山種美術館のすぐそばに広尾小学校がある。
美術館の帰りに寄ってみた。
是非、見たい小学校の一つである。理由は、関東大震災後に行われた、小学校復興事業の末期に建設されたものだからである。所謂、復興小学校である。
広尾小学校は、歴史のある学校で、大正5年4月1日に開校した。
関東大震災で被害を受けてしまった。
復興に当たり、東京市は、学校を災害発生時の避難場所として、都市計画上で位置づけた。
震災当時、東京市立の小学校は195校あり、殆どの小学校が被害を受けた。
従って、倒壊や火災に強い鉄筋コンクリート造りとし、公園を併設すというようなことも行った。
広尾小学校には消防署を併設した。現在は消防署はないが、望楼はある。
復興小学校として建設されたものは117校に及ぶ。
当時の東京市が小学校を地域の防災拠点として重要視していたかがうかがい知れるというものである。
復興小学校のデザインは凝ったものがあるが、広尾小学校は復興事業の後半の昭和7年であったので、デザイン性は後退し、わずかに玄関部分がデザイン化されている。
同校は、登録有形文化財として文化庁より指定を受けている。
なお、同校建設に当たって、子爵であった、土岐章の財政的支援も受けたとのこと。近くにあった土岐氏の邸宅は郷里の沼田市に移築されている。
一見に値すると思う。
単に防災拠点としてだけではなく、昭和の建築物としての価値をもっている。
当時の東京市の行政の文化性も垣間見たような気がする。
他にも、復興小学校の初期の段階のものには芸術的に見ても優れたものも多いようである。
幾つか見てみたい。
旅をする機会は少なくなったが、身近なところに意外なものがある。