最近、「偽装」が大流行になっています。しかも、老舗とか、人気ある有名な店などで「偽装」されていることに、世間では大変驚いています。
消費期限と賞味期限について、関係筋の説明によると、5日以内に消費しなければ腐ってしまうものについては、「消費期限」を、5日以上でも腐らないものには、「賞味期限」をつける事になっているそうです。
ところで、なぜ、こういう事件が発生(発覚)したのか。またそれ以前に、なぜ、「偽装」を行うに至ったのかという点に大変興味が湧きます。しかし、これまでに本質的な意味での解明はなされていないように感じています。
少し話はずれますが、先に大問題になった「亀田親子」事件。三人兄弟の内の一人が、マスコミの前などで、(言葉遣いを含め、威勢をはるなどするのは)「仕事だから」と答えていました。これもある意味で偽装と通じるものがあるといえまいか。
つまり、親父(専属のトレーナー)から、亀田兄弟のトレードマークとしてのルックスや言葉遣い、また、立居振る舞いなどを「教育」「指導」されていたからに他なりません。そうでなければ、生まれつきあのような横柄な態度や言葉遣いが彼ら三人にできるわけありませんから。
そして、結局のところ、それだけの実力がないにもかかわらず、上位に挑戦し、打ち勝てない焦りから、結果として「K-1」紛いの試合内容に持ち込まざるを得ず、化けの皮が剥がされたとしか見ようがありません。
こう考えると、亀田兄弟がなにか不憫でなりません。
話を戻しますが、これまで発覚しているような「偽装」がなぜ起こるのか。一つは、「賞味期限」とか「消費期限」という考え方に曖昧さがあるからだと思います。白い恋人、ミーとホープ、赤福餅、御福餅などで大問題になったこの偽装問題は、国や自治体の「消費者行政」に大きな問題をなげかけていると思います。
二つ目は、倫理観や危機管理という点も指摘できると思います。特に、倫理観という点は、最終的に法律で縛る事ができない問題であり、まずは事業者の良識に頼る他ありません。
しかし、社会の競争環境の中で、相手より一歩でも有利に、そして相手より少しでも多く利益を挙げたいという思いが、「ばれずに済めば」とか、「だれも見ていなければ」という思いに発展し、偽装を常態化してきたものと言えないでしょうか。
この「ばれずに済めば」とか、「だれも見ていなければ」という思いは、実は、我々の心の奥底に潜んでいます。いや、そんなことはないという方もおられるかもしれませんが、日常の生活の中で、時折頭をもたげてくる事があります。
だからといって、もちろんこれらを正当化するつもりはありませんが、ただ、大人の社会で起きるこうした事件を教訓に、自らを律することはもちろん、子どもたちの教育に生かすことを考えるのが、大人たちの姿勢でなければと思います。
危機管理意識の欠如という点では、日本社会全体がいまやっと「情報公開」や「説明責任」を、事の前提として、真剣に考えるようになってきましたから、次第に改善されることになると思いますが、この点、「偽装」を長い間見逃してきたことや、守屋武昌前防衛事務次官の一件を見るにつけ、国の政(まつりごと)のあり方が鋭く問われていると思えてなりません。
消費期限と賞味期限について、関係筋の説明によると、5日以内に消費しなければ腐ってしまうものについては、「消費期限」を、5日以上でも腐らないものには、「賞味期限」をつける事になっているそうです。
ところで、なぜ、こういう事件が発生(発覚)したのか。またそれ以前に、なぜ、「偽装」を行うに至ったのかという点に大変興味が湧きます。しかし、これまでに本質的な意味での解明はなされていないように感じています。
少し話はずれますが、先に大問題になった「亀田親子」事件。三人兄弟の内の一人が、マスコミの前などで、(言葉遣いを含め、威勢をはるなどするのは)「仕事だから」と答えていました。これもある意味で偽装と通じるものがあるといえまいか。
つまり、親父(専属のトレーナー)から、亀田兄弟のトレードマークとしてのルックスや言葉遣い、また、立居振る舞いなどを「教育」「指導」されていたからに他なりません。そうでなければ、生まれつきあのような横柄な態度や言葉遣いが彼ら三人にできるわけありませんから。
そして、結局のところ、それだけの実力がないにもかかわらず、上位に挑戦し、打ち勝てない焦りから、結果として「K-1」紛いの試合内容に持ち込まざるを得ず、化けの皮が剥がされたとしか見ようがありません。
こう考えると、亀田兄弟がなにか不憫でなりません。
話を戻しますが、これまで発覚しているような「偽装」がなぜ起こるのか。一つは、「賞味期限」とか「消費期限」という考え方に曖昧さがあるからだと思います。白い恋人、ミーとホープ、赤福餅、御福餅などで大問題になったこの偽装問題は、国や自治体の「消費者行政」に大きな問題をなげかけていると思います。
二つ目は、倫理観や危機管理という点も指摘できると思います。特に、倫理観という点は、最終的に法律で縛る事ができない問題であり、まずは事業者の良識に頼る他ありません。
しかし、社会の競争環境の中で、相手より一歩でも有利に、そして相手より少しでも多く利益を挙げたいという思いが、「ばれずに済めば」とか、「だれも見ていなければ」という思いに発展し、偽装を常態化してきたものと言えないでしょうか。
この「ばれずに済めば」とか、「だれも見ていなければ」という思いは、実は、我々の心の奥底に潜んでいます。いや、そんなことはないという方もおられるかもしれませんが、日常の生活の中で、時折頭をもたげてくる事があります。
だからといって、もちろんこれらを正当化するつもりはありませんが、ただ、大人の社会で起きるこうした事件を教訓に、自らを律することはもちろん、子どもたちの教育に生かすことを考えるのが、大人たちの姿勢でなければと思います。
危機管理意識の欠如という点では、日本社会全体がいまやっと「情報公開」や「説明責任」を、事の前提として、真剣に考えるようになってきましたから、次第に改善されることになると思いますが、この点、「偽装」を長い間見逃してきたことや、守屋武昌前防衛事務次官の一件を見るにつけ、国の政(まつりごと)のあり方が鋭く問われていると思えてなりません。