小嶋つうしん(号外)

(元)大分県議会議員 小嶋秀行の徒然ブログ

「県立美術館」

2011年06月24日 | 地方行政/議会
 大分市内に、美術館新規建設が本当に必要かどうか、本気で検討しなくていいでしょうか。

 現在、大分市には、14年前に建設された大分市美術館があります。県立であれ市立であれ、お客様である県民にとっては、実はどちらでもいいことです。まして、大分県立芸術会館には、既に立派な美術館機能は備えられています。

 そんなことから、県立で大分市内に「美術館を移転新築」しなければならない理由がいま一つ見当たりません。大分県立芸術会館のホームページでは、以下の通り、県立芸術会館について、県民に情報発信しています。

『大分県立芸術会館は、美術館と県民文化会館(文化ホール)を併せ持つ複合施設として、昭和52年にオープンしました。大分市中心街から車で約10分、平和市民公園に隣接しており、公園内の季節に応じた花や、側を流れる裏川沿いの800本以上のソメイヨシノや八重桜など、四季を通じて自然が楽しめる市民憩いの地域の一画にあります。

 美術館は、近世以降の大分県出身、ないしは大分県に関係の深い作家を中心に、南画の田能村竹田、日本画の福田平八郎、山辰雄、洋画の宇治山哲平、佐藤敬、竹工芸の生野祥雲斎、さらに彫刻では朝倉文夫などの秀作を収蔵しています。

  文化ホールでは、学校との連携を図り、演劇・演奏会などの発表の機会を提供するとともに、県内の芸術文化団体の発表機会等を支援しています。』・・・・と。また、ちなみに、県立芸術会館運営の基本方針(芸術会館ホームページから引用)は、以下のとおり立派な考え方があります。

県立芸術会館運営の基本方針
1. 優れた芸術作品を紹介する。
優れた芸術作品を紹介し、県民に鑑賞の場を提供することによって豊かな県民性を培う。
2. 総合文化施設として、芸術・文化の創造活動を促す。
鑑賞者が創造活動に参加できるようにするとともに、芸術・文化の総合的な深化を図る。
3. 自主的な学習の場を提供する。
芸術・文化活動を実践する人々が、自ら学習することのできる環境整備に努める。
4. 調査・研究・情報提供活動を行う。
芸術・文化活動の基礎となる調査・研究活動を行い、広く県民に情報を提供する。
5. コミュニケーションの場とする。
芸術・文化活動を通じて、県民の交流を深め、豊かな人間関係を作るコミュニケーション の場とする。

 いまから、35年前に建設された施設が老朽化したこと、したがって、新しさがない。展示室が狭隘である。所蔵品の所蔵庫が狭くなって新しい作品が収蔵できない。など、いろいろな理由があるのでしょうか。であれば、そうした問題を解決することで済ませないものか、この点も疑問です。

 または、もしかしたら「大分県には、県立美術館は設置されていない」という問題意識をお持ちの方もおいでになるのかもしれませんね。しかし、今検討されている新美術館は、新築移転してもこれまでの収蔵品を展示するのであり、改めて特別のコンセプトを以て展示品を新規に購入することは考えられていないとのことらしいですね。

 であるにもかかわらず、建設地の購入費用を含め130億円規模の事業を行う根拠はどういうものか、もっとしっかり県民に説明すべきではないかと思います。

 これまでの経過とたどると、昨年、美術関係者から、美術館の建設について要望書が出されました。すぐさま「構想検討委員会」が立ちあげられ、この1年間、6回にわたり検討委員会が開催され、今年の5月に「答申書」が県知事に提出されています。

 ところが、この「答申書」を以て、これからは、広く県民に『こうした構想で美術館を建設しますがどうでしょうか』と、県民論議に供されるものと思いきや、7月7日から開会される、県議会に、先ずは土地購入と基本設計のための予算が上程されるという、異例の速さで事が進もうとしています。

 是非考えてほしいことは、構想検討委員会で検討していただいた方々に対し敬意を表しつつ、県は、この構想を以て、県民にそれを説明する機会を持つべきだということです。最近の手法は、「ワークショップ」などという新しいやり方もありますから、これらを駆使して、少なくとも県内3か所以上で、県民の意見を聞く機会を作る必要がないでしょうか。

 現在、私が県議会で所属する「県民クラブ」のなかでも、このことが大変大きな話題になっています。7月7日開会の県議会では、少なくとも各方面からの論議が行われることになるのではないかと、期待しています。


田植え

2011年06月22日 | 家族
 市内の中心部から少し郊外にでると水田に水が張られ田植えが準備されています。既に苗が植えつけられている所もあり、農家にとって今が一番忙しい時期だといえましょう。

 その昔、私も実家で稲作を手伝っていましたから、この時期になると懐かしく思い出します。同時に、この梅雨時期の田植えの辛かったことも蘇ってきます。

 小学校の頃(昭和30年代)、児童の保護者ほぼ全てが農家という土地柄でしたから、田植えの頃になると、小学校には2日から3日間の「農繁期休業」がありました。今では信じられないことですが、本当です。

 児童全てが田植えを手伝えるというわけではありませんが、低学年の頃は、父母が忙しいので「弟や妹の子守をしなさい」ということでしたね。

 小学校中学年になると、苗運びや田植えそのものを手伝うこともありました。丁度梅雨時期に田植えが集中しますから、雨の中、泥田で作業を続けていると、年少ですからとても疲れたうえ、泥に足を取られ転ぶこともしばしばで、ズボンがいつも泥だらけでした。

 高学年から中学生の頃になると、当時は、農作業が「牛」から7馬力程度の「耕運機」による作業が主流になり始めていましたから、父に代わりこの「耕運機」で田んぼを耕す作業を手伝うようになりました。既に、一家の重要な労働力だったわけです。

 中学生になると、その耕運機に荷台を連結して、一般道を走行することもありました。もちろん無免許です。父が会社勤めをしていましたから、母の負担を少しでも軽減するためにと、脱穀した籾袋を田んぼから倉庫まで運んだりしたものでした。

  今では時効ですが、中学生が耕運機を運転することは、道路交通法に違反しているにもかかわらず、2~3年生のころは頻繁に荷物を運んだりしていました。これが、担任の先生に「告げ口」され、とうとう「大きな拳骨」をもらうことになってしまいました。


 それからは、担任との約束もありましたから、無免許運転はしていません。それに「告げ口」された事も、母と一緒に感謝したことをよく覚えています。調子に乗ってそういう仕事の仕方をしていては、大変な事故を起こしていたかもしれませんから。


 もう40年以上も昔の事ですが、その頃の事は今でもクッキリと覚えています。というより、牧歌的なこの時代のことは特に忘れないのかもしれません。この時期、日に日に田植えが進む様子を見るにつけ、また、秋に黄金色に実った稲穂を見ると、あの頃を思い出して、ひと時ボーっとしてしまうことがあります。

高速道路

2011年06月20日 | 政治・経済
 高速道路の社会実験が昨日までで終了ということになりました。自民党政権時代に、平日以外の「上限1000円制度」が導入され、それ以前には、通勤時間帯に限った「半額制度」がスタートしていました。

 東日本大震災前には、様々な論議が交わされてはいましたが、文字通り、東日本大震災の影響で、財源確保を最優先に、被災地域以外の社会実験をやめるということになりました。あくまで、社会実験ということでしたから、それはそれで理解ができるところです。

 民主党が政権を担うようになり、早い段階で社会実験を開始し、前原国土交通大臣の下で、第二弾までエリア拡大となりましたが、この社会実験の成否について、後に成果や課題について説明責任を果たしていただきたいと、みんなが期待していると思います。

 ご承知のとおり、高速道路料金は、国際的にみても日本ぐらいらしいですね。こんなに高い料金体系になっているのは。一部、ヨーロッパに料金を徴収している国があると聞きますが、それ以外に、あのドイツの高速道路さえ無料でした。

 広い所では5車線でした。走る車の量も半端ではなく、相当量の車両が走行しています。また、この高速道路には速度制限を示す標識も何もありません。ドライバーの良識に依拠しているということでした。にもかかわらず、ほとんど事故はないともいいます。

 こうした国際的な傾向が一つの根拠になってか、日本でも無料化が実験的に実施されましたが、実は、日本の高速道路は、無料を前提に建設していませんので、社会実験がはじまると、いたるところで渋滞や事故多発など問題が発生しました。

 この社会実験には、つねに賛否両論がつきまとっていましたが、いざ、一旦終了となると、昨日までのマスコミ報道でもそうですが、惜しむ声が強調される傾向にあります。この点、政府の政策実施の一貫性について、今後に期待するところ大きいものがあります。

 ところで、日本の高速道路は、実際の料金から換算しても整合していましたが、1km当り24円と言われています。前述したヨーロッパ(どの国か覚えていませんが)の有料道路は、確か1km当り8円ということを聞いたことがあります。

 実に日本の1/3の料金体系のようです。日本の料金がこんなに高いのは、建設費用やファミリー企業の問題など、すでに様々取りざたされましたから、ここで述べるまでもありません。そうしたこともあってか、日本の高速道路は、「民営化」されました。

 民営化の意図は、必ずしもよく承知していませんが、私がここで述べたいことは、高速道路の無料化は賛成。ですが、将来的にということです。その前段として、ソフトランデングで、料金体系を徐々に見直すことに手掛けるべきであったと思います。

 つまり、先ずはヨーロッパ並みの料金に値下げをすることからはじめ、これも社会実験として実施すると共に、最終段階の一歩手前は1/3まで下げて、その推移を見守るという事でも良かったのではないかと考える次第です。

 高速道路の無料化社会実験が開始されたのち、民主党県連には輸送船関連の団体、運輸部門の団体、バス事業者などが「政策提言」として、無料化反対をベースとした料金体系の見直しについて、随分多くの「陳情」団がお見えになりました。

 結果として、本日から、通勤時間帯限定の「半額制度」のみが残されることになりましたが、これまでにお見えになりました方々には、提言内容を超越して「ご期待に応える」という、皮肉な結末になりました。

 高速道路の無料化については、また、そう遠くない時期に論議が再燃されることを期待しています。将来は、徐々に料金が見直され、限りなくゼロ円に近づくよう、大きな期待を持っておきたいと思います。

調べています

2011年06月17日 | 地方行政/議会
 県議会で所属する、福祉保健生活環境委員会として、県内の各地に出かけ、高齢者福祉施設や児童福祉関係の施設などを見学しました。また、県の保健所や地域振興局、児童相談所などにも伺いました。

 大分県内の保健所は、7ヵ所です。その内の一つは、大分市が独自に設置しており、大分県として運営する保健所は、6ヵ所です。ただ、保健所のいくつかは、施設建設後30年以上経過しているところもあり、事務所内の業務環境は決して良好なものとは言えないのが実情でした。そう遠くない時期に、建て替えを含め、検討が必要になると感じました。

 一方、地域振興局は、保健所同様6ヵ所設置されています。必ずしも保健所と同地域に立地してはいませんが、それぞれに100人程度の職員が配置されているとの説明でした。それぞれが管轄の市町村との連携を図っています。

 保健所は、これまでも医療・保健部門で「予防」を充実する観点などから、ますます重要性が増しているものと感じましたが、地域振興局は、これほどの陣容を揃え、県内6地域に設置するだけの背景があるのか、率直に感じました。

 例えば、南部地域振興局は、佐伯市のみが対象地域であり、「一市一地域振興局」となっており、単純に判断できませんが、「屋上屋」を重ねています。この問題はさらに調べ、私の見解・考え方をいずれまとめたいと思います。

 「児童相談所」は、概ね50万人に一ヵ所設置されています。主要業務の児童虐待などに関する相談事業は、平成17年に法改正により市でも実施することができることとなりました。

 その結果、例えば中津児童相談所の場合、直接持ち込まれる相談件数は、平成17年以降3~4年間は、ほぼ半減に転じました。しかし、平成22年度は、突然、それ以前と同様の数字に戻ったと説明されました。

 児童相談所は、現在大分市と中津市の2ヵ所のみ設置されています。説明によると、大分県内全体として業務の割合は8(大分)対2(中津)となっているのが現状で、大分市に設置の児童相談所は、多忙を極めているとのことでした。

 そこで、昨今の児童を取り巻く環境の変化が著しい中、大分県内にはもう二ヵ所、児童相談所を設置することが必要なのではないかと考えました。現在の大分市(中央)、中津市(県北)これに、県南(佐伯市)、西部(日田市)というように。

 そうすれば、県内一円でバランスのとれた児童相談所業務が執行できることとなりますし、児童虐待など様々な状況により「即応」体制を執ることができます。この点もさらに精査し、考え方をまとめられたらと考えています。




ノン・アルコール

2011年06月15日 | 家族
 五月の連休前、内臓に異常なところがあるからということで、入院を余儀なくされることとなりました。入院自体は、二年ぶりでしかも約二週間と、私にとってはとても“長期”ということになりました。

 二年ぶりという意味は、二年前の(四回目)市議会議員選挙が終わって、やはり内臓の一部に異常があるからと、五日間ほど入院し手術しましたが、五日の入院で退院した二日後にはもう、ゴルフコンペに参加するという程度のことでした。

 大病を患っておられる方にすれば、長期とは何ヵ月もということだと思いますが、私にとって、約二週間の入院は“未経験”なだけに長期です。手術後の過ごし方など、全く経験がなかったので良く判らず、日々新聞購読と読書に明け暮れました。

 今では、術後の経過を見るということから、生活を少し変え“暴飲暴食”を慎んでいます。特に、飲酒についてはもう二ヶ月以上は“遠慮”しています。この数か月間は、宴会の場でも「ウーロン茶を下さい」と、割り切っています。

 最近は、「“ノンアルコール”ありますか」と聞くこともありますが、これがビール(の一種)かと、香りも味も、ビールとは全くほど遠い内容ですが、グラスに注ぐと少々の泡が立つことと、冷やしたものを飲むと多少喉をさすのが、“ビールらしい”だけですね。

 先日、仕事を終えて帰宅。食卓で遅めの食事を取ろうとしたとき、目の前に1カートンの箱入り缶ビールらしきものがある。「これなに?」「ウン?ノンアルコール」「誰が飲むの?」「お父さん」「ひとケースもか」「ウン!要らんの?」「こんなに飲めんだろうノンばかりを」。

 次の検査までは、「アルコールを絶とう」と決意して二か月余。以前、宴会の時に飲んだノンアルコールのことを話したからか、前述のような展開になるとは“想定外”。そんな会話を交わしたこともあってか、もう何日間も開封されず、冷蔵庫に入れてもいません。

 昨今、大分県警察が「飲んだら“暖簾”」キャンペーンを徹底していることで、このノンアルコールの売れ行きが良いらしいですね。どの宴会場にも置いてありますが、ただこれは、飲めてもせいぜい一本まで。二本目には手が出ず、次は、「ウーロン茶下さい」。

 今月末に控えた再検査までの間、一滴もアルコールを体内に入れていない自分に、検査後、結果が良好ならば“ご褒美”をあげたいと思います。なにしろ、宴会では「ドクターストップですから」と、断固断り続けている愛飲家の自分が、本当に“偉い”と思います。

 これまで、時々「一杯位は構わんのでは」と、気持ちが揺れる事もありました。同席のお客さんが美味そうにビールを飲む姿を見て、気持ちが動かない方が普通じゃないと、言い訳を考えながら、何度か“危険性”もありましたが、まだ、持ちこたえています。

 あと数日我慢して、好結果を待つ。その結果、おそらく家族から「ご褒美は、ノンアルコールです。どうぞ。」と言われそうでなりません。先日、「治っても、このまま飲まなきゃいいのに」と、娘と話しているのが聞こえていましたから。

 冷たい面々ですね・・・・。でも、私の体のことを一番考えてくれているのかもしれません。おかげで、体調は “完璧”です。

大連立

2011年06月12日 | 政治・経済
 「大連立」が政界で大きな話題となっている。

 3月11日に東日本大震災が発生し、その復興・復旧が急であるあまりに、この論議が加速しているように見える。

 ただ、この論議は、大震災より約二年前から既に開始されている。

 たぶん、無理。

 政治家が本当に「大連立」をやる気ならば、既にその緒についていてもいい。

 まして、大震災の復興・復旧を「スピード感持って」と、どの政党も口にしている。

 あの大震災から3か月以上たった今、何も進んでいない現状では、実現不可能と言う以外にない。

 本気で「大連立」を実現するならば、まず、いわゆる「55年体制」からの完全な脱皮が必須だ。

 旧態依然とした政治が今なお尾を引く政治体制の下では、間違いなく無理に違いない。

 その証拠に、政権交代で攻守所を代えた今も、「55年体制」下の政治と全く変わらない国会運営(攻防)が続くことに、それは端緒だと感ずる。

 二つは、「健全な二大政党制」。

 つまり、政策論争による政党政治が成り立っていなくてはなるまい。

 現下の議院内閣制では、健全な二大政党制を「育む」システムになり得ていないとしか言いようがない。

 「大連立」で、逆にそれが益々遠のくのは明白だと思うが如何だろう。  


起立条例可決

2011年06月04日 | 地方行政/議会
 やっぱり!とか、遂に!とか、表現の仕方はいろいろありますが、今朝の新聞に『君が代起立条例 成立 大阪府議会 教職員に義務付け』という見出しの記事がありました。気がつかれた方も多かろうと思いますが、「やっぱり、遂に出た!」と言う感じです。

 この条例の趣旨は、学校行事で「君が代」(今では国歌)を歌うとき、教職員に起立を義務付ける、というもの。わざわざ起立を義務付けなくても、座って歌を歌うのはカラオケくらいで、起立して歌うのが常識中の常識だと思います。

 ここで問題視していることは、この条例の決まり方です。つまり、大阪府議会で過半数を占める、地域政党・大阪維新の会(代表・橋下徹大阪府知事)が提案し、他の政党の反対がありながら、賛成多数により6月3日の府議会で可決・成立したというのです。

 この条例は、橋下大阪府政でいわば「与党」である、大阪維新の会が議員提案という形をとっていますが、橋下府知事の思いが濃く滲んでいる条例であることは疑う余地もありません。したがって、この条例の決まり方は、今後様々な角度から論議があると思います。

 私の観点は、大阪の地域政党によるこうしたやり方が、たいへん危険性を内包していると考える点です。以前、大分県でも、県政「与党」を自任する政党と県知事が、ほぼ「癒着」状態で県政を運営する時期が長くありました。

 その結果、例えば、①県央空港 ②香りの森博物館 ③農業文化公園などを、ほとんど論議という論議もせず建設することとなり、今では、この三施設とも当初の建設目的からかけ離れた運営形態となっていることは、承知のとおりです。

 つまり、首長と議会の関係が健全でなければならないにもかかわらず、その「与党」をして、過半数の議員数を背景に、ほぼ無条件で議案を可決する、あるいは、条例を制定することになれば、場合によって、首長の「独裁」政治が行われることにもなりかねません。

 今回の「起立条例」の場合、あくまでも「議員提案」という体裁を採っていますから、表向きは、首長の意向ということではありません。が、政治的背景を含め、こうした手法そのものについて、本質的な意味合いをしっかり捉えなければならないと思います。

 日本の場合、地方議会は、「二元代表制」を採用しています。この点、国の議院内閣制とは異なり、首長と議会の関係は相対する関係でなければなりません。そうしなければ、圧倒的権力を持つ首長のワンサイドな行政運営を許すことになるからです。

 このような観点から言えば、首長自らが代表者を務める政党に所属の議員による多数決で、条例を制定するとなれば、これからの地方自治体行政の在り方を根本から歪めることになるのではないかと、大いなる危惧を抱いているのは、私一人ではないでしょう。

 橋下大阪府知事も、これから先、自ら提案する条例案の可決・成立を、予め過半数の議員を掌握しておくことにより容易にしようと、地域政党を設立しているわけですから、そのことと、今回の議員提案事項は、全く無関係と考えられませんね。

 マスコミへの露出度から言って、社会的影響力が著しい首長率いる地域政党は、現在のところそう多くは実在しませんが、にも拘らず、社会的影響力が大きければ大きいだけ、これからの地方行政について、真剣に考えなければと思います。

 他の地域における条例制定など、行政のあり様、営みについて、とやかく言うことは避けねばなりませんが、今回、初めてこうした事案が顕在化したことで、改めて議会の在り方を見つめなおすと共に、「地域主権」改革の論議を、スピード感を持って行わねばと、気持ちを新たにした次第です。

春の運動会

2011年06月01日 | 社会
 早いもので、もう6月です。しかも、早い地域では梅雨に入ったとも言われていますから驚きです。ただ、九州の中で、大分を中心に中部地域は、先の台風2号の後にといわれていましたが、まだ、梅雨入り宣言は出てないと思います。

 台風2号襲来の前、渇水状態が続く農業用水用ダムの調査に行ったことは書きましたが、臼杵市での調査時、貯水率が15.9%だったダムで、既に放水(給水)をストップしたところでは、台風2号の雨で、貯水率は微増し、30%までにはなったそうです。

 ただ、400ミリの雨がなければ100%にならないであろうといわれていましたが、先ごろの雨量は、トータルで200ミリに満たず、結果として、給水開始にはいまだ至らないということのようです。

 台風一過の昨日、再び晴れ間が覘き、三日遅れの運動会が小学校で行われました。学校側からすれば、土日に降って運動会が延期となるも、火曜日にはできると決めていたようで、関係者は胸をなでおろしていることと思います。

 その運動会ですが、平日の開催ということもあり、保護者の応援席は、いつもと違い閑散としていました。仕方のないことですが、それでも休みを取って応援しようと、お父さんたちも少しですが見かけました。ご苦労様でした。

 ところで最近は、春に運動会を行う小中学校が増えています。その昔は、秋の大運動会が定番でしたが、秋には学校行事が重なることが多いらしく、児童生徒の負担を軽減するとの考え方のようですが、学校側や、教師の側の都合もあるのではないかと・・・。

 特に、小学校の場合、一年生は入学してわずか50日程度で、もう運動会への参加となるわけで、学校生活に慣れることと、運動会の練習が重なることから、逆に子ども達には、精神面でも体力面でも負担になりはしないか、不安が残ります。

 さりとて、秋にやらないとなれば、タイミングは、本格的な梅雨入り前の5月が最適となるのでしょう。梅雨明けから9月にかけては日差しが強くなり、子供の体力消耗が激しいわけで、対象外。

 であれば、やはりこの時期しかないという結論になるのでしょうが、それにしても、新学期の立ち上がりと同時に運動会の準備で、担任の先生はじめ、学校中が極端な多忙化になってはいないかと、地域に居て心配になるのは、私一人ではないと思います。

 私がPTA役員をしている間、13~4年前には秋の大運動会でしたから、子どもたちもしっかりと学校に慣れ、練習も充実していたように感じます。この点、最近のこうした動きについて、保護者やPTAにはどのような説明が行われているのでしょうね。

 中学校の場合、言われているように、新学年の始まりと同時に体育大会を取組むことで「クラスづくり」に役立たせるという、側面的な目的があるといえば否定するものではありません。ただ、小学校にそれが適応できるか疑問ですね。

 いまから、秋に運動会シーズンを戻すための論議を開始すべきという訳ではありません。が、子どもたちの情操を育むこと、教育効果を高める観点で言えば、じっくり準備できることを願わずにはおれません。いわば「行事消化」に終わらないよう願うばかりです。