春闌けて来て朝方窓を開け放っても寒さは感じなくなった。
鳥達の囀りも活発になって、色々な鳴声を聴き分けるのが楽しい。
鳥達の囀りは濁世の騒音を遮断して、離俗の結界となっている。
ーーー囀りの中に書写せる経文の 意味こそ無なれ筆こそ舞はめーーー
我が荒庭の枝垂れ梅に来る小鳥は、居間の窓から撮影できる。
この時期は常に窓辺にカメラを置いて鳴声が聞こえたり枝が揺れたら構えるようにしているが、原稿書きや家事の合間にのんびりとやっている。
当然撮り逃す事が多いものの、人生では写真より囀りを楽しむ事の方を重視すべきであろう。
北庭の日陰で遅咲きの白梅に来た鵯も、また別の窓から撮る事ができた。
鵯の鳴声はあまり綺麗な方では無いが、それでも十分春の生命感を感じられる。
蒼穹の白花が花鳥世界の清澄さをを引き立てて、いかにも病魔凶事が祓われたような空気だ。
和室の中にも花鳥の聖域を創りだしてみた。
(七宝対鳥 清朝時代 大樋花入 江戸時代)
もう花季も終りの杏を剪ったので、活けている内にもはらはら散って行く。
夢幻界では畳に散った花屑を掃く事でさえ楽しい。
生き生きして美しく楽しい物は、それだけで禍事を遠ざける力がありそうだ。
我が楽園守護の瑞鳥である蛾眉鳥様は毎日美声で鳴いているものの、今週はどうもタイミングが合わずに撮れなかった。
蛾眉鳥は冬意外はよく庭に来ているので、またいつか良い写真が撮れたら当稿に載せよう。
©️甲士三郎