ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

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ちゃこ花房~本日も波乱万丈~ 第2話

2015年07月09日 | 生きる

第2話 「私の天敵 スネオについて」


第1話『オットの兄、ヒゲオが奈良にやって来た!』



前回1話で、オットの兄、「ヒゲオ」の話をしましたが、

結婚して奈良に住み、しばらくして近所の公団に

オットに3つ年上のスネオが住んでいる事が判ります。


実はこの公団に若い頃からほぼ夫婦のような関係の

姉さん女房がいたのです。

おそらくは、10歳以上年上

一族の身内の間では、暗黙の了解だったようですが、

住んでる場所を知る者はおらず、相手女性の詳細は謎。

まさか、目と鼻の先にスネオが住んでるとは、、、。

驚愕の事実でした。


この先、私達夫婦が関わることになっていくのですが、

この「スネオ」こそが、私の生涯の天敵

私を一番苦しめる存在となります。

この時すでに「スネオ天敵フラグ」が立っていたのですね。


スネオ四男、オットは五男

五男だけに、五難ある人生か、、、、(笑



考えてみれば、三男「ヒゲオ」はかわいいものです。

ずいぶん迷惑をかけられましたが、心底嫌いになれない。

ヒゲオは一度たりとも、私の人格を否定したことも

暴言を吐いたこともありませんから。



スネオは違います。

人の人格を否定し、ことごとく嫌な思いをさせられました。

「知識はあるが知恵はない」「プライドばかりが高く」て、

「酒癖最悪」、「若くて綺麗な女性がすき」で「マザコン」

好きになれる要素が一つもない。性格が最悪です。

私だけでなく、私の弟の人格も否定した。

話をしたこともない、たった一度会っただけの弟を、です。

両親が奈良に来た時は、両親に対して挨拶もしませんでした。

そういう人間です。

何様だと思っているのでしょうか。



長男ナガオが誕生してほどなく、

スネオは我が家に顔を出すようになりますが、

オットが出張でいない時も夕方から2~3時間、

我が家で飲んでわたし相手にクダを巻いて帰るという日が約3年間続きます。


その間の出来事は今思い出しても腹立たしく、

何故、スネオが来るのを拒めなかったのかと、

当時の自分の意気地のなさが情けなかったりするのですが、

オットの兄という立場ゆえ、遠慮と

そして何より私が若すぎたからでしょう。



スネオにとって私は、

格好のストレス発散の標的だったのでしょうか。

10歳年下の弟嫁の前では優位に立てるのが気持ちが良かったのか

私相手にクダを巻き、ウンチクを垂れ、時には説教にパワハラ。

当時良く言われたのが、「女は子宮でものを考える生き物やから」

私の中でスネオが天敵決定したセリフです。

反吐が出る。


私はとうとう、過労とストレスで入院することになります。

当時の私の年齢24歳

入院先は、結婚する前に勤務していた病院で病名は「羸痩」(るいそう)でした。

やせ細っていく私を見かねた友人が、病院で診察を受けさせ

そのまま入院となったのでした。



 羸痩(るいそう)

脂肪組織が病的に減少した症候をいう。

いわゆるやせ(痩せ)の程度が著しい状態であり、

症候であることを強調するためにるいそう症[

あるいは症候性やせなどと称することもある。



実はこのことがある意味、私自身が変わるきっかけになります。

強くならないと私は壊れてしまう。

今の私では太刀打ちできない一族だと腹をくくることに。



私を後押ししたのは、当時お腹の中にいた次男の存在でした。

私は40日間入院を余儀なくされましたが、

入院中、第二子を妊娠していることが分かります。

お腹の子が私を救いに来た、私は直感的にそう感じたのです。



私は何があっても、この子を無事に産む!



~続く

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コメント (2)
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