お陰様で当稿も不倒の連載300回を迎え、その記念として番外に歌集句集を付けたので折々ご笑覧あれ。
さて今回は箸休め程度だが、珈琲座の話ももうしばらく続けよう。
我が荒庭には5〜6種の紫陽花があり多少日当たりが悪くても育ち、ひと月程は次々と咲き続けて色の移ろいまで楽しめる。
(筒片口花入 清水六兵衛 明治時代 ポット カップ コーヒーミル 昭和前期)
梅雨時の珈琲はホットにするかアイスかが大問題で、私は氷を入れず冷ましただけの珈琲にしている。
珈琲碗は古い益子のデミタスサイズで、これも簡素なデザインながら肌に深みのある手作りの品だ。
多彩な紫陽花の色を生かすためには、花器珈琲器は色味の少ない物を選ぼう。
近所の路地にも数種の紫陽花が集まって咲く秘密の場所があり、そこでは人力車で案内された和服のお嬢さん方が記念撮影している。
鎌倉の車夫達は隠れた路地の四季の撮影スポットを良く知っているのだ。
この時期の庭は梅と杏と桜桃が実っていて楽しい。
(江村煙雨 中村不折 益子焼湯呑 昭和前期)
中村不折はWikiなどで洋画家と紹介されているが、私の目に付くのは圧倒的に文人画が多く漢詩も書も評価が高い。
正岡子規とも友人だったので、俳句関係の人はそちら方面でご存知だろう。
写真は直筆の小色紙で五月雨に烟る漁村が墨調豊かに描かれている。
冷ました珈琲には意外とごく普通の古い湯呑が似合い、釉薬の垂れと墨の滲みが外の雨音と呼応するようで心地良い。
昭和30年頃の古民芸ならまだ手頃な価格で選べるので、昭和レトロ物は若い人達にも広まっている。
朽ちかけた木皿に落梅を入れて、その香りで部屋中を爽やかにしよう。
こちらは枝付きの杏を飾った。
(海やまのあひだ 初版 釈迢空 伊賀焼珈琲碗 現代作家物)
釈迢空の歌集は大正時代なので珈琲碗もせめて戦前の物にしたいのだが、伊賀信楽ではなかなか見つからない。
この珈琲碗は陶印が釉薬で潰れて読み取れないものの、伊賀らしく上手く歪んだ最近の作家物だ。
少し分厚すぎて真夏には合わないだろうが、梅雨寒の朝晩には藁灰釉の自然な明るさが馴染む。
「海やまのあひだ」は日本の伝統的な精神文化が息づいている大正短歌の秀作だ。
釈迢空や会津八一らの晩生は大戦に振り回されてか見るべき物は少なく、敗戦後はそれまで日本の伝統文化を担ってきた知識人層の凋落振りが悲しい。
今週は句歌集をまとめるのに時間を取られたが、また次回には落ち着いて珈琲座の話をまとめたい。
©️甲士三郎