堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

日米開戦・・・伊藤整

2012年02月12日 | 読書

 日米開戦時の日本人の心情を知ることは歴史を知る上で興味がある。
 特に知識人と言われる人については。

 後に「チャタレー夫人の恋人」の翻訳で有名な、英米文学者の伊藤整が開戦の翌日書いたエッセイは面白い。
そのエッセイには、
 『十三歳から英語を学び、それを手段にして世界と触れ合ってきた。それは勿論、英語による民族が、地球上のもっともすぐれた文化と力と富とを保有しているためであった。その意味は、彼らがこれまで地球上の覇者であったということだ。この認識が私たちの中にあるあいだ、大和民族が地球上の優秀者だという確信はさまたげられずにいるわけには行かなかった。・・(中略)・・
私はこの戦争を戦い抜くことを、日本の知識人階級は、大和民族として絶対に必要と感じていることを信ずることができる。私たちは彼らの所謂「黄色民族」である。この区別された民族の優秀性を決定するために戦うのだ。』
とある。
 続いて、三国同盟を結んだドイツとの違いを「彼らは同類間の利害の争い」なりとみる。

 英米文学に通じ、その国をよく知る伊藤整にすれば、英米の下位に位置し、屈辱に耐えてきた日本民族がその優秀性を、戦争によって覆すことができると信じたのであろう。

 翻訳を生業とする伊藤にとって、「思想的内部改造」をすべきか、「人間主義の文学精神」に依るべきなのか、葛藤があったようである。
 しかし伊藤は、戦争の目標と日本の勝利は最後まで疑わなかったようである。

 余談だが、これに対する軍部の反応も面白い。
 伊藤の言う「黄色人種」という言葉に対し、この戦争は「黄色人」対「白人」の戦争ではないと言っている。
 三国同盟のドイツとイタリアを念頭に置いてのことである。