日々の生活から

毎日の生活で感じたこと・考えたこと

ヴォイス ヒーリング

2005-05-29 19:18:29 | 
渡邊満喜子
春秋社

ヴォイスヒーリングがどんなものかは田口ランディのコラムに詳しい。
昨年、気功教室で一緒になった人が、ヴォイスヒーリングを受けて、とても良かったと言った。
「自分は自分でいていいんだ」という強い実感が得られたそうだ。

ヒーラーという人は、自分が生きにくさや傷を持っていて、それが癒された経験を高めてヒーラーになることが多いようだ。
この本でもそうした、著者が癒される過程とヒーラーになっていく足取りが書かれている。
大きな愛に触れる経験は素晴らしいものなのだろう。

ただ、気になることがある。
癒しというものは、こんなに何度も経験しないと得られないものなのだろうか。
人によって傷によって、癒されるまでにかかる時間は異なるのだろうが、なんだか「癒し中毒」になっていないかと不安になる。
著者は自分で愛と繋がることができるので良いが、このヒーリングを受ける人は自分で繋がれるのか?
繋がれないとヒーリングを受けつづけなければならない・・・なんてことにならないのだろうか?
一発で治ってしまうというような、強力なものを求めているわけではない。ゆっくり変わっていく方が自然だと思う。
毎日生きて生活をしていれば、色々なことがあるので、時に再び傷付いて、癒されたいと思うこともあるだろう。
愛は常に補給が必要なのかもしれないけど、その都度ヒーラーの所にいくようでは、困ったことではないろうか?
たまに医者にいくように、たまにヒーリングを受けるということなのかなぁ。

ヒーリングについて新しい視点をこの本は示してくれた。
自分の素朴な疑問として「ヒーリングって、どうしてこんなに高価なんだろう。人を癒すのが仕事なら無料でやっていても良いだろうに。友達感覚でやってあげるってわけにはいかないのかなぁ」と思っていた(まだ、思っているが)。
この本の中で『「歌」を紅茶とケーキのようにふるまった』という話がある。癒しは変化を伴う。それは時に苦痛だ。癒しが進むと「癒されること」が「支配されること」の様に感じられる。それを誘導するのが友人であれば、危機感を持つ。
著者は『「癒す」仕事は、プライヴェートな関係だけで恣意的におこなうことに、本来的な危険があると私は思うようになった。』と書いている。そこで「プロフェッショナルなヒーラー」になって、「癒しを必要としている人」にそれを届けることにしたという。

んー。経過はわかるのだが、それに幾らの値段をつけるかって疑問は解けなかった。だって、数回受けるようなら、結構な額になると思うんですけど・・・。


西の魔女が死んだ

2005-05-29 18:08:41 | 
梨木香歩
新潮社

カントリーライフの気持ち良さと優しいおばあちゃんに癒された。
「魔女は自分の直感を大事にしなければなりません。でも、その直感に取りつかれてはなりません。」
自分は不思議な話が好きで、そうした本は「直感を育てる」「直感に従え」と言うことが多い。
そんな中、おばあちゃんの言葉は現実的で安心する。
そうだ、大事にしつつ、取りつかれないようにするんだ。

文庫本にはもう一編「渡りの一日」が収められている。
自由奔放なショウコの行動と、藤沢君の勘違いがかわいらしい。

著者のお話には沢山の植物が登場する。
この本の植物がこちらで紹介されている。

幸田プール

2005-05-29 17:50:36 | エクササイズ
金曜夜は同僚の結婚お祝い会の後、朝までカラオケ
土曜日は一日、布団に沈殿してました・・・
体を動かしておこうと思い自転車でプールへ
Up Free 100m, 個メ 200m×2
個メ Combi 400m×2
Free Combi 200m×1
Down Free 100m
無理を避けて、たらたらと泳ぎました