堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

太平洋戦争開戦決定の日

2011年12月24日 | 日記

 今日から毎日書くこととした。
 些細なことで良いから、何でも毎日書く。

 明日は、錦六会の今年最後の資源回収日。
 書斎を整理しなければならないが、可能な限りで仕方がないとも思っている。

 
「BS歴史館:真珠湾への7日間~日米開戦・外交官たちの苦闘と誤算~」のVTRを見た。
 真珠湾奇襲作戦についは、
 太平洋戦争の発端となったこと、
 昭和16年12月8日であること、
 正式な宣戦布告はなかったことぐらいしか知らなかった。

 日本はいつの時点で、太平洋戦争開戦を決定したか。これについては、諸説ある。
一般的には、1941年7月2日から始まった御前会議、その4回目の12月1日に国家意思として決定したといわれている。
 NHKのBS歴史館のタイトルの7日間も、12月1日の御前会議から12月8日の真珠湾攻撃までを意味している。

 日米外交交渉の経過の中で、米国国務長官ハルから提示された、所謂「ハル・ノート」に対し、自衛権の行使として、
 12月1日にの御前会議で、開戦を決定したとする説。
 ハルノト-とは、①日本軍の中国及びインドシナ半島からの撤兵、②王兆銘政権の否認、③三国同盟の空文化等日本政府が殆ど容認できない内容の最後通牒である。
 ただし、ハル・ノートはアメリカ政府の正式文書ではなく、ハル国務長官の覚書的なものである。


この説に対し、12月1日の第4回御前会議の決定は、単なる形式的なもので、実質的には、11月5日の第3回御前会議とする説。
 この御前会議では、「帝国国策遂行要領」を決定している。その中で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す。」とある。実質的な開戦決定とみる。
 この要領を受け、11月26日に、千島列島ヒトカップ湾に集結していた海軍の機動部隊が真珠湾攻撃のため出港。
 この事実は、既に開戦の意志を確定的なものとし、戦闘行動を開始したものと解するのが正しいと思う。

 私は、12月1日説は、日本が到底のむことができない要求を突き付けられ、戦争に突入したとして、自衛のための戦争と太平洋戦争を位置づけられる危険性が伴う。
 戦争を回避しようと人々の意に反し、国家意思として開戦を決定したのは、11月5日の第3回御前会議であると思う。


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