堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

暦年と年度・・・人生の時

2011年01月01日 | 日記

 新年明けましておめでとうございます。

 もういくつ寝るとお正月、子供の頃と違い、年末の慌ただしさ、あっという間に来てしまう正月。
 これも、やらなければならないこと、やるべきことがあまりにも多いためなのであろうか。

 少し理屈っぽくなって恐縮ですが、平成22年12月31日明けて平成23年元旦、一日違いでなぜお目出度いのか。
 人生区切りが必要です。
 新たな決意、新た出発、ある意味でのリセット、正月は正に区切りであり人生のアクセントです。
 過ぎ去った一年を振り返り、新たな一年に立ち向かうわずかな安穏、休息、その狭間の数日を残り少ない人生を絶対に残してはいけない悔恨、その為にこの一年な何をすべきか、真摯に考える。
 一人の人間としてどう生きるにかという問題である。
 古希を迎える今日、今までの正月とは少し異なる。

 人間生きていく上、目に見える姿でで社会や家庭で様々に振る舞う、しかし、目に見えないところはどうか。
 それは、人としてどう生きるかという形而下の問題と社会や地域や家庭でどう貢献するかという形而上の問題とともにある。

 正月は、それらを考えるまたとない機会である。特に、この年になると。

 話な現実的になる。

 正月がかつてと違ってきている。
 正装する人も少なくなった、正月気分も違ってきている。家庭での大掃除もやらない家庭が増えた、正月飾りもやらない。
 正月の雰囲気がだいぶ違ってきた。
 正月気分は、単にコマーシャリズムの中にしかない。

 このことはなんなんだろう。

 社会や地域での仕事で考えれば、3月が締めくくりの月であり年度の区切りである、1月は経過の月にしかすぎず、年度途中である。
 あえて言えば、新年度に向かっての助走の月にしかすぎない。
 私自身も、暮れにやり残した仕事が山積している。正月休みが終わるまでかたずけなければならない。

 嘗ては、経済活動も暦年で動いていた、しかし、企業の会計年度の関係や様々な要因の変化で暦年の意味も失会われ、希薄になったような気がする。一方、人の生き方や人生観も変わり、正月の意味も変わったのかもしれない。
 

 現実が優先される、この現実の為に、人生を顧み、新たな人生の出発の時である正月が変貌してしまったのではなかろうか。
 12月31日に出る太陽と元旦のそれとの違いは。現実にはないだろうが、それを初日ととらえる知恵を忘れてはならないのであろう。
  

  
 


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