治・経済
 福田氏が首相に就任して、数日間考えたであろう所信表明演説が、本日(10月1日)の衆参両議院本会議で行なわれました。
 仕事の都合もあって、その全部を聞いたわけではありませんが、これまでの首相による最初の所信表明演説とは、一味ちがう、つまり「塩気のない」演説に終始したというのが率直な印象でした。

 前首相の就任期間(一年間)で繰り返えされた強行採決は、なんと14回とも15回とも言われています。その背景には、衆議院の三分の二の議員数を擁していることが背景にあったことは述べるまでもありません。
 こうした前首相の国会運営に対し、先の参議院選挙で国民の批判が集まったことが、福田氏の頭の中にあるのでしょうか、野党との話し合い路線をいたるところ強調されており、これまでとは打って変わって「柔軟路線」を描き出そうとしているように見えました。

 ところが、おそらくこれが福田氏の命取りになりかねない。
 この所信表明演説を聴かれた国民、テレビで国会中継を見られた有権者には、福田氏が言わんとすることの中に、何も強い印象を持って受け止められるものがなかったと感じられた人が多数おられたのではないでしょうか。

 話し合うことは重要であるには違いありません。がしかし、いくら話し合っても同じ条件の下での話し合いではなくては意味がありませんし、この点、政府の持つ全ての情報を相手側(野党側)も同じように提供して話し合いをする覚悟があるのかどうか、それは疑わしい節があります。(例えば、テロ特措法などのように、給油回数や、相手側の所在など)
 結局、何も進まずに終わることになりかねないという危惧が先立ちますね。

 演説の中で並べた課題の数々は、確かに重要な課題であるには違いないわけですが、結果として一国の首相として選ばれたのですから、最初に自らが描く日本の将来像くらいは述べて欲しいと誰も思うでしょう。それがまったく伝わってきませんでした。その上、今最も重要な「危機管理」という点を含めて、現在の国民の置かれている現状が十分認識されているとは言いがたい内容に終始したという印象です。 

 もちろん、約25分間で自らの思いの全てを表明することは不可能ではあるものの、それでも期待するものがあまり感じられなかったのが、極めて残念でした。
 こうして考えると、本当に「ワンポイントリリーフ」のつもりでいるのでしょうか。
 しかし、それでは困ります。とりあえず政情が落ち着いたのですから、これから国民の見える前で、しっかり論議を展開していただかねばなりません。そして、我々の側からすれば「古い自民党」の体質そのものを引き継いだといわれている、現内閣の本質をしっかり露呈していただかねばなりませんから。

 テレビに映る福田首相の様子を見て、その立ち居振る舞いに少しばかり物足りなさを感じ、危なげなところを感じた有権者も多かったのではないでしょうか。ともかく、落ち着いて、国民のための国会論議を展開して欲しい。それを願わずにはおれません。