道志村キャンプ場で少女が行方不明になってる事件、あのあたりも詳しい俺なんかは、最初から事故ではなくて事件だろう? という思いはあったが、1か月くらい前にも今回の事件のあった近くの、裏丹沢の山に登ったとき、人気のない登山口近くの吊橋を渡ったところで、薄気味悪いモモンガおやじに出くわしてる。
そのことを大月警察にはすでに電話して話してあり、その他の情報も役に立てばと話してある。
年中あちこちの山に登ってると、事故や事件に関わってしまうこともある。
人間のまずいないだろうエリアを目指して、そこから人間がまず歩いてないだろう道を行く。
まず普通の人間が近寄らない、すれ違いや転回すら出来ない山奥の獣道まで車を乗り入れて、普通の人間が歩かない道を歩き登って行く。
そこで出会う人間がいるとすれば、普通ではない、よほどの山馬鹿か、変質者か、自殺志願者か、犯罪者・・・だ。
狸が一定の距離を保ってついてきたり、鹿が尾根上から石を蹴り落としてきたり、猿の集団に囲まれそうになったり、熊が身を潜めて様子を覗っていたり、どこでも明るく賑やかに自己主張しながら歩いてると、獣たちも敵対心ではなくって興味しんしんで寄って来る。
もともと人気の丹沢山系でも、裏側の道志側から登る裏丹沢は人の少ない自然豊かなエリアで、都会に近い自然豊かな場所には、薄気味悪い連中も入り込んで来てることは多い。
だいたいが麓の方で徘徊してるケースが多いが、自殺志願者のようなのもいるし、変質者のようなのもいる。
俺は? 真っ暗な時分からでもそんな山を登り始めることがあるから、なんということもない。
俺の目指すのはあの雲の中に隠れてる頂だし、お前さんたちと遊んでる暇はない。
体格も大きい方だし、角刈り頭だし、声も鍛えた大声だし、鋭い目で笑いかけると、みな視線をそらして去って行くのが多い。
笑いながらも、やるか? という意思表示は、奥山では持ってなければダメだ。
・・・なんか、おっかないオヤジだった・・・そのくらいで丁度いい。
・・・山は素敵なとこよ! 自然を満喫!!・・・ニコニコやってるのは、山を知らない奴らか、人気の観光地化してる山しか登ってない連中の自己満足だ。
100なら俺ですら1年で登ってるし、もっと凄まじい山馬鹿はいくらでもいる。
メディアには出ないだけのことだ。
逆にメディアが美談・英雄話として語り継いでドラマ化してるような登山家には、奥山では会ったこともない。
相変わらずの、たいしたこともない狐を美化してるだけのことで、ならば山でも美化しろよと、言いたいね。
・・・親の気持ちを思うと、いたたまれない!!
そうかそうか、あんたもそんな自意識過剰な甘ったれた親なんだな、そう思う。
あの年齢だと、一緒にいた親や大人の責任だし、そのありきたりの後悔を聞いていると、親として、ずいぶんと甘いな~と、思う。
いくらでも防げる話だろう。
いかに今を後悔なく生きるか? 俺は何人も子供を育ててきてるが、それだけを考えて一緒に遊んで来た。
俺の見栄や体裁や評価のことではなく、その子の本人の未来だけを考えて、厳しいことも甘いことも、いま必要なことはなにか? 親の自己満足ではなくって、10歳くらいまでは徹底的に傍に置いて仕込むことをしてる。
そこでまわりがどう思おうとも関係ない、変な親だと思われても関係ない、俺はそう育てて来た。
人の多い雑踏の中で大声で殴り飛ばすことだってあったし、その方が子供には強烈に効くこともある。
どの子にも、やれるだけのことはして来たから、後悔というものがない。
あとは本人のことだし、応用と復習ができるようにと俺はまだまだ先をずんずん歩いて行ってる。
子育てだとか、教育だとか、いくらでもキレイごとの情報はあるが、親や爺婆、大人の自己満足ばかりで、一番に大事なことがいつも抜け落ちている、それが現代の社会だろう。
親や爺婆が良い恰好してたって、子供は置いてけぼり、よくある話だ。
子は親を選べない、親が居ても子は育つ・・・俺がいつも言ってることだな。
人間社会の出来事には、ほとほと愛想が尽きてる爺ィの、独り言だよ。