かんりにんのひとりごと

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綺麗な水路閣を臨む・・・

2024-09-10 | 観光・旅行・京都検定

今日も35度を超える気温となりました。

もういい加減に、嫌になってきました。

毎年、我慢強く仕事をしていますが、こんな日が続くと、仕事が続けられるかと心配になります。

いつまで働けるかな?と考えてしまいました。

さて、気分を変えて、綺麗な風景の写真でも見ています。

葉が生い茂って、何となく涼しげな風景でした。

ちょっと陰になっているのが良いですね。

この場所は、南禅寺の境内にあり、水路閣と呼ばれています。

もともとは、琵琶湖の水を京都市内へ持ってこようと、ながーい人口の川を作ったのが始まりです。

天皇が東京へ行ってしまった明治の京都は、火が消えたようにひっそりとしていたそうです。

何かの本によると、御所の周辺は「狐狸の棲み処」というように表現されるくらいさびれてしまったそうです。

このままでは、京都がダメになってしまう・・・。

そう思った、京都の人たちは、起死回生の復興策として、「琵琶湖疎水」という当時としては、とんでもない計画を実行したのでした。

京都と滋賀県の間には、大きな山があって、高低差も大きかったようです。

トンネルをいくつも掘り、水路を作って、京都まで水を運ぶ運河づくりは、大変な工程だったようです。

この水路が、山から平地へと降りていく最後の部分になっていくみたいですね。

近くには、インクラインといって、船を台車に乗せて、高い場所から、低地まで下すための線路があります。

南禅寺を作ったのは、亀山上皇ですが、まさか何百年かのちに、こんな大きなレンガ造りの橋がかかっているとは、思いもしなかったことでしょう。。。

琵琶湖疎水の計画は大成功し、滋賀県と京都府は、船でつながれることとなりました。

水運の発展に大きく貢献したことになります。

副産物として、疎水の水を使って、蹴上に発電所がつくられました。

そうして、作った電気で、日本で初めての路面電車を京都市内に走らせることへとなったのでした。。。

もしも、明治にプロジェクトXという番組があったら、このプロジェクトを推進した、京都府三代目北垣国道知事と設計者の田辺朔朗さんは、主人公として登場していたことでしょう。

「ちゃーん、その時田辺は言った・・・。」


「山をほって、トンネルを作るんだ」


「そして、できた!」

思わず想像してしまいました。

この窓から、のぞくのが流行りみたいですね。

だれかのぞいてくれたらよかったのですが、この日は一人でした。。。

南禅寺も暑い時期は人が少ないのですね。。。

それは知りませんでした。。。

紅葉の時期は、きっと大勢の人が押し寄せてこられることでしょうね。。。

水路閣(琵琶湖疏水・建設費・・・)南禅寺見どころ

水路閣(琵琶湖疏水・建設費・・・)南禅寺見どころ

水路閣を解説します。水路閣は滋賀県大津から京都府宇治川まで流れる約20キロの琵琶湖疏水(第1疏水・第2疏水・疏水分線)の一部です。琵琶湖疏水は1885年(明治18年)に着...

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