なんきょく
5月30日の朝日新聞「しつもん!ドラえもん」です。
衛星通信がなかった時代、南極の観測隊は日本と何で連絡をとった?
こたえは短波通信
50年以上も前のことになりますが、私が勤務していたところはこの日本側の基地局であった電電公社銚子無線送受信所でした。当時、銚子は長崎とともに世界中の船舶との通信(電報)を行っていた海岸局でしたが、南極観測が始まると南極との通信も行うことになりました。
私が配属されたときは南極との通信が始まってから10年ほどが経っており、機械室に設置された物置ほどもあった大きな送信機や広大な敷地に張り巡らされたアンテナを見て、これで南極と通信しているのだと思うと心躍らせたものです。これらの設備の建設、メンテナンスが私の仕事でした。
そして、なんと私は南極越冬派遣隊通信要員の試験を受けたことがあるのです。
勤務して4年目、所長室に呼ばれて「南極に行ってみないか」と言われました。それまで通信要員は通信士の資格を持った人が派遣されていましたが、そのときから技術系1名が増員になり、通信士と技術士両方の資格を持った人を求めているとのことでした。
突然のことでしたが、私はためらうことなく「はい」と答えました。
極寒の地、南極での生活も魅力でしたが、なにしろ日本国内のトップクラスの研究者、技術者たちと準備期間の1年を含めて2年間、生活をともにできるのですから、またとないチャンスです。
ただそれには試験があります。派遣隊は広く学術分野の人、気象、測地から料理担当の人まで多くの分野の人たちが派遣されますが、試験があるのは通信担当だけです。その他の人は、すべて推薦によるものでした。
資格試験に通ったとはいうものの私は通信(モールス通信)の実地の経験は全くありませんでした。試験まで2ヶ月ほどだったと思いますが、実際の通信をテープレコーダに録り、猛練習しました。実際の通信は資格試験の通信速度よりさらに10~20%速いのです。
結果は ・・・さんざんたるものでした。
その後、何度かチャレンジするチャンスがありましたが、母親に話すと猛反対され、二度と受験することはありませんでした。
ですが、私にとってはなつかしく、良い思い出となり心に残っています。