小嶋つうしん(号外)

(元)大分県議会議員 小嶋秀行の徒然ブログ

コンプライアンス

2021年07月14日 | 社会
 子どもの通学路で、歩道と車道の境界が明確でない場所を通学路にしていたという責任は重いと思います。そこに、飲酒したのち運転して列に突っ込み、あの忌まわしい事故が起きました。多数の死傷者が出たことに、強い憤りを感じる事件でした。
 一方、先の東京都議会議員で当選した議員が、免停中に自動車を運転していて事故を起こした事件。しかも、免停期間にも常習的に運転していたらしいことが、第三者の証言で判明しています。事故後、「二度とこうしたことが無いよう、自らを律していきたい」と述べたといいます。どんな神経の持ち主でしょう。

 最近起きたこの二つの事件には、一つの共通点があります。それは、“人が見ていなければバレない”という自己中心的な思い込みです。免停中に運転していた都議は、「今後このようなことが無いよう、自らを律して」といいました。事故を起こして無免許がバレたから自らを律するというのは本末転倒でしょう。
コンプライアンスの観点欠如が甚だしいこの事件で「自らを律する」とは、常に法律や条例のもとで活動する職務にある人間が発する言葉とは考えにくいですね。免停中(何が理由で免停かは不明)は、運転ができないことを全く理解しようとしていない。どこをどう律すると言うのか一度聞いてみたい。

「誰も見てはいない、バレない」が根底にあることで、飲酒運転ドライバーの場合は、おそらく長い期間同じようなドライバー生活が続いていたと推察されます。トラックの助手席には相当数の酒類の空き容器がコンビニの袋に入れられていたといいますから。この場合も人間として一番弱い一面が結果として痣(あざ)となった事例です。この二つの事件は、バレないと思い込んでいる事は、「必ずバレる」ことの証左と受け止めるべきだと思います。

 単に「コンプライアンスを重視」とだけ言いません。人間に「弱さ」はつきものと考えるからです。とは言うものの「許される事」と「許されない事」は現にあります。この二つの事件は、「許されない事」の典型。“人としてふん別”が付いていれば避けられ、死傷者もなかった事件ではないでしょうか。飲酒運転はNO! 無免許運転はNO! これがふん別です。人間性が強く問われる事件だと思います。

 大分県内の子どもの通学路について、先の千葉の事故と同様の道路を通学路にしている実態が県内にないかどうか、現在、県警や教育委員会、土木建築部へ改めて精査を申し入れているところです。