中さん

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日記(12.17)中華街

2015-12-16 17:56:55 | 日常
12月17日  (水曜日)

昨日の横浜は・・三渓園を出て循環バスで元町まで行って
400m先まで歩いて


ここから中華街へ入る。こちらから入るのはしばらくぶり。


四五六菜館から通りを散策。

お土産を萬珍楼で月餅やら肉まんを・・

コーヒーショップで休息。
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散策に”廟”を見て回る。
まずは
横浜媽祖廟(そびょう)
神奈川県横浜市にある媽祖をまつる道教寺院である。


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次に関帝廟を・・・


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財の神として名高い三国志の武将・関羽を祀った霊廟。
入口の山門に掲げられた「関帝廟」の扁額は、
世界的に有名な書道家・于右任(蒋介石の元秘書)によるものです。
「鯉の滝登り」(登竜門)の故事になぞらえた中門、
北京の紫禁城と同じ皇帝色の瓦に青龍の像を配した本堂など、
廟の敷地には中国の雰囲気が漂います
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とっぷり陽も落ちて
石川町駅から横浜にでて、籠原行きで直通だ!
近くなったなあ~!
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日記(12.16)伊勢崎の葬儀

2015-12-16 17:54:47 | 日常
12月16日  (水曜日)  晴れ


伊勢崎の葬儀場に出かける。ポカポカ陽気の日になったが
奥さんを亡くしたW君の葬儀だ。

喪主の挨拶で
”太陽の様な明るい存在だったので・・・
辛く悲しいが・・・”と
言葉を詰まらせていたのが、こちらも辛かった。

元会社の先輩・後輩とも、喪服を着た葬儀場でしか合わなくなったが
お互いの元気を確かめ合う場の様になったなあ~!
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家に着いたら、なんか疲れが出てきてしまった。

無常という言葉がこんな時は浮かんでくる。
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又、漢詩の名文があるが

古人無復洛城東        古人また洛城の東に無し
今人還対落花風        今人還(かえ)って対す落花の風
年年歳歳花相似        年年歳歳花あい似たり
歳歳年年人不同        歳歳年年人同じからず

昔、洛陽城の桃の花を楽しんだ人達は既に亡くなり、
今我々が花の散るのを見て嘆いている。

毎年美しい花は同じように咲くが、
この花を見る人々は毎年変わっているのだ。
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花を見る人の早すぎる他界は辛いものだ!
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日記(12.16)三渓園のこと

2015-12-16 13:01:24 | 日常
12月16日  (水曜日)   晴れ ぽかぽか陽気に!

昨日訪れた三渓園の事



幸い昨日は最後にここの園担当で生き字引の様な方と巡り合って
歴史から建築物の事・行われる行事のこととうとう・・・
こと細やかに説明してくれた。

三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、
1906年(明治39)5月1日に公開されました。


175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された
歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。
(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)

東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、
三溪の手により1902年(明治35)頃から造成が始められ、
1914年(大正3)に外苑、1922年(大正11)に内苑が完成するに至りました。

三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、
前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など
近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。

その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、
原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、
財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。



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水仙も咲きだしていた。

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