般若心経

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2024-07-21 | Weblog

 散 髪

 久しぶりに散髪に行ってきました。
令和2年のコロナ禍のときから、顔そりなしでやってもらっています。
シャンプー、顔そりなしでしたら、タイミングよければ10分もかからずに終わります。せっかちには持ってこいです。
 顔そりをなぜやめたか。
コロナにより店側が顔そりを中止したこともありますが、中止を解除した後も、毎朝起き掛けに剃っていますし、数時間で伸びた髭をきれいにしてもらってもメリットがないと考えました。(料金は変わりません)
それから髭を剃ってもらっているとき、緊張するのです。それは必ず志賀直哉の『剃刀』を思い起こすためです。
『剃刀』は体の不調を押して店に立った床屋の主人が剃刀で客の若者を殺害してしまうという短編小説です。若者と己に苛立つ主人、さすがに小説の神様と言われる直哉のすばらしい心理描写、喉元に当てられた剃刀の薄い刃が目の前に見えるようです。
私が髭を剃ってもらうとき、いつもこの場面が思い起こされます。もちろん心配のしすぎですが、気がつくと腕に力が入り、両手を固く握っています。それならば、顔そりをやめようということにしました。

 それはそれとしてこの散髪屋さんがDX化していました。
入口には番号発券機があり、レジがキャッシュレス対応になっていました。現金は客が機械に投入します。スーパーやコンビニではすでに当たり前の光景ですが、散髪屋さんまでもかという思いです。
散髪屋さんにとってみれば、現金に触らなくてもよいし、売上金の精算から釣銭の準備まで一切が不要になります。
屋台でもキャッシュレスの時代ですので今さらおどろくようなことではないのかもしれませんが。






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