鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

付録(2) 『隠者句集』甲士三郎

2023-06-08 13:31:00 | 日記



(花鳥諷詠扁額 高浜虚子筆)

我が初学より積もりし数多の雑詠を取捨整理すべく、百句を選び余を捨て一集となせり。

若書きなれば技拙なるを恥ぢず、技熟せども老心浅きを恥づ。

春秋折々にも小閑あらば御散読あらむ。

隠者の常にてこの身は文壇画壇より遠き幽境にあり、雅友諸兄には無沙汰を詫びるほか無し。


『隠者句集』

  春

薄氷の光の上を歩く鳥

麗かな大きな雲の下の國

眩しくて見えぬ辺りに囀れり

狂ほしや過去の桜が散り止まぬ

日も影もうすれて花の色が勝つ

鎌倉の霞みてはまた眠る山

宗演の昔獅子吼の山笑ふ

碑に眠る詩文や百千鳥

囀りの中に古曲の伝授かな

霊峰を囲み幾つの花の郷

富士越えし雲の安らふ春の海

お茶の時菫に光足りし時

隙間から猫の手が出る遅日かな

春宵の紫紺の空へ灯る坂

花陰へ白砂の庭の照り返し

もう此処の落花掃く人還り来ず

誰も居ぬ夢の途中の花の駅

常昼の菜の花路へ終の旅

藤房が藤房を打つ飛沫かな

落椿朽ちゆく庭で詩論かな

墨の香や若葉の奥の白障子

春惜しむ舞の終りの急拍子

双牡丹ひしゃげ合ふほど寄りあひて

白牡丹息づいてゐる仄暗さ

鉈朽ちる牡丹の園の奥深く

  夏

軽鴨が潜る光の輪の中へ

吹き荒ぶ古都の鬼門の青葛

青嵐去れば酒樽捨ててあり

薔薇真紅雨に四方の消える中

白花の従容と散る緑雨かな

紫陽花の古都の数多の水鏡

裏口の実梅の香り満ちる闇

荒庭の全ての花を試す蜂

重代の武士の土地大百足

空蝉を貫く朝の光かな

釣人は滝音の中虹の中

黒蝶が眠りの粉を撒きし路地

風吹けば去る白服の詩人かな

白服の老人軽し風の谷戸

浄蓮の蕾の中のうす明り

羅や怪談好きのお年頃

打水に茶屋の誘ひの灯が紅く

鮎食ふて髭の伸び来る帰り道

明け方の夢より淡く白蛾をり

音も無く遠き月下の花火かな

奈落から風吹いて来る蛍橋

沼底に大物潜む蝉時雨

夕立が打つ大仏のがらんどう

雷雲の山の麓の虹の畑

湧水に白砂辰砂の舞ふ光

  秋

夕焼の下に小さく灯る島

夕焼けて古都の全ては影の中

星祭町から猫の消えてをり

月影の禊の庭のとぐろ縄

美しく秋風纏へ袖袂

天高し常滑壺の口ぽかん

星色の朝顔垣に籠る画家

髭絡み合はせ嵐の曼珠沙華

秋雨の昼を仄かに灯る寺

星涼し白砂の庭はほの明り

竹林に隠れて菊の宴かな

過ぎし日を静かに照らす秋灯かな

月光に敵ふ淡さの野辺の花

猫入れて月光の扉を閉ざしけり

光ごと月を抱きてうねる雲

時の鐘木の葉散り急く四遠まで

どの町も月の過ぎ去る途に眠る

千本の竹の打ち合ふ荒月夜

鎌倉に狸が増えて雨ばかり

草の絮昇るや暮るる日の筋を

濡れそぼつ鬼より赤き紅葉かな

雨の日も咲きて晩菊いつまでも

夜と昼のあはひに灯る霧の町

月光が鉄路を磨く旅の果

月の街人には見えぬ猫の路

  冬

光塵の舞ひ降りる冬桜かな

廃園に蝶の息づく薄日かな

冬薔薇の暗香を湛へ画業かな

冬の川音無く古都に流れ入る

時雨坂下界は仄と明るみて

窓氷る世界を七の色に断ち

極月や港の端の招き猫

冬の灯や波濤の上の大伽藍

橋ひとつ谷戸を師走の世へ繋ぎ

紅を重ねて黒し寒牡丹

白鳥を追ふ白鳥の長き水脈

猟犬の黒髭も雪塗れにて

夢幻なる朽木の中の冬蛹

雪国の底ゆく蒼き流れかな

雪ばかり見るから鹿の眼は綺麗

寒濤に向かひて古都の不滅の灯

猫用の障子の穴は繕はず

玄冬や美しき歪みの虚子墨戯

磨れば減る古墨大事に冬籠り

うす紅の耳触らせぬ狡兎かな

暁闇に凍富士の根の深くあり

金色の凍烟纏ひ富士暁けり

牛頭の岩馬頭の波初明りかな

巫女舞の杜の無数の冬芽かな

散椿氷の下を流れけり


20236月 ©️甲士三郎


付録(1) 『隠者歌集』甲士三郎

2023-06-08 13:28:00 | 日記



(雪月花扁額 富田渓仙筆)

当歌集百首の眼目は古き抒情の回復と自娯独楽の風雅にありて、鎌倉文士らの黄金期なる大正の夢幻境へも到らむとて企てし物なり。

還暦前後よりの近作を主としつつ、亡き師父を偲び旧作も幾つか混ぜをく。

当世流行の極北を行く歌風なれど、折々の小閑にも御笑覧あれ。


『隠者歌集』 甲士三郎

  春

春や春階高き舞殿へ 顎上げて荒東風の巫女

花落としまた花落とし大木の 椿の中に隠れ棲む鳥

梅の精椿の精と暮らしたる 花入遺る夢跡の庵

古の影を描かぬ筆法で 永遠に明るき花の姫神

歌ひとつ詠めばいつしか魂の 還る辺に花ひとつ咲くらむ

暁の古都が紫紅に染まる時 現の春に目覚めよ乙女

後の世に恋歌残しうち臥せる  衣通姫の絵姿哀し

老画家よ病癒えれば街に出て 世界の色を塗り替へるべし

生まれ来て初めて眼開く朝  仔猫を包む乾坤の蒼

春の野に古き歌集を持ち出して 古き悲しみ花もて飾れ

佐保姫の春な忘れそ都人 花咲く大路巫女舞ふ大社

散る花の風の流れに定めあり 流れの果に我が画房あり

町中の花が一気に散る宵は 駆け抜け過去へ泣きに行くべし

鎌倉の一番端に花咲かす  嫗の庭へ通ふ歌鳥

うす紅は紅より傷み易き色 雨降りがちな荒庭の花

那辺まで幾曲りして霞みゆく 桜堤よ花の都よ

朧灯の橋を渡れば濁世から  遁れるに良き花陰の谷戸

金砂子煌めく中に常春の  花喰鳥を封ぜし蒔絵

目覚めよと目蓋を透きて春日さす  夢の桜を探す絵の旅

篝火の崩れて火の粉舞上がり 散りゆく花の刹那を照らす

水底に花屑鎮め日は薄れ  時の終りはかくありぬべし

もう何も起こらぬ所水底は  冷たく保つ花の白妙

とこしへに散らぬ桜を描く画家の 狭庭の春を終らす嵐

藤棚の上は密かに光満ち 友鳥集ふ紫浄土

上古より詞の意味はうすれ来て 鳥の囀るやうな祝ぎ歌

  夏

夏木陰くれなゐ兆す豊耳の 文学少女恋に賢く

三方を山に塞がれ青葉冷え 鎌倉人は沖を眩しむ

薔薇園の錆びて開かぬ門の奥  秘して育てる貴種の若苗

花越しに交はす黙礼秘めやかに  嵐近づく薔薇の奥津城

暗がりに毒色躑躅咲く道を 杖に縋りて夜明けへ歩む

傾きて雨に耐えをる黄あやめの 川面に触れる葉先震へて

谷水の響き絶えざる美里に 育ちたる児は笛吹きとなり

花買ひに週に一度は街に出む 世捨人とて街は恋しく

朽ち果てる土塀を覆ひ茅花咲く  旧き世界の定め通りに

仄暗き小園の書庫に千万の 詩歌を集め薔薇で囲へり

黎明の暗き緑に浮き上がり 朝を漂ふ野辺の白花

鎌倉の古き土より咲き出でて 仮の世色の紫陽花淡し

うつし世の色に移ろふ紫陽花の 四ひらを留める一玉の碧

暗みより光の世へと湧き出でて 水耀けば神話潤ふ

絵に遺る大正は皆美男美女 子等は純情天地は有情

古き良き美しき世がまだあれば 美しきまま詩中に隠せ

寺跡の久遠に朽ちぬ石組の 草間に育つ夢色蜥蜴

夕月の水面明りに羽虫舞ふ 池のみ遺し失せし大寺

笛太鼓童児に任せ夏祭 東夷の造りし都

炎昼の光に眩む路地の奥 ダリア燃え立つ幻の庭

陽に当たるたび少しづつ色褪せて 古き挿絵の純情少女

星辰の座に着く夕べ時は満ち  浜辺に出会ふ猫と老人

漣も風も光も止めどなく 寄せ来る岸に涼しく老いぬ

風鈴の澄みし音色を二階より 俗世に降らす六地蔵辻

夏の果紫金の空に星出でて 薔薇の世話する黄昏永し

  秋

七夕や水豊かなる鎌倉の 七つの谷戸の文士らの裔

雨上がり蜩の声黄金の陽 億万粒の滴る故園

いそいそと蜜吸ふ時も羽動く 秋の揚羽に時は迫り来

美しく歩む姿を保つべし  竜胆の路地芙蓉の小径

わたつみを星風渡る鎌倉の 大路小路に灯る迎火

乙女達事無く恋も無き秋の 桔梗の深き青さに耐えよ

首傾げ人に聴こえぬ幽かなる 聲を聴きをる小鳥の仕草

若き日に戻してくれる曲ありて 見慣れし窓の外はまた秋

湯に浸かり眼を閉じて虫の音の 闇の楽土に癒す硬骨

八百年の夜を経て波が吐き出せし  遥かな国の青き陶片

終焉の夕焼色に身を染めて  老の呟く英雄叙事詩

虫の音は高まり星は巡りだし 野辺の仏は半眼半夢

上に雲下に水湧く山かげの 幽居に老いし詩人の獣語

竹間を茶烟の昇る月の庭 客は無くとも今宵は詩宴

今の世を有明月の照らしをり 史書の中より戻り来し朝

美しき旅人ひとり鎌倉の 秋咲く薔薇に顔寄せて

ランタンが魔法の如く灯る路地 雨に潤みて「カフェ浪漫主義」

廃園の門柱だけが残されて  野に溢れ出す苑の八千草

一の二の三の鳥居と聳え立ち 若宮大路月へ通ぜり

灯火に四塞の闇の押し寄せる 山家に寂と古狩野の軸

うしろ手に持ちて昨日の菊捨てに 庭の最も秋深き隅

金色の銀杏を散らす銀色の 雨が降る街学生時代

銀杏散る一行の詩の黄金の 言葉の零れ散るが如くに

露の世に父の遺せし庭荒び  濡れて現る石の幻色

溜息の如き声にてふるさとの うた歌ふべし老いて震へて

  冬

その町は枯葉でさへも美しき 文士の時代鎌倉の町

草は伏し獣は隠れ冬来たり 五山七谷鐘打ち鳴らせ

枯れ尽きし後の芒は金色の  冬陽の中に尊く乾く

小春日の筆遅々としてうつつ無く 身の虚にぞ陽溜りあらめ

樹々枯れて音色さまざま風に鳴り 天降りて来ませ楽の諸神

門脇に迫り山水流れをり 詩魂はいつか山に呑まれむ

蛾眉鳥の四季の最後の歌幽か 冬も緑の竹林の奥

罅傷の幾百年を生き伸びし  古き碗もて露命を繋ぐ

たんまりと木の実を隠し落葉積み 谷戸は豊かに冬籠りをり

荒箔の天の裂目も剥落も 古色に埋まり合戦屏風

石仏が風を鎮める切通し 鑿跡粗く古都を護りぬ

紅を世から葬り去る雪の  天駆けて来し山茶花の園

年一度雪降る夜に現れる 我が青春の頃の街の灯

動く物もう何も無く煌めくは 悲運の皇子の凍れる社

炉火昏く火影に古ぶ本棚に 幾年眠る夢幻詞華集

たまさかは灯影揺らして踊らばや 冬を籠りてひとり酔ふにも

月光を五彩に分かち華やげる ひとひらの雲凍夜に浮かぶ

雪降りて雪降り積みて天地に 我の息する音しかあらず

降る雪は恋人達をこの街を  白く冷たく包みて許す

古の楽土の瓦礫一つづつ 拾ふが如く古歌読み覚ゆ

経机千年磨ける漆黒に 雪を映して年の暮れゆく

初買いの古書店巡り楽しけれ 抒情詩集の夢二の表紙

源氏絵を飾りて永遠に物語  終るなかれと春を待つ家

舞姫の息の緒白く春待つに  梅の蕾は花より紅し

美しく猛く言の葉舞はしめよ 三十一文字の想ひ透くまで


20236月 ©️甲士三郎


300回記念 幽境の珈琲座(4) 付録歌集句集

2023-06-08 13:01:00 | 日記

お陰様で当稿も不倒の連載300回を迎え、その記念として番外に歌集句集を付けたので折々ご笑覧あれ。

さて今回は箸休め程度だが、珈琲座の話ももうしばらく続けよう。


我が荒庭には56種の紫陽花があり多少日当たりが悪くても育ち、ひと月程は次々と咲き続けて色の移ろいまで楽しめる。



(筒片口花入 清水六兵衛 明治時代 ポット カップ コーヒーミル 昭和前期)

梅雨時の珈琲はホットにするかアイスかが大問題で、私は氷を入れず冷ましただけの珈琲にしている。

珈琲碗は古い益子のデミタスサイズで、これも簡素なデザインながら肌に深みのある手作りの品だ。

多彩な紫陽花の色を生かすためには、花器珈琲器は色味の少ない物を選ぼう。

近所の路地にも数種の紫陽花が集まって咲く秘密の場所があり、そこでは人力車で案内された和服のお嬢さん方が記念撮影している。

鎌倉の車夫達は隠れた路地の四季の撮影スポットを良く知っているのだ。


この時期の庭は梅と杏と桜桃が実っていて楽しい。



(江村煙雨 中村不折 益子焼湯呑 昭和前期)

中村不折はWikiなどで洋画家と紹介されているが、私の目に付くのは圧倒的に文人画が多く漢詩も書も評価が高い。

正岡子規とも友人だったので、俳句関係の人はそちら方面でご存知だろう。

写真は直筆の小色紙で五月雨に烟る漁村が墨調豊かに描かれている。

冷ました珈琲には意外とごく普通の古い湯呑が似合い、釉薬の垂れと墨の滲みが外の雨音と呼応するようで心地良い。

昭和30年頃の古民芸ならまだ手頃な価格で選べるので、昭和レトロ物は若い人達にも広まっている。

朽ちかけた木皿に落梅を入れて、その香りで部屋中を爽やかにしよう。


こちらは枝付きの杏を飾った。



(海やまのあひだ 初版 釈迢空 伊賀焼珈琲碗 現代作家物)

釈迢空の歌集は大正時代なので珈琲碗もせめて戦前の物にしたいのだが、伊賀信楽ではなかなか見つからない。

この珈琲碗は陶印が釉薬で潰れて読み取れないものの、伊賀らしく上手く歪んだ最近の作家物だ。

少し分厚すぎて真夏には合わないだろうが、梅雨寒の朝晩には藁灰釉の自然な明るさが馴染む。

「海やまのあひだ」は日本の伝統的な精神文化が息づいている大正短歌の秀作だ。

釈迢空や会津八一らの晩生は大戦に振り回されてか見るべき物は少なく、敗戦後はそれまで日本の伝統文化を担ってきた知識人層の凋落振りが悲しい。


今週は句歌集をまとめるのに時間を取られたが、また次回には落ち着いて珈琲座の話をまとめたい。


©️甲士三郎