ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

封印は解かれた!?

2005-01-05 20:41:09 | Weblog
◎ 本日のキャスト
 
   大和ノブコ・・・「古本屋」主
    先生・・・歌唱指導
     他・・・5人の女性
   レイコ・・・ 私

約束の時間が過ぎて、電車が発車しそう。
「レイコサン、ごめんなさい」
急いでノブコサンが駆け上ってきた階段、乗車してホッ!
「もう1人、いつもここから乗る人が居るのよ。今日はお休みかも」
幸いにも坐れて、彼女は、去年の秋から冬にかけてアフリカに行らした時の
写真をアルバムに。アフリカに居るキリンがサイが写っている。
「レッスンが終ったら、この写真を持って行く所があるのよ」

彼女に誘われて、初めて伺うレッスン会場。グランドピアノがある、バーのような
レッスン会場。ピアノの伴奏?先生ご夫婦と、三々五々集まるマダム達。
「はじめまして。本日は、拝聴させていただきます」
それでも、先生はプリントを私にも配られて、
「いっしょに歌ってください」
ピアノはナシ!何種類かのテープが、各曲にあわせてかけられる。早い話がカラオケ。
歌を歌わなくなって久しい私は、ぼそぼそと口ずさむ。ジャンルは3つ。大まかに
「歌謡曲・ポップス・シャンソン」あまり厳密じゃあない分け方。
歌うに当たっての注意事項が言われ、何回も繰り返す。
先生は、プロらしく、やはりとてもお上手。声もいい!
「10分休憩しましょう」
で、傍らには、バーカウンターのしつらえと、アルコールのビンが壁一面に。
みんなでコーヒーを注文。なぜかワインの白が注がれて、中のマダム2人の注文。
「それでは私も赤と、コーヒーを戴くわ」
揃う頃には、時間オーバーとなり、先生の許可の元に、ワイン片手の
レッスンに相成る始末。

20年前あたりから、なぜか声が出ない、音は狂う状態に陥り、その不愉快さに
一切の歌から遠ざかっていたけれど、小学生の後半から中学生にかけてシッカリ
声楽を勉強していたプライドの崩壊もあっての拒否も、アルコールの手助けも
あってか、ゲストだったはずもどこへやら。小さな声で、
「立って歌っていい?」て、お隣りの方へ。
「いいんじゃない」というその方の言葉に、
語るわ、歌うわの、熱唱になってしまって、
「済みませんでした」
の、平身低頭。なにが、聞かせていただくなものか状態になってしまった初お目見え。
こうなりゃ、やるっきゃない!よ。
「絶対に歌わない」の封をパチッと切ってしまったのよ。
カラオケなんか大嫌いだったけど、昔取りそこなった杵柄も、もういちど挑戦したら、
チャンと取れるようになるかも。
それより何より、
「ああ、気持ちよかったぁ~~~!」

ノブコサンとはその駅で別れて、遅れていらした大和にお住まいの女性と帰路へ。
油彩をなさる、かなりな読書家で、お料理が好きな3男児(成人)のお母様。
初お目見えで、ここまで共通点がある人に会ったなんて、ついぞなかったから、
嬉しい驚き。
ご一緒の時間は短く、お名前もお聞きすることもなく話は盛り上がり、
「今度、ノブコサンと3人で、1杯飲みながらお夕飯ご一緒にいかが?」
なんて、展開になって。ツマミは「尽きそうにない話題」なんて、極上品が
出そうな予感よ。
「私は、決してミーハーじゃないって自認してるんだけど、『らも』が死んだ時は
やりきれなくて、泣いちゃったのよ」と言う私に、
「『らも』が好きだなんて、お友達になれそうね」って。
浮世の生臭い話以外の話が語れるって、幸せ~。そう、まさにこれは、
   こいつは春から縁起がええわいなあ~~~~~~!
                  の、初春のひとコマでした。

西暦2005年、平成17年、今日は昨日の続き

2005-01-02 00:23:11 | Weblog
  ◎ 本日のキャスト

  フランコ・・・在留ペルー人
  ラウラ ・・・フランコの妻
  カリート・・・フランコとラウラの1人娘
  レイコ ・・・  私

「モシモシ、レイコチャン。ワタシ ラウラ」
「フェリス・アニョ・ヌエボ!」
「オメデトウ。レイコチャンクル、ラウラノウチ」
「ね、ラウラ、私が送ったメール読んだ?」
「ゴメンナサイ。ラウラ イソガシカッタヨ。30ニチマデ シゴト」
「わかった。今行くわ」
で、今年初めて会った人が ペルー人一家よ。
半年振りくらいだったかしら?カリートはすっかりお姉さんになって、
しっかり通訳ができるほどに。3歳半のお嬢ちゃん。ペルーのおじいちゃま、
おばあちゃまと電話でお話する時はスペイン語ですって。
私と話すときは日本語。日中は保育園に行ってるから、まわりは日本人の子
ども達。フランコが
「カリート、エスパニョール!」
指を1本ずつ立てるのよ。日本人だったら、指を折るでしょう、数える時は。
カリートが
「ウノ・ド(ス)・(ト)レス・・・・・ディエス」
続けて日本語では?に、
「イチ・ニ・サン・・・・・ジュウ」
「フランコ、日本の九九を次に教えましょうよ」
ラウラったら、相変わらず
「ヤッパリ、ペルーカエルトキハ、レイコチャンイッショニイクネ」
「エーッ、ペルーは遠いわ。それで私もぺル―に住むの?」
「Si」
「ウ~ン、考えとくわね。ところでウィルメルはお出掛け?」
「ウィルメル、ペルーカエッタヨ。12ガツノ2カニ。デモ モウスグ コッチニ
カエッテクルヨ」
「エーッ、1ヶ月もお休み?すごいわねえ」
「カレノママ、シンダヨ」
「亡くなっちゃったの?ラウラのお姉さんよね?可哀想に」

去年の今頃、具合が悪いって言ってた、彼女のお姉さま。とうとう神様のもとへ。
それもあってか、同居しているウィルメールは、只今帰国中。


「ねえ、聞いて。セニョリータがグアテマラに行ったって言ったでしょう?」
「Si」
「結婚相手を見つけて、今やアモールアモール,ミ・アモーレなのよ」
電話をかけて、携帯をラウラにまわしたらセニョリータはひとしきりラウラにお
のろけよ。ラウラもニヤニヤ。
今年も私とフランコは辞書を片手の国際親善。フランコが辞書をめくって指差す
から、その箇所を見れば、
・・人種偏見・・・。日本人の事だって言うから、
「そうねえ、日本人は日本人だけで2000年も生きてきちゃったから、どうして
いいのか、まだわからないのよ」
ラウラも
「セニョリータ、ガイジンニ マケタ。ニホンノオトコ、アイシテルイワナイ」
「ウ~ン、思ってても、日本人同士ならわかるはずって、言わなくてもね。でも、
アモールだの、キエロだの 言葉と態度で迫られちゃったら、日本の女の子は
それだけで痺れちゃうかもねえ」

3日から仕事スタートのラウラ。午前中だけらしいので、ケイコサンたちも見える
から皆で会いましょう。セニョリータのお話ももっと聞きましょうで、招待よ。

12月からなかなか進まなかった、ケイコサンから回ってきていた460頁に及ぶ
ジョン・グリシャムの本。31日と1月1日で強行突破。

26日帰省、31日で職場に戻る、横浜→四川省・成都→横浜→北海道・門別に住
む馬専科(三男)と、久しぶり愚息①も含めて、一家勢揃いなんて、久方ぶりで、
我が家だけ、1日繰り上げ「元旦」が31日。例年のスケジュールを1日前倒しして、
「おめでとうございます」で、屠蘇散がしっかり染み込んだ日本酒+味醂のお屠蘇が
本人の所望する盃になみなみつがれ、お正月の行事のスタート。
いつものように「お年玉」袋がそれぞれへ。これは私が生きている間中渡されるもの。
終生親でありつづけるための儀式。終生子どもで居られる幸せの儀式。
いやぁ、できる幸せを手放しちゃぁおしまいよ。でも、愚息①が
「お気持ちだけ頂きます」
なんて、シャラ臭いことをぬかすから、それはそのまま馬専科へ。
帰省の主なる目的は、親の顔を見るなんて、付け足しもいいところの彼だから。
BOOK OFFに行く事がメインの子よ。そして友人と会う事の2つがね。
「お給料は、馬券と本代に消える?」
「そうだね。あとは最低限のものだけで生きていかれる俺だし、料理もするしね」
「ウ~~ン、まさに私の子!ね」
みんなそれぞれ酔いつぶれて、昼寝。夕方、フランスパンとビーフシチューで軽く食
事をとって馬専科は、これから半年の馬の出産に立ち会うべく北海道へ。
過酷な職業。動物が好きじゃなきゃやってられない仕事よ。珍しくその彼が
「ア~、成都へ行きて~なあ。火鍋とタンタン麺が食いたい」
なんて。彼が滞在中に行く事が出来なかった私は、
「その時は絶対に連れてってね」
外国語には挑戦意欲満々の私でも、中国語の「四声」の発音はできないから、どうにか
まだ中国語を覚えている馬専科について旅行がいいってことなのよ。

そういうわけで、世の中の大晦日の日は、ウチだけ元旦になって、時間がタップリ。
翌1月1日の正真正銘「元旦」も時間は私に。チンタラチンタラ状態の進み方だった
読書が、この2日で、往年の読書ペース復活というスピードで驀進。内容がすこぶる
面白かったのが、主理由だったんだけど、進んだ進んだ、小気味いいテンポでね。
今年の絶好調の滑り出しにのって、生意気にも日本語版・英語版・スペイン語版で
揃えた、ノーベル文学賞作家(コロンビア人)の「百年の孤独」に着手するのもいい
かもって、密かに決意。もちろん日本語版からスタートよ。
最近、そのガルシア・マルケスが書いた本も、早くそれも読みたいしね。
ウワー!今年も益々の読書熱に浮かされそうよ。やっぱりこの悦楽はたまらないわねえ。
お洋服?裸じゃない。美容?壁じゃない。宝石?ほとんど関心なし。宝石をジャラジ
ャラつけるってかなり原始人よね。ブランド?その品をもつ?そこまでの恥知らずじゃ
ない。
ああ、これじゃあ従妹に「それでも女?」って言われるわけよね。ハハハ・・・・。
でも、その従妹と共通は、ブランド品を持つことの恥ずかしさを知っていることと、
活字が(紙製)なければ生きていかれないという2点。

私が坐る所、寝る所に置いてある本が、又、ガラッと様変わりしそう。
嬉しい悲鳴の1年の幕開けです。
               今年もどうぞ宜しく!