小嶋つうしん(号外)

(元)大分県議会議員 小嶋秀行の徒然ブログ

働くということ

2023年06月29日 | 社会
 自治体議員の任期を終了して今日で二か月が経過した。議員で活動していた時期と今では、180度生活が変わった。変わった詳細な中身はともかく、生活におけるルーティーンの変化に多少の戸惑いがある。が、これは仕方がない。退職してほぼ一か月間は、(頭と)身体を癒すのに費やした。そんな中、一日中何も目的も予定もなく過ごすことに、ある種の衝撃というか恐怖というかこれまでの生活では考えられない不安に苛まれた。「こんな暮らし方(生活)がこれからも長く続くなら、いっそのこと仕事でも」。

 実は、初めての職安へ(会社勤めのころは、端末機のメンテナンスで何度も訪れたが)そして、「お目当ての会社」検索。担当の方がとても親切で分かりやすい説明。スムーズに「お目当ての会社」への「紹介状」へと至った。そして、即日面接時間が決まり、結果、一日で仕事をゲットできた。仕事探しを思い立ってから3日目のことである。

 なんと、26年ぶりの現場仕事へ従事となった。68歳の「新入社員」を迎え入れる会社スタッフも心中穏やかではないようだ。普通の会社なら退職している年齢の人間が突然混じってきたら、私でも戸惑うと思う。働き始めてひと月が過ぎたところで、仕事内容も大分把握でき、段取りも半分以上掴めた。あとは人間関係の様々。これが私の小心を揺らす。

 四半世紀にわたり実際の労働現場に居なかったことで、人との交わり方を忘れているようだ。この年齢になっても若い先輩社員に「気遣い」が必要なことは予め理解できていても、私にも「感情」というものがある。が、グッと飲み込んで過ごす局面が事何度も何度も。実際の仕事の進捗は、任された仕事内容を着実に実施することで事は収まるが、「そうか、実際の職場で働くという事はそういうこともあるのか」。

 これからどれだけの期間この会社で働き続けるかは不明だが、今は、この職場での人間関係の充実と仕事内容の(個人的)探求に思いを致し、自分なりに楽しい職場にしていくことを目指してみたい。これに、会社の業績アップのため、議員活動で得た私自身のバリエーションをどれだけ生かせるかが重要になってくるとも思っている。

進む高齢化社会の中で実際に起きている事

2021年10月26日 | 社会
 本年6月、大分市内で介護疲れから、実母を殺めるという大変不幸な事件が発生ました。介護保険制度を十分活用していなかったという内容の報道もありました。また、近所との付き合いも少なく、なぜそうなったか、新聞報道では「介護に疲れた」とのことでした。
 この事件をきっかけに、議会で「介護保険制度の将来」について質問を行い、いわゆる「ケアラー」(介護者)の実態についても十分な調査を行う必要性を問いました。県は、その必要性を認め、「自治会や民生委員さんなどとの連携もこれまで以上に必要だ」と述べました。
 介護保険制度の基本は「在宅介護」であり、「介護の社会化」として20年前に制度ができました。その後、紆余曲折を経て今日の姿になっていますが、現在は「地域包括支援システム」が整備され、かつ「施設介護」の条件は「要介護3」以上の被介護者であることとされています。
昨年の段階で「要介護3」以上で、施設入所待機者が3000人を超えていると言われ、そのそれぞれの被介護者に寄り添う、家族を中心とした「ケアラー」(介護者)がいるとするならば、そうした方々に対する早期の調査と対策が必要ではないか、二度と県内で同じような不幸な出来事が起きないよう手を打つ事を求めました。
 その矢先、10月に今度は別府市内で、義理の親を殺めるという事件が発生しました。この事件の場合は、事件捜査中であることから、詳細は不明ですが、親の介護に関して介護保険の手続きをとる段階で発生したといわれておりますから、6月の事件の様に長期間にわたる介護ではなかったようです。
親など(被介護者)が、認知症などを発症していればなおの事、ケアラーと呼ばれる方の苦労は並大抵のものではなさそうです。この問題を長期間調査研究している日本福祉大学 湯原悦子教授は次の様に述べています。
 「介護殺人が生じる世帯の多くは、自らの困難に対処する力を失っている。これらに対応するためには、適切な判断と支援を行える第三者の介入が不可欠である。もし危機介入が必要な場合でも、実際に介入を可能とするシステムが地域に整備されていなければ、本人の尊厳の保持や自立生活の支援だけでなく、家族もその人らしい生活が送れるように、という理念は絵に描いた餅になってしまう。保険医療福祉領域の専門職が適切に介入していくためには、公的責任による介護者支援のシステム整備が不可欠である。それなくして自助と互助を支援の拠り所にするのであれば、介護殺人の発生を防ぐことは難しい」と。(湯原悦子著 介護殺人の予防(介護者支援の視点から)より転載) 地域包括支援システムの真価が問われていると言えましょう。

コンプライアンス

2021年07月14日 | 社会
 子どもの通学路で、歩道と車道の境界が明確でない場所を通学路にしていたという責任は重いと思います。そこに、飲酒したのち運転して列に突っ込み、あの忌まわしい事故が起きました。多数の死傷者が出たことに、強い憤りを感じる事件でした。
 一方、先の東京都議会議員で当選した議員が、免停中に自動車を運転していて事故を起こした事件。しかも、免停期間にも常習的に運転していたらしいことが、第三者の証言で判明しています。事故後、「二度とこうしたことが無いよう、自らを律していきたい」と述べたといいます。どんな神経の持ち主でしょう。

 最近起きたこの二つの事件には、一つの共通点があります。それは、“人が見ていなければバレない”という自己中心的な思い込みです。免停中に運転していた都議は、「今後このようなことが無いよう、自らを律して」といいました。事故を起こして無免許がバレたから自らを律するというのは本末転倒でしょう。
コンプライアンスの観点欠如が甚だしいこの事件で「自らを律する」とは、常に法律や条例のもとで活動する職務にある人間が発する言葉とは考えにくいですね。免停中(何が理由で免停かは不明)は、運転ができないことを全く理解しようとしていない。どこをどう律すると言うのか一度聞いてみたい。

「誰も見てはいない、バレない」が根底にあることで、飲酒運転ドライバーの場合は、おそらく長い期間同じようなドライバー生活が続いていたと推察されます。トラックの助手席には相当数の酒類の空き容器がコンビニの袋に入れられていたといいますから。この場合も人間として一番弱い一面が結果として痣(あざ)となった事例です。この二つの事件は、バレないと思い込んでいる事は、「必ずバレる」ことの証左と受け止めるべきだと思います。

 単に「コンプライアンスを重視」とだけ言いません。人間に「弱さ」はつきものと考えるからです。とは言うものの「許される事」と「許されない事」は現にあります。この二つの事件は、「許されない事」の典型。“人としてふん別”が付いていれば避けられ、死傷者もなかった事件ではないでしょうか。飲酒運転はNO! 無免許運転はNO! これがふん別です。人間性が強く問われる事件だと思います。

 大分県内の子どもの通学路について、先の千葉の事故と同様の道路を通学路にしている実態が県内にないかどうか、現在、県警や教育委員会、土木建築部へ改めて精査を申し入れているところです。

東京オリンピック

2019年11月08日 | 社会
マラソンと競歩が札幌開催に
 東京オリンピックのマラソンと競歩が北海度で開催されることになりました。開催を九か月後に控えたこの時期の性急な論議・決定としては、その結論はともかくとして、何のための、誰のためのオリンピックなのか、心底疑いたくなります。
 日本で初めて開催されたオリンピック(1964年)は、夏が過ぎた秋口の開催であったことを記憶している方も多かろうと思いますが、10月10日の体育の日は、オリンピック開催(開会式の日)を記念して制定されたものですね。しかし、今回の開催時期は、真夏のオリンピックとなってしまいました。これが摩訶不思議な時期設定の経過なのです。

アメリカ(放送権料)の意思で開始時期設定
 その一つは、と言ってもこれが大きな原因だと言えそうですが、多額の放送権料が動くと言われるオリンピックです。大半以上がアメリカの放送局に占められているらしく、丁度、東京オリンピックの開催時期は、アメリカ放送業界の言ってみれば「閑散期」にあたるらしく、この時期の前後にはビックなイベントが予定されていることから、その間に東京オリンピックを挟んだことによって、真夏の東京開催ということにことが新聞にも報道されていました。

お金に絡む話題は多く
 その全容を知る由もありませんが、放送権料で多額の金が動いているらしいことに加えて、JOCの会長が、東京オリンピック決定前の取り組みに関連し、IOC関係者に幾ばくかを渡した?ことが発覚?したのか、会長を辞任する事になったことは記憶に新しい事です。最初から、建設費をめぐる資金を含め、お金に絡むドロドロした話が国と自治体間で多くあったこの東京オリンピックの開催は、本来の主旨を改めて問い直す必要あるように思えてなりません。

「東京一極集中の改善」遠のく
そもそも、政府がというか、安倍政権が、東京一極集中を地方創生の取り組みを通して改善するという方針を強調してきたにも拘らず、これを結果として東京オリンピックの開催が主な原因の一つとして、その方針を数年先送りせざるを得なくなったということをご存じだろうか。
 さらに、開催決定からこれまで5~6年の期間、大会成功に向けた具体的な取組が行われることとなり、改めて巨大なスタジアムを建設し、競技場も新しくする。会場へのアクセス道路を改善するなど、莫大な費用を投資することで、事もあろうか地方の人材が大挙して中央地域に流入することとなってしまっています。その影響として、様々な分野で人材不足の自治体が顕在化しています。その意味では、あらためて、東京オリンピックの開催は、東京一極集中の改善はおろか、ますますこれを助長することになってしまいました。

東京オリンピックは返上したら?
 マラソンと競歩が話題になり、一旦決着はしたものの、前述の時期設定の根拠やお金に絡む話題が多すぎ、利権の話まで出てくる中で、「返上したら」という意見を言う著名人もいます。その根拠は、今やオリンピックが誰のためのものか、本当にアスリートのためのものなのかが不明瞭だという点です。その証拠に、6年も前に開催国や開催期間も決まっているにも拘らず、開催9ケ月前になってやっと、マラソンと競歩の開催場所変更が決められるなど全くもって考えられない話です。
この点、IOCもJOCもオリンピックを開催することにのみ意義を見出しているとしか考えられません。この真夏の最も暑い盛り、そして期間中には、昨今の自然環境からして、大型台風襲来の可能性が100%ある日本で開催するなどを考慮すると、「アスリートファースト」の思いは、関係者幹部諸氏には、これまで皆無だったのか、IOCの権限が強すぎるのか。こう考えると、「東京オリンピックは返上したら」という著名人の思いもよく理解できます。


台風19号の爪痕

2019年10月23日 | 社会
記録的な大雨をもたらした台風19号ですが、所よっては48時間に1002ミリの雨量が計測されていると報道されていました。これだけの雨が降れば河川の許容範囲を大幅に超えてしまいます。
新聞報道によると、死亡が確認された81人のうち、21人が車の中で被災したと見られるとの事。移動中に川に流された様だといいます。また、浸水などにより住宅内で被災した人は27人。今回の様な豪雨の際の避難や移動の在り方が改めて問われていると思います。(これは、今回の県議会で論議したいと思います。)

事前に、約2日前くらいから台風19号の進路や豪雨の傾向は報じられていましたが、今回の場合、大雨による河川の堤防の決壊が12府県で70数ヶ所広範囲に及べば、想定外も想定外。誰もこんな状況は予想だにしなかったことでしょう。憎むべきは、地球温暖化でしょうね。この影響によるものとして、国挙げて「減災対策」(降雨はあり得るとして、被災を減少させる、限りなく被災ゼロにする取り組み)として強めなければならないと思います。一番大きい課題を私は「エネルギー政策」の転換だと考えています。

この台風19号に関しては、九州地方に住む我々にとって、当初の進路から大幅に東方向へ方向転換したことから、多くの人住民が安堵したことでしょう。これが、九州の何れかの地域を縦断するという事になっていれば、それを思うとゾッとしていたのは私一人ではないでしょう。しかし、その結果が今回の様な大惨事を引き起こしている事に、心の葛藤を禁じ得ません。犠牲になられた方々、被災をされた方々に深くお見舞いと哀悼の意を表します。

そのエネルギー政策ですが、特に今後集中して取り組む必要があると思われるのは、電力エネルギーの確保に際する化石燃料の大量消費を即座に改めるべきと思います。原子力発電は、現在もこれからも難しいなかで、再生可能エネルギーへの早期転換を進める必要があると思いますし、我々国民の節電運動も重要でしょう。毎年電力消費量が増加していると言われていますので、企業も我々民生側も共に電力消費を少なくする動きを作る必要があると思います。

昨今では、豪雨災害を報じるマスコミがこぞって地球温暖化の影響という事を記事にしていますから、温暖化の影響で台風のみならず、九州北部豪雨の様な大量の雨量を伴う豪雨災害が連続して発生(50年に一度と言われ、毎年の様に襲来する)していますから、今後のエネルギー政策では、その一つの検討要素として、大分市や多くの自治体で取り組みが徐々に始まっている「水素エネルギー」への転換を早期に促進するべきだと、現在、大分県議会でも提案を続けています。

怖いのは「風評被害](アクセスが良くないのでビックイベントを行えない)

2019年01月25日 | 社会
 昨年12月の定例会で、大分スポーツ公園のアクセス改善について質問しました。
 この「小嶋つうしん」(号外)をご覧いただいている方もご存知でしょうか、11月16日のキリンカップサッカー大会の際、大銀ドーム周辺をはじめ、市内で大渋滞が発生しました。大規模イベントに対する交通対策が十分とられていなかったことが原因の第一ですが、私が指摘したのは、もともと4万人収容する「ビックアイ」の建設に際して、アセス(環境影響評価)調査が十分でなかったのではないかという点です。

 これに対し『県では、平成6年の時点で、一般的通行に関して対策を行うための「大分県スポーツ公園基本計画」を策定し、これらで指摘されている内容についてはすでに終了している』との答弁でした。24~5年前の計画を持ち出して答弁されたことに驚きもありましたが、確かに、4万人を収容できるだけの道路事情は、そのころと全く変わっていませんね。

 問題は、先般のような大渋滞の様子が全国に知れ渡り「大分県では、会場(ドーム球場)へのアクセスが良くないのでビックイベントを行えない」とする❝風評被害❞が発生することです。これに対しは、何らかの対策を講じ、「既にその問題は解消済み」とのメッセージを発信しない限り、今後この施設の全国的で大規模な活用が大幅減になりはしないか、まして、武道場を含め屋内競技場も出来上がると、なおさらアクセスが問題になります。そううえ、トリニータ―がJ1復帰しましたね。強い、しかも名だたるチームとの対戦は、これまで以上の来場者でごった返すことになります。
 そこで先ずは、高速道路「松岡パークエリアからのスマートインター設置」を検討してはどうかと、の要望を含め、早期の改善を求めました。

 答弁では、「長期的な問題として考える」とだけ答えましたが、どうでしょう。利用する側、大銀ドームをもっと利用して欲しいと、思う側からすれば、高速道路「松岡パークエリアからのスマートインター設置」を筆頭に、アクセスの改善は必要ありませんか。?

こんな活動も・・・。

2019年01月24日 | 社会
                      地域の通学安全見守り活動


 「おはよう!はい、通れるよ!」毎朝ローソン前の交差点で黄色い旗降って声をかける。それまで信号待ちしていた児童生徒が一斉に渡り終える。かれこれ20年位こんなことやっていますが、何が楽しいかと言えば、この間、この交差点での児童生徒の事故はゼロが誇り。こんなたわいもない毎日(約四五分間)の積み重ねで、彼らの社会教育(しっかり挨拶する。信号を見て渡る。信号無視しない)の一環に寄与できているかなと実感できることです。約20年前、これを始めたきっかけは、会社の先輩の一言があったからでした。

 先輩の一言とは、「俺たちが子どもの頃、地域の方々に大変お世話になってきただろ。だから、大人になった俺たちがこれから地域の役に立つという思いで、地域の世話をしている」というものでした。その時は、そういう事かぁと思っていましたが、我が家の子どもたちもこの地域でたくさんの人にお世話になって成長したから、その恩返しは父である私がと始めた一つが、交通安全協会西の台分会の活動でした。

 私が始めたころは、安全協会の活動というより、単なる一人のボランティアという感じでした。気恥ずかしさもありましたね。今の交差点には私一人しか立っていませんでしたから。市議会議員一期目のころでした。「かれは、だからやっているんだ」と思われたくない気持ちが強くありました。となると、毎日毎日、雨の日も雪の日もとにかく続ける事が大事になってきます。最初は、冬場の寒い頃辛いこともありましたが、一年、二年と過ぎていくうち、そんな事も無くなりました。

 その後、他の安全協会の方々や、自治会長も立つようになって、現在に至っています。今では、西の台校区の通学路の主な交差点には、三人から五人の方が立っています。青少年健全育成会の方々も協力するようになり、全体では、30名以上の方々が、毎朝交差点のいたる所で「通学安全見守り活動」を行っています。このメンバーの多くは、教員OBや県警OB、また、民間企業のOBは勿論、NTTのOBもいます。
 
 前に30名以上の方がこの活動に携わっていると書きましたが、私が始めた頃は、2~3人のしかも、制服を着た大分市の交通安全指導員が中心でした。それが、一般のボランティアとして参画する方が増えて今日に至りましたが、今では、そういう方々が年に2回、交流懇親会で一杯飲み会を開くようになりました。年はじめと、夏場の暑い盛りの時期。いろんな情報交換を行いますが、それぞれの方々にはそれぞれの思いがありますし、大概の方々が続けられる間は続けたいと思っているようです。

 私には、この活動を行う上で心掛けていることが一つあります。それは、通学する児童生徒の「ストレス」にならないことです。毎日やっていて、顔見知りになると、「今日はいつもより随分遅かったね」とか、一言声をかけたくなります。でも、それそのものが子どもたちのストレスになりかねません。「あのおじちゃんはいろいろ言うから、前を通りたくない」と。なので、「おはよう」という声かけ以外に、「行ってらっしゃい!寒いけど頑張ろうね」くらいに限定しておかないと、私が原因でストレスを感じ不登校になっても困りますから。

 逆に、子どもたちの側から「今何時何分ですか」と聞いてくる場合があります。それもほぼ特定した児童です。多い朝は、なぜか30人位の児童が聞きます。毎日のことですのでその子たちへの印象は特に強いものがあります。小学校を卒業したこの子たちは当然ですが3年間は中学校に通いますが、その後、高校生になります。昨年の春、私の前を自転車で通りかかる高校生が、「おはようございます。」と笑顔で声をかけてきました。3年前6年生だったあの子だ!と思いつき、「そうなんだ!もう高一かぁ」と、何か言い知れない熱いものを感じました。

 児童生徒の場合とは違い、自転車通学の高校生には、正しい自転車の走行について話すことがあります。「君も高校生だから解るだろうけど、自転車は基本的に車両だから、本当は車道を走行するのが正しいよ。歩車分離のこうした交差点では、歩行者と一緒に通ると歩行者にぶつかるだろ。だから、青の信号の時に乗用車と一緒に車道を通るようにしようね。慣れないと怖いけどね。気を付けて」と助言します。さすがの高校生は翌日からこれをちゃんと実施できるようになっています。

 私は、地域の交通安全協会役員として通学見守りボランティアをやっていますが、実は、交通指導員ではないので、交通指導を行ってはなりません。私などが指導するのはご法度で、それは交通指導員にお任せすることです。でも、校区内には二名の交通指導員しかいません。その二名だけでは今のような状況にならないと思うので、これからも児童生徒の通学安全を見守るための活動を、地域の方々と続けていきたいと思っています。
 20年前、この活動を始めた頃の小学校6年生は、もう立派な子を持つ大人になっていると思います。


よくある光景。でも、こんなの・・・あり?

2017年07月22日 | 社会
 数日前の昼食時、出張から帰着した折、ちょっとおなかが空いたので立ち寄ったラーメン屋さんの風景。

 「いらっしゃいませー!」と威勢のいい声がした。近年、ラーメン屋さんは、どこも威勢がよい。
 「お客さん一名ですか?カウンターにどうぞ」までは良かった。
 すると、水の入っていないグラスを持ってきた青年店員(たぶんバイト)が「グラスになります」と差し出す。
 「グラスになります」?とは如何に。「グラスです。どうぞお使いください」ではないのか。私は自問自答する。
 なぜ、今どきの若い者は「グラスになります」というのだろうと思いつつ注文が完了。

 一時して、注文したラーメンが私の面前に。その際「〇〇〇ラーメンになります」と告げて置く。
 「〇〇〇ラーメンになります」とは、おそらく日本語になっていないと思いつつ、それを食べていると、隣に初老のご夫婦が着席。すると、先ほどの青年店員が同じように「グラスになります」と二人にお冷をつぐコップを差し出している。
 注文を受けるときにまた信じられない不思議な光景が目に入る。初老のご夫婦は、私と同じj〇〇〇ラーメンを注文をした後、その他にも「餃子をください」と告げる。するとなぜかこの青年店員は「餃子は7~8分時間がかかりますよ」と告げている。なぜそのような言いまわしになるのか皆目わからない。他人のことだからどうでもよいことだと思ったが、この青年店員の口ぶりは、メニューにある餃子を注文する初老のご夫婦に対し、時間がかかるから餃子は注文しないでほしいとでも言いたげな口調に聞こえた。
 なぜ「餃子は7~8分時間がかかりますよ」というのだろう。本来なら「ありがとうございます。餃子は7~8分のお時間がかかりますので少々お待ちくださいませ」と告げるべきで、「時間がかかりますよ」と言われた初老のご夫婦は(何を言うのだろうこの店員は)、一瞬たじろいだが結局「いいよいいよ、電車に乗るわけではないのだから」(時間はある)と青年店員に告げ、餃子は注文することになった。

 料金を精算するとき、よほどこの一連の有様をレジ係に伝えようとも考えたが、おそらくこのラーメン屋さんで再び食べることはないだろうと、そのままお釣りを受け取って、このラーメン屋さんをあとにしました。

 言葉は大切だと、改めてこの青年店員とお客さんの会話を聞いていて思いました。それぞれの商売で、その第一線を担うのは正社員であろうとバイト社員であろうと、その対応いかんでは良いイメージを持つか逆のイメージを持つかが決まる。前者だとおそらくまた来てみよう!となるが、後者であれば❝二度とこない❞ともなるでありましょう。

 ちなみに、このラーメン屋さん、とんこつラーメンで、味は、普通(最後のスープは少し塩辛い感じ)。
 昼食時間というのに入りは4割程度。
 なお、写真のラーメンと立ち寄ったラーメン屋さんとは全く無関係です。

「くらしにあんしん」杯グランドゴルフ大会を開催しました

2016年11月23日 | 社会

 絶好の好天に恵まれ、第13回グランドゴルフ大会を行いました。校区内外から多くの方々にご参加いただきました。
 恒例になったこの大会は、主として高齢者の交流の場となっていますが、高齢者の方々は、日頃から自治区内や、校区内で様々な形で練習されておられるので、とても上手な方ばかりです。また、マイステックを持っておられる方々も多く、年々盛んになっています。
 私の住む校区は、こうして高齢者の方々がとても元気ですし、毎朝交差点に小中学生の見守りに立っていると、子どもたちもとても元気です。世間では、少子化とか高齢化とかいわれますが、わが町は無関係ではないかと錯覚するぐらい、それぞれに元気に暮らす環境があります。
 この暮らしに安心の環境を、これからも持続的に維持できる街づくりが大切だということを、改めて感じました。

シルバーウイーク

2015年09月22日 | 社会
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9月の連休を「シルバーウイーク」といつ頃から呼び始めたのでしょうか。あまり記憶がありません。
土曜日が休みの人には、今年は5連休です。休暇が増えるのは喜ばしい事ではありますが、事業を営んでいる方々には、仕事のスケジュール調整など、複雑な思いの方もいるのではないでしょうか?
ともあれ、今年は、比較的好天に恵まれて観光地は賑わっている事でしょう。 我が県も、観光キャンペーンには力を入れていますし、このところ、市内のホテルはどこも満室らしく、活況が伝わっています。
高速道路の通行量も多い様で、中でも県外車がかなりの数でした。我が家は、子ども達がこの連休中帰って来ないので、我々は、実家の両親の様子見に、高速道路経由で行ってきました。
今年と同じパターンの5連休は、正確ではないかも知れませんが、暦の上では2026年頃にまた来るらしいですね。今年は、幸運でした。


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スペシャルオリンピックス

2015年05月27日 | 社会
 先日、5月24日(日曜日)朝から、スペシャルオリンピックス日本−大分の「卓球コーチ・クリニック」に出席しました。

 かねてより、この団体の活動の中で、「卓球プログラム」が提供できないか、要望もありました事から、長い間検討してきましたが、その為のコーチクリニックが大分で実施する事ができましたので、参加しました。

 これまで約17年間、この活動に関わってきましたが、この日、あらためてスペシャルオリンピックスの理念等基本的な講義を受けて、活動の重要さを再確認しました。

 細かい事を表示すると字数が多くなりますので示しませんが、知的障がい者(アスリート)へ「スポーツプログラム」を提供する側(団体)として、責任あるものでなければなりませんし、アスリートの成長を促していくためには、我々がどうなければならないかなど、とても勉強になりました。

 実技実習でも、卓球競技の経験者(中学区・高校)として、安易に考えていましたが、幼少(小中学校児童・生徒同学年程度)のアスリートが、楽しく遊び感覚で長い期間スポーツを取り組む事(一定の基準)ができるようにする事や、基礎的練習を一つひとつ積み重ねていく事の重要性と大変さを改めて感じました

「ポイ捨て」はやめましょうね。

2015年05月17日 | 社会
 月に一度、所属する団体のボランティア清掃活動が行われます。先月は、自治体選挙の候補者であったことから参加できませんでしたが、今月は、それも終わりましたので参加しできました。

 いつも限られたメンバーですが、快晴で清々しい早朝、大分駅上野の森口一体を清掃しました。結構きれいな場所ですから、長時間はかかりませんが、集まった9名のメンバーで頑張りました。

 それでも、私が見かけたところ、合計15か所程タバコの吸い殻が散乱していました。天下の公道にポイ捨てして、しかも靴で踏みつけて火を消したと思われるところや、道の片隅にフィルターまで燃え尽きている燃えカスもありましたから、自家用車の中から火を消さずに「ポイ捨て」したのでしょう。

 最近は、喫煙者の居場所も狭まってはいますが、だからと言って「ポイ捨て」は許されるものではありませんね。誰が片づけると思っているのでしょうね。人間性を疑いたくなるし、これがもし大人のしかも親となっている方の仕業なら、何とも残念でなりません。

 何はともあれ、月一回の行事の一つ終わりました。明日の月曜日を良い気持ちで迎えられそうです。

いつもの通学風景

2015年05月15日 | 社会
 写真は、いつもの通学風景です。「写真撮るよ!」いうと振り向いてポーズをとってくれました。彼らは、5年生で大の仲良しです。いつも一緒に通学しています。私とも友達になりました。

 小・中学生が交差点を通過する際の見守り活動中、毎朝何人かの児童が握手をしてきます。気が向いたときに握手してくる男の子もいます。「いま何時何分ですか?」と聞いてくる児童はかなりいます。

 7時20分~45分までの間は、大変多くの児童・生徒が私の前を通過しますが、この風景を見ていて、少子化とか人口減少社会とか取りざたされている昨今ですが、この地域は持続的な世代交代ができているのではないかと錯覚するくらいです。特に、女子が多い傾向にあることがとても喜ばしいことだと思います。

 この子たちが成長するのを、とても楽しみにしています。しっかり、見守っていたいと思います。



 

大分県防災活動支援センター総会に出席しました

2015年05月02日 | 社会
 今日は、午前中、大分県防災活動支援センター第11回総会に出席しました。
 顧問という役柄を頂いています。防災士さん多数が出席していました。大分県、大分大学からも来賓が来られており、私もご挨拶の機会を得ました。(ちなみに、私も防災士の認証を得ています)

 ご挨拶では、これまで、大分市政で防災士の認証に取り組むまでのお話、大分県におけるジュニア防災士(防災リーダー)の取り組みについての提言、防災リーダーの育成体系整備などについて、報告を兼ねてお話させていただきました。

 来賓席で、大分大学の関係者と名刺交換させていただきましたので、現在、大分県に提言している案件(防災リーダーの育成体系整備)について、今後御相談ができるとありがたいと感じました。機会があれば、大分高専の土木科の先生へも相談にいかせていただきつつ、大分発の事業が組み立てられるとありがたい。

 次の予定がありましたので、最後までの出席はできませんでしたが、NPOとして発足して10年が経過した事に、改めて敬意を表しました。昨年から、大分県「防災活動支援センター」の役割(事業委託)も担っており、本組織の重要性がますます高まっています。引き続き、協力していきたいと考えています。

 午後は、宇佐市の和間海岸で家族ぐるみの環境クリーン作戦、と貝堀のレクレーションに参加しました。180人参加しました。貝の最盛期が過ぎていますので、アサリはあまり取れませんでした。妻はアサリ、私は、マテ貝中心でした。

 これから、支援団体の会合に出席するため外出します。
 今日から実質ゴールデンウイークの中日に入りました。なかなか「休暇」ということにはならないようです。


スリランカの様子

2014年02月15日 | 社会
 スリランカの生活水準というか、労働者の給料は、月額平均4万から5万円程度だそうです。前に、昭和50年代という事を書きましたが、日本の昭和50年代初頭は、高等学校卒業の初任給が5万円程度だったと思います。

 国道を移動中、バスの窓から目についたのが建設中のビルの建設工法です。少し田舎に入ると2~3階建のビルが大半ですが、細い基礎工事が目立ち、2階、3階と建設する際、竹や木を無数に用いてコンクリートを張っており、日本の様に地震が多い国だと、建設基準法によりこの工法そのものがあり得ないと思う程の粗野な建設風景でした。

 「キャンディ」という街の市場と商店街を視察しました。日本の商店街とは全く異質でした。写真でお示ししたい程でしたが、清潔感は今ひとつでしたが、活気はすごいものがありました。

 また、宝くじ売り場が路地にいくつも設置されており、どのような立場でこの方々が宝くじを販売しているのだろうと思わせる、これでは日本では誰も買わない、信頼できないと思う程に、粗野な販売店が軒を並べているのが印象的でした。

 仕事柄、公衆電話と郵便ポストはとても気になりましたが、公衆電話は日本の様に、赤や緑など同一の色彩ではありません。キャリヤ(通信事業社)によって色が違うのであろうと、勝手に判断しました。色も形状も全く違います。

 郵便ポストは、キャンディであればその地域用と、スリランカ全土向け用とは郵便ポストの色と設置の向きが全く違います。もちろん同じ場所に設置されていますが、東と西を向いているという様に併設されています。

 生活の面でいえば、 田植えとお米の質が全然違うと実感しました。種の種類が全く違うのだと思いますが、スリランカのお米は比較的小粒で、炊飯後もパサパサしているという印象です。田植えの手法は、それこそ昭和50年代の農法の様に感じました。鷺が多数水田にいました。

 その精か、夕食も昼食も朝食も出される「ご飯」は殆どがピラフにしたもの。日本のお茶碗に白いご飯を装おうと言う感じではありませんでした。でも、西欧とは違い、炭水化物が多く食事として提供されるので、食事に違和感なしでした。

 ただ残念だったのが、観光地に行くと必ず「物乞い」する人がかなり多いことでした。多くを書きませんが、生活水準を高めるために、何か応援ができないものか、率直にそう思いました。

 この点、スリランカの教育がどういう状況なのか詳しく調べ、協力できるところはないか詮索してみたいという思いに駆られました。移動の途中でいくつかの学校風景や児童生徒の様子を見ましたが、制服を来ている児童や生徒はまだ良いのかもしれません。草履を履いている児童がいる一方、裸足の児童も多く、生活水準に大きな格差があるのだろうなと思いました。

 そこで、スリランカの政治体制について見ておこうと思います。スリランカは、紀元前483年にシンハラ族が島に上陸し、シンハラ王朝を建設。その後紀元1505年にポルトガルが植民地化、その後、1658年にオランダが植民地化、1802年にアミアン条約により英国植民地化。

 1815年にキャンディ王朝が滅亡し全島が英国の植民地化され、1948年に英連邦内で自治領として独立し、1956年バンダラナイケ首相が就任し、シンハラ語のみを公用語として、1972年、国名をスリランカに改称。英連邦内自治領セイロンから完全独立することになった。今年(2014年)2月に独立66周年記念式典が行われています。

 日本とスリランカの関係で特筆する事があります。
 日本が第二次世界大戦に負け、1951年にサンフランシスコ講和条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのはスリランカでした。当時の大蔵大臣で、後に、初代スリランカ大統領になるジャヤワルダナは、日本に対して、連合国側から分割統治などの強硬案が出される中で、対日賠償請求権の放棄を語っています。

『・・・我々は損害賠償を要求しようとは思いません。我々はブッダの言葉を信じているからです。ブッダの言葉、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」が人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム(タイ)、インドネシアそして、セイロン(スリランカ)へ伝わり、ヒマラヤを通ってチベット、支那(中国)そして最後に日本へ伝わりました。これが我々を数百年の間、共通の文化と伝統で結び付けているのです・・・我々は日本人に機会を与えなければいけません。』・・・と。