小嶋つうしん(号外)

(元)大分県議会議員 小嶋秀行の徒然ブログ

道路特定財源と暫定税率の話(1)

2008年02月23日 | 政治・経済
 現在開会中の第169通常国会では、道路特定財源の維持と、その上に賦課されている「暫定税率」を廃止するのか、向こう10年間の延長するのかが焦点になっています。

 ご承知の方も多かろうと思いますが、道路特定財源は、あの田中角栄氏が戦後の復興は道路の建設なくして成し遂げられないと、昭和29年に提案し成立させたものです。この時代としては、道路だけに使う財源として画期的なことであったといわれています。しかし、制度成立の時期の道路事情と今日とでは大きな違いがあるにもかかわらず、何とこの特定財源制度は54年もの長い間継続され続けています。

 その後、昭和49年には、当時オイルショックの発生による原油の高騰から、その消費を抑制する目的で、二年間の時限立法ではありましたが、暫定税率として約25円分が上乗せされました。がしかし、目的としたガソリン消費の抑制効果は全くなく、したがって、ガソリンの消費は減ることはなかったと言います。

 実は、これに「味をしめた?」のか、二年間の期限付きだった暫定税率は、その後34年間もの間廃止されることなく、また、国会では全くといっていいほど論議もなく、5年毎の延長が国民の知らないところで行われてきたというのが、実態です。

 そこでなぜこれがここまで国論を二分するまでの大論議になっているのか、それは、昨年の参議院議員選挙で民主党が議席の過半数を占めたことが大きく影響しています。

 つまり、今年の3月31日に租税特別措置法の期限が切れ、ガソリン税などの暫定税率に関する法律が期限切れを迎えようとしているのに対し、これを、期限切れだから、そのまま廃止すればいいという民主党の主張と、何が何でも10年間延長をさせようとする①与党(自民党・公明党)の利権と、②国土交通省の省益が絡んだ論議であり、これまで自民党の数の横暴により、国会ではタブーとされ抹殺されていた論議が、初めて本格的論議になっているわけです。

 ところでこの国会では、これから10年間延長し、59兆円という多額の道路財源を使おうとしている事に対し、この中身を問う予算委員会での議論が行われていますが、その根拠は全く明確ではなく、巷間言われていることは、これまでの5年間に33兆円を使ってきたので、単純に10年間では66兆円になる。が、それではあまりなので、その一割を減じて59兆円にしたということが、実しやかに福田内閣の閣議で決定されたと言いますから、おどろきです。
 
 そんなことも、少しずつ詳らかになるようになりましたが、それにしても、この5年間で33兆円とは、よくもまあこんなに使ったものだと思うのは、私一人ではないでしょう。もちろん道路建設には多額の費用が必要なことはよくわかります。がしかし、このお金の使われ方が問題だと思うのです。

 国の道路建設については、「道路構造令」といって、国の費用を使って道路を建設する場合は、文字通り「国の基準」に基づかねばなりません。どのような場所でも、国の基準に基づかない道路建設には、財政措置がないというものです。例えば、どんな山奥の人通りのない道路でも「歩道」を設置しなければならない基準になっているというのです。

 それに基づかないと、国からお金が出ない、ようするに、国土交通省のいうとおりの道路でなければお金は渡しませんよということで、地方分権といいながら、道路に関してはいまだ国の采配が継続されています。まして、国道の建設とその他の道路の建設では土地の買収単価も違うと言われますから、これまで5年間の33兆円には、相当なる無駄が含まれていることは明白です。(国会論議では、是非これを明確にしてもらいたいものですが)

 最近では、道路特定財源は道路だけに使うと言いながら、国土交通省職員の「福利厚生」にも数十億円が既に使われている実態が民主党議員の指摘で明らかになりました。昨年、社会保険庁でも問題になったスポーツ用品(ゴルフボールなど)にも使われているといいますから、いい加減にしろですよ。滅茶苦茶ですよね。

 また、道路特定財源を一般財源化し、暫定税率を廃止すると、地方では道路が建設できなくなると言う主張をする方々がいます。本当にそうでしょうか。そしていまでは、全国の自治体がこぞって、「今までどおりの税率を確保すべきだ」と大合唱ですが、本当に全国の知事や市長や町長、村長さんたちはそれでよいのでしょうか。国土交通省がそんなに怖いのでしょうか。

 この道路特定財源と暫定税率の問題で、何の制度の変更も行わず、ただそのまま継続した場合、どれだけの道路建設費用が回ってくるか、実は、どの自治体のも今の段階で明らかではありませんし、それに、あなた方首長さんたちは「地方分権」を一方で求めながら、片方では「中央集権制度」の最たるこの「しくみ」をそのまま残そうとしていることになるのですが、本当に良いのですか。

 私は、単に暫定税率廃止による25円分ガソリンが安くなれば良いとだけ言っているのではなく、日本の税制そのものをこの際抜本的に改革する必要があるのではないかと、実は言いたいとおもっています。(つづく)

 次回は、一歩踏み込んだ内容を、皆さんに知ってもらいたいと思います。


受験生の皆さん 頑張って

2008年02月20日 | 社会
 先日、仕事で上京する機会がありました。宿泊したビジネスホテルで親子連れが目立つので、何故かなと考えてみたら、「そうかそうか大学受験のシーズンなんだ」ということに気がつきました。

 かく言う私も、かれこれ9年前でしたか、長男の大学受験に一度だけ同行した事を思い出しました。
 その頃はまだ勤めていました会社の社員保養所が原宿にありましたから、格安で一泊できましたが、ビジネスホテルとはいえ、それなりの宿泊費用を伴いますから、地方から上京して何校も大学受験する学生さんとその親御さんは大変だなぁと、改めて思いました。

 それにしても、最近の子どもは、おとなしいと言うのか、過保護に育っているのか、どうも“覇気”というものが感じられないように思えてなりませんが、そう感じるのは私だけでしょうか。

 そうかといえば、方や靴の踵を踏み引きずって歩いている子もいれば、裾がボロボロのズボンのベルトを腰下までわざとずらして、見た目すごくだらしない格好をしている子を多く見かけます。そういう時、彼らを取り巻く生活環境はどんな様子なのだろうと、つい考えたりすることがありますが、いまや子ども達の様子も両極端の傾向が顕著です。

 また、先日は三人の女子が屯しているところに出くわしましたが、標準語とはとても思えない、すごい言葉遣いで、しかも、周囲に配慮することなく大声で話していたり、或いは、別のグループは屋外であるにも拘らず、所かまわず食べ物をかじったりする姿を見かけました。

 「この時間帯(夕方5時頃)にそんなものを食べていたら、家に帰って夕食がお腹に入らないだろうに、どうして」なのだろうと、私のような“お節介おじちゃん”は頭を傾げますし、いわゆる「コシパン」がトレンドだとは言われるものの、これも頭を傾げます。

 私は、このような子ども達の状態を批判しようとしているわけではありません。評論家ではありませんから、子ども達の行状についてとやかく言えませんし、言うつもりもありません。それぞれが自分の意思であるからです。

 が、ただ一つ言える事は、後述した子ども達の様子を見ていると、我々が育った頃と(と言えば大げさですが)、今とではどうも「美観」(びかん)に大きな違いがあるのかなぁということを感じる点です。  

 それはおそらく日本の教育が、子ども達の“豊な心”の形成のために、教えなければならないことを、必ずしもしっかりと教えてられていないことの反映に思えてなりません。

 もし仮にそういうことだとすれば、子ども達の教育を単に学校のみに任せず(或いは押し付けず)家庭や地域の教育力でこれを如何にカバーするか、そういう仕組みをどのようにしてつくり出すか、これらを真剣に考えることだと思います。

 私は、そういう研究や調べを改めて始めたいと思っています。




福田康夫という人物

2008年02月01日 | 政治・経済
 先日、薬害肝炎の原告団を救済する「議員立法」が国会で成立し、被害者の救済が行なわれることとなりました。記憶に新しいと思います。

 そもそもこの問題は、国の責任を求めて裁判沙汰になっていたものでしたが、結局、「議員立法」を行なうという方法で解決してしまいました。いろいろありましたが、これがまさしく彼らの好きな“政治的解決”というやつでしょうか。

 それにしても、就任後間がない首相であったとしても、なぜここで、福田総理は自らの判断で解決しようとしなかったのかいまだに疑問です。あれだけ国の責任というものが問われ、社会的にもそれがほぼ認知されていたにも拘らず、裁定を下せませんでした。

 結局のところ、福田首相自らが判断して、国として救済するということになれば、厚生労働省や当時の官僚の責任が厳しく問われることに怖気づいた、周囲の官僚が抵抗したのだと考えられます。

 しかし、これで福田総理は、自らの存在を逆に危うくしたことに気づいているのだろうかと、疑問でなりません。そして、自民党福田内閣の支持率を下げる役割を自ら演じてしまっているようなものだと思うのですが、考えすぎですか。

 ところが、懲りない福田氏は、またぞろ同じような事をやってのけようとしました。いわゆる「つなぎ法案」です。要するに、自らが与野党クリンチになっている問題を解決するために汗をかこうとするのではなく、自分が総裁でもある自民党(与党)を盾(りようして)に議員立法という格好をとらせ、ウルトラ政治決着をはかろうとしたのです。

 今回の国会のゴタゴタを見ていると、一国の首相である福田康夫という人は、まったく「裸の王様」のように見えて仕方ありません。リーダーシップというものがまったく感じられませんが、逆にだからこそ、この一連の「政治劇」のなかで、「したたかな手口」と評する方もおられるかもしれません。

 実際のところ、就任からこの間の、福田康夫という人物が、全国の有権者にはどのように映っているのだろうか。機会があれば一度訊ねて見たいものだと良く思います。官僚の言いなりにしか動けない(動かない)マスコットでは、この国は良くなりませんね。

 あの約6年間の小泉政治は何だったのだろうか。全部が先祖帰りしてしまおうとしています。自民党が益々居丈高になってしまいました。