鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

383 ロマン派音楽の散歩路

2025-01-23 12:57:00 | 日記

詩画に没頭する時も家事の時にも、いつも音楽と共にあるのは幸いだ。

日々の暮しのBGMの選曲は毎年何十回も聴きそれが何十年も続くのだから、千回聴いても飽きない独自の名曲名演奏を選びたい。


ヴォーカル曲ならまた違うのだが、器楽曲は誰もが知っているような有名なメロディーよりあまり知られていない曲の方が飽きが来ない。

ロマン派にはそんな佳曲が沢山埋もれている。



中でもスクリャービンは今世紀になりようやく復活した知られざるロマン派の大作曲家で飽きの来ないピアノ曲の宝庫だし、ヴァイオリンでは英国ロマン派エルガーの有名では無い小曲の数々も味わい深い。

ワーグナーやドイツ古典派の大曲は式典や大イベントのBGMには良いが、日常の時の流れに溶け込み人生を共に過ごすにはロマン派音楽だ。


ショパン、ラフマニノフ、リストらは今更私が語るべき事も無いが、作曲家兼ピアニストとしてバッハやショパン、スクリャービンの後を託せるのは20世紀後期ではキース・ジャレットしか居ない。



彼の「ステアケース」は今聴き返せば正にロマン派が復活したかのような歴史的名作だろう。

世評も高い「ケルンコンサート」は我がフェイバリットアルバムではあるものの、残念ながら拍手の音が毎曲末に2分近くも入っていてBGMには向かないのだ。

以前紹介した彼の晩年の静謐な演奏も宗教的深遠さがあり、20世紀前半に前衛音楽に押されて消えて行ったロマン派の唯一人の継承者とも言えよう。


音楽と気に入った詩集を持てば、谷戸の小径を散歩するだけで離俗浄界の気分になれる。



(有明詩集 初版)

まだ色を残す落葉の中に水仙が咲いてしまう鎌倉の冬の音楽は、静謐な美しさを感じさせる曲を選びたい。

冬麗の今日の散歩には英国のヴォーン・ウィリアムズの荘厳なる「タリスの幻想曲」にしよう。

同じ英国ではエルガーの「エニグマ」のチェロアレンジもこの時期に良い。

エルガーには「ストリングス セレナーデ」など知られざる弦楽の佳作が多くあり、私はブルッフとウィリアムズに次ぐロマン派弦楽の巨匠だと思っている。

写真の「有明詩集」にはここにしか無い彼の英国浪漫派詩の名訳の数々が載っていて貴重な本だ。

そのロセッティの翻訳は日本の訳詩史上最も美しい韻律と断言しよう。


冬籠りの長い時間にも良き古書と古楽があれば豊かな気分で深く静かな思索に浸れるだろう。

そんな幻冬の夜には古人達の至った寂寞の境地にも近付ける気がする。

ーーー木の虚(うろ)に眠る深紅の落葉かなーーー


©️甲士三郎


382 枯園のピアノ曲

2025-01-16 12:49:00 | 日記

(gooのサーバー障害により更新遅延、乞御容赦)

ネットやiTunesのお陰で古今東西のあらゆる音楽が聴けるようになり音楽好きには喜ばしい。

近年では世に知られざるバロックやロマン派の曲も続々と発売されている。


我が谷戸の寂然とした枯景色に最もふさわしいのはやはりバッハのピアノ曲だ。



若い頃に聴いたリヒテルの弾く「クラヴィア平均律」には格別深い想いがあり、バッハは我が音楽体験の原点でもあり晩生の到着点でもあろう。

演奏者にもよるがこの曲や「フランス組曲」の祈りにも似た厳粛さが、冬の我が暮しを静謐な物にしてくれる。

他にもバッハの四季それぞれに合うピアノ曲のプレイリストを作り、散歩時に聴きながら山河を眺めたりスケッチや句歌を詠めるなら至福の日々だ。

チェンバロ曲も夏向きのプレイリストの方に沢山集まっている。


バッハは場所を選ばず都会のマンションの室内でも十分美しく聴こえるが、ロマン派のピアノ曲は屋外の自然の移ろいの中で聴くのが最も良いと思う。



ロマン派の楽曲は総じて高次の和音と複合旋律を駆使した目眩く迷宮のような音楽なので、初心者には取っ付きにくい所がある。

ショパンら初期ロマン派の弱点をあえて言えば興行のための行き過ぎた技巧と過剰表現だが、それが後期ロマン派時代には不要になり流麗で煌めくようなバランスの取れた曲調となる。

その中で私が最も好きなのは、世間ではあまり知られていないスクリャービンのピアノ曲集だ。

近年の再評価で出たコンプリートアルバムでは20世紀の評論家達には評価の高かった後期の前衛的な曲より、知られざる前期の小曲群の方が遥かに佳作揃いなのは新発見だった。

彼のピアノ曲と共に歩けば、近所の何気ない枯景色でさえ光輝いて見えて来るのだ。



フォーレのノクターンとバルカローレもまた知られざるロマン派ピアノの名曲集だ。

この曲集も今世紀に入りようやく新進のピアニスト達により演奏されるようになった。



そもそもロマン派音楽全体が20世紀の進歩発展至上主義で古臭い物と貶されていたのだから仕方ない。

フォーレのノクターン集はショパンのような覚え易いポピュラーな曲こそ無いが、華麗さと深遠さを兼ね備えた飽きの来ない名品揃いだ。

幻冬の陽に煌めく漣のようなピアノの音色は、我が谷戸の風景をキラキラと包んでくれる。

ーーー白鳥を追ふ白鳥の長き水尾(みを)ーーー(旧作)


美しき古楽は五感を覚醒させ周囲の自然に観応し易くする効能がある。

冬枯の我が楽園を巡りながら聴くこれらのピアノ曲の玄妙なる響きは、我が詩魂を身近な自然や時の流れに観入し易くしてくれ、世界が如何に美しく哀しく愛おしい物かとしみじみ感じられるのだ。


©️甲士三郎